ZoaZoa日記

気の向くままに書き散らしてゆきます。皆さまの考えるヒントになればと思います。

食べ物で観る「この世界の片隅に」③ ‐野菜・野草・ダイズ‐

 主食があれば副菜も必要だ。といっても、主食が不足しているのに副菜が十分にある訳もない。しかし、そんな状況でも知恵を絞って食卓を豊かにしようとするのが生活というものであろう。

 

この世界の片隅に 劇場アニメ原画集

この世界の片隅に 劇場アニメ原画集

 

 

 

<野菜>

 作品中の食卓に色とりどりの野菜が登場する場面というのは、実は限られている。回想を除けば主にお盆の草津の昼食とすずさんの婚礼の膳、そして進駐軍の残飯雑炊だ。

 

 お盆の草津で確認できる野菜は、トマト(赤茄子・Solanum lycopersicum )、キュウリ(胡瓜・Cucumis sativas )、ナス(茄子・Solanum melongena )、ミョウガ(茗荷・Zingiber mioga )、ネギ(葱・Allium fistulosum )、ショウガ(生姜・Zingiber officinale )、さやエンドウ(豌豆・Pisum sativum )などがある。ミョウガやネギは素麺の薬味、ショウガは魚料理の臭み抜きだろう。野菜かどうかは微妙だが、ウメ(梅・Prunus mume )も魚料理に入っているようにみえる。ともあれ、栄養バランスのとれた豊かで幸せな少女時代を実感できる涼しげな献立だ。なお、トマト、ナス、ジャガイモはすべてSolanum属で極めて近縁の作物だが、やがて作物重量当たり最もエネルギー量の多いジャガイモが優先的に食卓に上ることになる。

 婚礼の膳では、煮物のメンバーはコンニャク(蒟蒻・Amorphophallus konjak )、コンブ(昆布・Saccharina japonica )、ゴボウ(牛蒡・Arctium lappa )、ニンジン(人参・Daucus carotaレンコン(蓮根・Nelumbo nucifela )、インゲン隠元Phaseolus vulgaris )で、今と変わらない。そして、草津産の海苔を使った海苔巻きには、干瓢(夕顔・Lagenaria siceraria var. hispida )そして青菜が巻かれている。巻いてある青菜は呉・広島が舞台であるからやはり広島菜(白菜の亜種・Brassica lapa var .toona )であってほしいところだ。

 なお、ウメは「梅干しの種」として、刈谷さん監修料理の魚料理(?)に再び登場する。

 

 食卓でなく、作業で登場する野菜は、野草類・大根類を除けば、晴美さんから「ねえ、筆貸して、すずさんの頭に墨塗ってあげるの」と言われている径子さんが筋取りしているソラマメ(蚕豆・Vicia faba )らしき豆が印象的だ。

 背景として登場する野菜には「はてさてこまったねえ」のすずさん裁縫の場面の縁側にフキ(蕗・Petasites japonicas )が、周作とのデート呼び出しでの「北條の嫁さん、あんたに電話」の場面の玄関わきにナスなどがある。これらは配給ではなく、自宅の畑で収穫されたものであろう。畑に植わっている野菜としては、浦野家周辺や闇市への「いつもと違う道」のサトイモ(里芋・Colocasia esculenta )、「今頃空襲警報かね」で晴美さんとすずさんを守る円太郎の場面で手前にネギがアップとなる。

 ともあれ、限られた面積の畑で作付出来る野菜の量・種類は限られているので、ないよりは遥かにマシではあっただろうが、一日に必要なエネルギー量を野菜で賄えるはずもなく、今以上に「食卓を豊かにするため」の「腹の足し的存在」であったであろうことは想像に難くない。

 

 そして、戦争が終わるとすずさんと径子さんは進駐軍の残飯雑炊を口にする事になる。そこには、熟したエンドウ(いわゆるグリーンピース)、ニンジントウモロコシ(玉蜀黍・Zea mays )、ジャガイモパスタ、鶏の骨、豚肉、チーズ、煙草の包み紙と盛りだくさんに入っている。まあ、トウモロコシやジャガイモは野菜ではないが、なんという栄養豊富な残飯であろうか。そしてスープは色からしトマトベースであろう。トマトといえば、お盆の草津で水の張った盥(たらい)に瑞々しくスイカやキュウリと一緒に冷やされていた。あの頃の豊かさの「断片」が海の向こうからやってきたのだ。

 ふと、この時の径子さんとすずさんの感じ方は、多少違っていたような気もする。というのも、径子さんのモガ時代回想で登場するカツレツでは、添え物としてニンジンキャベツ(甘藍・Brassica oleracea var. capitata )、パセリ和蘭芹・Petroselium crispum )が見える。径子さんは洋食を「経験済み」なのである。となれば、径子さんなら「昔に食べた洋食の面影」を進駐軍の残飯雑炊に感じたことだろう。そして、戦後になって呉にも洋食屋が続々と開業する様をみて「昔みとうなってきたねえ」という感慨を抱いたかもしれない。やはり大正ど真ん中生まれの戦前・戦中・戦後の捉え方は、すずさん世代とはまた違うと思われる。

 

 

<野草>

 「この世界の片隅に」において印象に残る日常としてやはり「その辺の野草を採って食べる」というのがあるだろう。誤解した人もいそうだが、野草食が戦前の日常であった訳ではない。それは1944年の時点でサンがすずさんの作った刈谷さん監修の野草料理に感心しているという事からも容易に想像がつくだろう。現在でも岡本信人氏以外で野草を食べ続ける人はそうはいないのと同様である。登場した野草を簡単に紹介しておこう。

 それぞれの好みはあるだろうが、登場した野草の中で一番おいしいのがハコベ繁縷Stellaria media )である。そもそも、ハコベ春の七草のひとつであるから当然と言えば当然で、原作者のこうの史代さんにとってはインコの餌としても元々お馴染みなはずだ。

 カタバミ(片喰・Oxalis corniculata )はシロツメクサとよく間違えられる野草で、高濃度のシュウ酸(Oxalic acid)を含むので酸っぱい。シュウ酸の英語名も、このカタバミの学名からきている。そのシュウ酸、尿路結石の原因となる物質であるが、北條家のお浸しくらいの量であれば全く問題ないだろう。

 スギナ(杉菜・Equisetum arvense )は原始的なシダ植物なので茎の構造が他の野草とは根本的に異なり、かなり若い芽のうちに採らないと筋が固くて食べられたものではない。しかし、乾燥して薬草茶として使う事はでき、利尿作用がある。なお、スギナの胞子茎はツクシ(土筆)と呼ばれ、こちらは食べた事のある人は多いだろう。

 スミレ(菫・Viola mandshurica )もまた癖がなく食べやすい部類の野草であり、同時に薬草でもある。ただ、スミレの仲間は種子と根に毒があるので、食するのは葉と花だけにしないといけない。また、スミレはタンポポ以上に種類があり、すずさんが摘んだスミレが、その辺の道端で咲いているスミレと同じであるかは定かではない。

 原作には他にタネツケバナ(種漬花・Cardamine scutata )も紹介されている。これはアブラナ科の野草で、春の七草ナズナ(薺・Capsella bursa-pastoris )に似た植物であるが、味はナズナよりもカラシナ(芥子菜・Brassica  nigra )に近い。要はそれなりに辛い訳で、北條家のマスタード的存在であったはずだ。また、庭にヨモギ(蓬・Artemisia indica )らしき野草が生えていて、すずさんも摘み取っていたので、これもまた様々な料理に使ったであろう事を想像すると楽しい。

 

<ダイズ>

 晴美さん登場シーンで「お豆さん炒りよるん?」で出てくるのがダイズ(大豆・Glycine max )である。ダイズは蟻子さんの場面で中を舞う豆腐となり、刈谷さん監修料理ではうの花(おから)として活用される。言うまでもなく味噌にもなる。あるいは、刈谷さんの物々交換では訪問先の軒先に凍り豆腐としてつりさげられている。

 動物性食品が少ない中での貴重なタンパク質源として、ダイズはコメや代用食の食品に次いで重要な食品である。というのも、米や代用食にもタンパク質は含まれてはいるのだが、米や代用食だけではリジンという必須アミノ酸が欠乏してしまうのだ。ダイズはそのリジンを補完する事が出来る数少ない植物性の食品である。すなわち、動物性タンパク質が不足した状況では、ダイズはまさに北條家の身体機能を維持するための極めて重要な食品であったと言える。

 

 ④では、菓子・果物について書いてゆく。