ZoaZoa日記

気の向くままに書き散らしてゆきます。皆さまの考えるヒントになればと思います。

高校生のための「この世界の片隅に」

君の名は。」から「この世界の片隅に

 新海誠の「君の名は。」は公開から既に数カ月経過しているにもかかわらず、未だに膨大な数の高校生を虜にしている作品だ。瀧、三葉という主人公二人の心身入れ替えを通して、それぞれの日常が交代してしまうのは単純に面白いし、時空を超えたクライマックスへ突き進み、様々な障害を乗り越えて最後は結ばれるという、ある意味ロマンスの王道も踏襲している。ちょっと普通の恋愛ものと違うのは、主人公たちの記憶が途中から曖昧になってゆく事だ。だから、観ている側は「傍観者」として二人のロマンスの行方をハラハラしながら見守ることになる。しかし、どれだけ感動しようと、あなたはあの作品の傍観者に過ぎないと言える。

 ところが、「瀧(三葉)のような経験をあなた自身ができる映画がある」と言われたら、あなたはどう思うだろう。「傍観者」でなく「主人公」になれる映画、観たくないだろうか。実は、そんな映画があるのだ。その映画の題名はこの世界の片隅にという。個人的には、今、高校生に一番見て欲しい映画だ。

 

この世界の片隅に」での日常

 「この世界の片隅に」では、あなたは「すずさん」という少女になる。すずさんは、クラスに一人はいる、天然すぎていろいろやらかしても憎めないタイプの可愛らしい女の子だ。ただ、彼女がいる時代が私たちとは違う。すずさんがいるのは、1940年代の広島や呉だ。今の高校生にとっては想像もつかない異世界に違いない。でも、素直な感覚で映画に集中すれば、あなたは本当にその異世界にタイムスリップしてしまう事になるだろう。

 始めのうちは、今ではありえない風習に驚き、見た事も聞いた事もない日常に当惑する事も多いかもしれない。しかし、段々とそんな異世界の日常もすずさんの天真爛漫な様子につられて「当たり前」のような感覚になってきて、自分が今いる「この世界」とは別の「あの世界」で生きている感覚になる。もしかすると、ちょっと不便だけど、こういう世界も長閑で悪くないかなと思うようになるかもしれない。

 そんな感覚になってゆけば、あとは映画の終わりまで身を任せて、あなたなりに懸命にすずさんの人生を歩んでゆくことになる。途中、意識が飛んでしまうような大変な事もあるし、気持ちが激しく揺れ動く事もあるが、それとてあなたが生きている限り、日常は続いてゆく。あなたが経験した事は「あの世界」では紛れもなく真実なのだ。

 「この世界の片隅に」は普通では体験できないそんな事が起きる映画だ。

 

生きてゆく私

 ちょっと横道にそれる。個人的な経験談でしかないが、私が高校生の頃、「人生の目標」とか「生きる意味」などをそれなりに真面目に考えていた時期がある。とはいえ、明確な目標に向かって寝食忘れて何かに熱中していたという記憶もなく、ただ、自分はこれからどうなってゆくのだろうと漠然とした不安を抱いていた。今の高校生の中にも、おそらく私と同じようなつかみどころのない不安を持つ人がきっといるだろう。

 ところが、「あの世界」のすずさんは、日々、楽しそうに懸命に生きている。「あの世界」ですずさんの人生を送るあなたもまた、「懸命に日々を生きてゆく」感覚をいつのまにか体得しているに違いない。まず、食べなければ生きてゆけない。食べるために、ない知恵を絞って策を練る。危険を感じたら逃げなければならない。下手をすれば死ぬ日々だ。「人生の目標」とか「生きる意味」など考えている場合ではない。「あの世界」で生きるとはそういう事だ。状況的には不幸な気もするのに、間違いなく「生きている私」をくっきり実感できるのはなぜだろうか。ともあれ、「あの世界」ですずさんの人生を送るあなたは、「この世界」での自分の悩みはいったいなんだったのだろうと思うかもしれない。いや、すずさんの人生に入り込めば、そんな雑念すら浮かぶ暇はないかもしれない。

 

夢からはいつか覚める

 しかし、「あの世界」にずっといる訳にもいかない。いずれは「この世界」へ戻って来なければならないのだ。三葉の世界にいた瀧の心が瀧の身体に戻って来るように、それまで流れていた「あの世界」の時間が、コトリンゴの「たんぽぽ」という曲によって、ぱっと途切れる。あなたとほぼ同世代のすずさんが生きた「あの世界」から、あなたが今生きている「この世界」へ戻ってくる時がやってきたのだ。もうスクリーンに映し出される「すずさんのその後」をあなたは今の自分の視点で眺めている事に気付き、「この世界」へ戻って来た事を実感する。それまで感じていたすずの人生がまるで夢のように感じられることだろう。そして、「あの世界」と「この世界」との折り合いを自分の中でどうつけていいか模索しているうちに、これまで味わったことない感情がとめどもなく溢れ続けるはずだ。あなたは「この世界」へ戻って来た。コトリンゴの「たんぽぽ」の伴奏が、あなたの心臓の鼓動のように鳴り響き、今生きている事への充足感がみなぎってくるに違いない。確かにあなたは今ここに生きている。

 

「あの世界」から「この世界へ」

 ただ、夢から覚めたといっても、すずさんの人生は幻ではない。すずさんの人生は確かにあったのだ。すずさんがもたれかかっていた大正屋呉服店、すずさんがスケッチした広島産業奨励館(原爆ドーム)、すずさんが見舞いに訪れた海軍病院の階段。すべて実在し、今も現存する。すずさんが経験した様々な事もすべて実際に起こった事だ。「君の名は。」の糸守町やティアマト彗星はフィクションだが、「この世界の片隅に」で起こった事は、すべて本当のことだ。

 

 もし、あなたの周りに90歳を超えるような女性がいらっしゃったら、その人こそが、「すずさん」である。その女性は、紛れもなく、「あの世界」に実際に「生きていて」そして今「この世界」でも「生きている」。「あの世界」であなたが経験した事は、その90歳の女性の中に確かに深く刻まれているのだ。「この世界」は「あの世界」から間違いなく続いている。「あの世界」から生き残った人々がいたからこそ、「この世界」のあなたは今、ここに存在しているのだ。

 しかし、残念ながら「あの世界」から生き抜いてきた人々も、徐々に「この世界」からあなたより先に姿を消してゆくだろう。そして、今、あなたは「この世界の片隅に」生きている。

 

 高校生諸君、是非とも、映画館で「この世界の片隅に」を観て、「あの世界」へ旅立ち、すずさんの人生を生き抜いて欲しい。さらには、沢山の友人を誘って、「あの世界」を共有してほしい。それが私の切なる願いである。

 

 「あの世界」を「この世界」から未来へと受け継いでゆく最前線は、間違いなく高校生のあなたなのです。