ZoaZoa日記

気の向くままに書き散らしてゆきます。皆さまの考えるヒントになればと思います。

食べ物で観る「この世界の片隅に」 ⑤ ‐魚介類・肉類‐

 ⑤では魚介類・肉類の食材を中心に書いていこう。

 

<魚介類>

 「この世界の片隅に」にでてくる魚類は一部を除き、鳥類・昆虫や植物そして貝類の的確な描写に比べると、種が同定できるようには描かれていない。しかし登場の頻度はそれなりにあるので、魚好きの私としては少々もやもやするのだが、もしかするとどんな魚が食べられていたか詳しい記録がなくてその辺を曖昧にしたのかもしれないし。あるいは、種類はわかっていても、生々しさを避けてあえて簡略した描写にした可能性もある。

 そんな中で「ザ・魚」と言う感じで堂々と登場するのはやはり、婚礼の膳で登場するマダイ真鯛Pagrus major )であろう。もしかすると、チダイ(血鯛・Evynnis tumifrons )かもしれないが、焼き物になっているのでよくわからない。言うまでもなく、瀬戸内海直送の天然の鯛であろう。婚礼の膳の全体に言えることではあるものの、やはり「ようこれだけ集めんさった」という台詞と艶やかな鯛がある事とが「豊かな時代の残影」という印象をなおさら強めている。

 そして次の「ザ・魚」は配給で手に入れた4匹のメザシということになる。眼の位置や口の開き方などから、おそらくはカタクチイワシ(片口鰯・Englauris japonicum )と思われる。戦後も長らくは大衆魚の代表格であったが、すずさんも数匹のイワシをとことん有効活用する。径子さんがすずさんに代わってサクサクと頭とはらわたを取る煮干しも、カタクチイワシである可能性が高い。イワシといえば、お盆の草津の昼食では、イワシ(真鰯・Sardinops melanostictus )の梅煮(生姜入り)らしきものが入った皿も出てくる。ただし、斑点がみられないことから、ウルメイワシ(潤目鰯・Etrumeus teres )かもしれない。

 1945年3月19日の爆撃の衝撃で呉港に浮かぶ魚は、その大きさや形からブリ(鰤・Seriola quinqueradiata )のような気もするが、最高気温8.1℃のこの日の湾内にあれだけのブリが回遊しているかはなんともいえない。翌日、晴美さんがスケッチする魚は、晴美さん側がサッパ(拶双魚・Sardinella zunasi )、すずさん側がマサバ(真鯖・Scomber japonicas )の稚魚のように見えるが、全く自信はない。なお、サッパは、岡山では「ママカリ」と呼ばれる魚でニシンの仲間である。

 径子さんの「すずさん、あんた広島帰ったら」の場面での食卓の魚の切り身、さすがに何の魚が形や色だけではわからないが、1944年3月と言う時期を考えると、サワラ(鰆・Scomberomorus niphonius )あたりが有力候補だろうか。切り身の大きさからして、一年魚のサゴシ(青箭魚)かもしれない。もちろん、30cmほどのブリ(広島ではヤズと呼ばれているようである)の可能性もある。

 刈谷さんの物々交換リアカーに乗せられた魚は本当に謎である。あのような口の開き方をする魚は瀬戸内海にはいないような気もするので、「魚」という記号表現と思っておこう。あえて言うなら、大きさと体色、鱗の様子からボラ(鯔・Mugil cephalus )かもしれない。

 また、食卓にあがる魚と言う訳ではないが、すずさんの海苔のお使いの船着き場で見える魚影は、汽水域である事と大きさから判断して、ボラまたはコイ(鯉・Cyprinus carpio )、もしくはスズキ(鱸・Lateolabrax japonicum )などが考えられるが、太田川といえば鯉の名産地であり、広島城の別名が「鯉城(りじょう)」であることからも、ここはコイ(Carp)ということにしたい。

 

 魚に対して貝類描写はかなり充実している。まず、お盆の草津の昼食、そして、すずさん・すみちゃん姉妹の路地販売のアサリ浅蜊Ruditapes philippinarum )、すずさん帰省時に家族そろって身をほじくり出すのに必死なアゲマキガイ(揚巻貝・Sinonovacula constricta )とヨナキガイ(長辛累・Fusinus perplexus )およびアサリ

 アゲマキガイは、別名チンダイガイ(鎮台貝)とも呼ばれ、印鑑ケースのような形をした貝だ。非常に美味なのだが、瀬戸内海では高度成長期あたりにほぼ絶滅した。現在国内で流通しているのは中国・韓国産のようだ。ヨナキガイ(夜泣貝)は広島地方の名前で、正式和名はナガニシといい、細長い巻貝である。スミちゃんが物凄い形相でほじっているのは、おそらくはこちらの貝の方だ。全国に普通に分布するものの、なぜか広島の人たちが好んで食べるローカルな貝である。

 婚礼の膳では、お吸い物のハマグリ(蛤・Meretrix lusoria )、大根おろしの入った酢カキ(牡蠣・Crassostrea gigas )が出てくる。現在であっても高級な料理であろう。なお、その頃のカキは、現在の孟宗竹やビニールパイプの筏による養殖はまだ始まっておらず、物干し台のような所からつりさげる方式の杭打垂下法が主流だったようなので、お膳にあるカキもそうして獲られたものだったであろう。原作では、筏式の養殖法が試験的に始まっているような描写があるが、当時は木材を使った筏だったので、台風などで流されてしまいうまくいかなかったようである。

 

 ともあれ、広島・呉は豊富な魚介類に恵まれていた。これは、厳しい食糧事情下においては、内陸部の人たちにくらべて大きなアドバンテージがあると言える。冷凍輸送の手立てのない当時は内陸部にはサメや干物を除き、まず新鮮な魚介類は入って来なかったのである。

 魚介類は栄養の面でも重要だ。動物性タンパク質として貴重なだけでなく、魚に含まれるビタミンD、あるいはドコサヘキサエン酸(DHA)やエイコサペンタエン酸(EPA)などの必須脂肪酸、貝類から得られる鉄や亜鉛、ビタミンB12 など、その栄養価的な恩恵は計り知れない。そして、海水から塩化ナトリウム(NaCl)以外のミネラルも豊富な「食塩」が容易に手に入るのも沿岸部ならではの地の利だろう。

 

<肉類>

 日本食品標準成分表では、肉類というのは「魚介類を除いた動物の肉」の事を指す。ここでは哺乳類と鳥類の肉について書こう。

 まず哺乳類の肉類は進駐軍の残飯雑炊登場まで、モガ時代の径子さんの回想のトンカツ(豚・Sus scrofa domesticus )と入湯上陸時の水原哲が持ってきた牛肉Bos Taurus )の缶詰以外では、全く登場しない。それにしても、あの時期(1944年12月)でも海軍にはそういった缶詰をまだお土産にできていたというのが興味深い。まさに帝国海軍の威光を胃袋で誇示できたことだろう。

 そして、進駐軍の残飯雑炊には脂身つきの豚肉がごろっと塊で浮かんでいる。「肉の塊が残飯に残っているとはどういう事か!」と現代に生きる私でも思うが、まあ今の私たちは「価格」の面でそう思ってしまう訳で、当時のすずさんたちとは感覚が異なっているだろう。しかし、価格にせよ希少性にせよ、穀物や野菜に比べて、(食肉目的で)牛や豚を育てるには膨大なエネルギーが必要な事は今も昔も変わりはない。

 あの進駐軍の残飯雑炊に浮かぶ豚肉を生産するために消費した飼料で、当時の日本人数十人分くらいは余裕で腹いっぱいにさせられたであろう。そのようなエネルギーの塊を進駐軍は食べ残す訳である。これもまたアメリカ合衆国(および連合国)の国力の象徴であり、あり余る彼の国の豊かさを当時の日本人は胃袋で実感してしまったことであろう。現在でも、関税があるにもかかわらず米国産や豪州産の牛肉の方が安いのである。

 残飯雑炊にはチーズも入っているようで、この作品で登場するアイスクリームと並ぶ数少ない乳製品である(キャラメルにも脱脂粉乳が入っているかもしれない)。乳製品に関しては食肉と違い持続可能な生産が可能なため、戦後にはほぼ自給自足できるようになった。

 ニワトリ(鶏・Gallus gallus demesticus )は、進駐軍の残飯雑炊でも骨(おそらくは大腿骨か脛腓骨)らしきものは出てくるものの、自体は入ってないようだ。かろうじて婚礼の膳の海苔巻きに卵焼きが入っているくらいだろうか。とはいえ、ばけもんの籠に入れられたすずさんが「夕方には家のにわとりに餌やらにゃいけんのに」という台詞がある以上、1930年代には浦野家にニワトリがいた事になる訳で、ある時期まではすずさんは卵も食していたと思われる。

 

 以上、食べ物で観る「この世界の片隅に」①~⑤で様々な食材を見てきた。絶対的なエネルギー不足および量的な不足には目をつぶって(まあそこが一番深刻で無視できない所なのだが)、食材自体だけをリストアップしてみると、すずさんたちの時代の呉・広島の方が今よりも栄養の面でも食文化の面でも多様性があり「ごく自然に豊かな食生活を送るためのポテンシャルがあった」と見る事もできよう。特に貧窮する前の食卓における「(当時は)意識されていないだろう贅沢さ」が私には眩しい。「この世界の片隅に」に登場した多様な食品のいくつかは、現代の私たちはもう当時と同じように食べる事は叶わない。

 日々、私たちが食べているものは、目新しいものでもない限り「昔の人も同じように食べていた」とつい思いがちである。しかし、「この世界の片隅に」において当時の食生活が丁寧に再現されることで「いつの間にか失われた食」「似ているようでいて昔とは違う食」があったことを私たちは知る事ができるのである。

 「この世界の片隅に」を鑑賞して「昔の食生活は悲惨だったな」と感じるのは容易だが、さらに踏み込んで「当時のトマトと今のトマトはどう違うのだろう?」と言うような疑問をそれぞれが興に任せて深めていっていただければ片渕監督も本望ではないだろうか。

 

 食材としては以上だが、最後の⑥では、番外編として食材以外の「身体に関係するあれこれ」を記しておこう。