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ZoaZoa日記

気の向くままに書き散らしてゆきます。皆さまの考えるヒントになればと思います。

消えてゆく言葉

 何か創作の物語を作る時に、未来を舞台にすればまだ誰も知らない訳だから、どんな設定でも構わないが、過去を題材にした場合、それなりに時代考証をしなくてはならない事になる。人事ながら、結構これは大変なのではなかろうか。物品の類は、「存在するかしないか」でまあ感覚的につかめる部分もあり、資料にも当たりやすいが、「言葉」となると結構厄介だろう。誰もが言語学者や歴史学者ではないので、現在使っている言葉の延長線上に「雰囲気」だけで、江戸の世を描写する事も多い。私も当然の事ながら、昔の言葉などほとんど知らないし、その言葉がいつから使われているのかもよくわからない。なんせ、言葉は生き物であって、文献にあるからといって、一般に使われていた言葉かどうかは定かではない。現在だって「フランス落とし」となんて単語が建築業界人以外の日常会話で出てくるかと言えば微妙であろう。ま、見れば誰もが知っているモノなのだが。

 

中西産業 フランス落し DC-824

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  過去の人物が現在にやってくる物語と現在の人物が過去にゆく物語と、どちらが多いのか定かではないが、なんとなく最近では「過去の人物が現在にやってくる」というパターンが多くなってきたように思う。まあ、これは過去の人物も、現代に慣れてしまえば「言葉の時代考証」を厳密に考えなくてよくなる、という面もあるのかもしれない。

 しかし、実際、本当に過去の人間、特に江戸時代の人間が現代にやってきたら、そう簡単に価値観を転換させることは難しいだろうし、長年の習慣を変える事も大変だろう。その辺、これまでの「過去から現代へ」の創作は、すぐに現代に馴染んでしまう感じを受ける。例えば、荒木源「ちょんまげぷりん」などは、なにか良い意味で現代に適応しすぎのような気もする。まあ、案外、そういうものかのかもしれないとも思う。

 

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ちょんまげぷりん (小学館文庫)

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  しかし、黒江S介「サムライせんせい」の主人公は、頑固になかなか現代に馴染まないので、ある意味、妙なリアリティがある。確かに、想いがある人が現代にやってきたら、そうだろうなあと感じさせる場面が結構出てくる。やはり、元の時代に戻りたいとまずは強く願うのが自然であろう。一人の人間を描く時、単に習慣の違いだけではなく、帰属意識というのは無視してはいけないのだ。

 

 

サムライせんせい (クロフネコミックス)

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サムライせんせい (二) (クロフネコミックス)

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逆に、「現代から過去へ」の場合、「過去の世界でそこの住人になりきる」か「未来人として振舞う」か、でかなり雰囲気が変わってくる。例えば、前者の例は村上もとか「仁jin」であろうし、後者は半村良戦国自衛隊」であろう。前者は結構、時代考証も苦労している跡があり、なんといっても圧倒的なドラマで多くの人を感動させた作品である事は間違いない。そんな作品にも歴史に詳しい全国の「歴史おじさん」から「これは当時なかった物ではなかろうか」「その時代ではありえない事ではないか」と結構くるらしい。そこは難しいところで、「史実に忠実だったら物語として面白いか」という話なので、有る程度、時代考証をしているんであれば、大目に見てもいいように個人的には思う。それを言ったら、現代の医者がタイムスリップする訳ないんだから。一方、後者の「戦国自衛隊」は荒唐無稽すぎて時代考証云々を言うのは野暮というものである。でも「仁jin」とは別方向にふっきれていて面白い。たぶん、戦国自衛隊に関しては馬鹿らしくて歴史おじさんのクレームも出しようがないだろう。そう言う意味では、アニメになるが「伏 鉄砲娘の捕物帳」で描かれた江戸の風景もまた、完全なる荒唐無稽と史実とが絶妙にミックスされて、絶対にありえ得ないはずなのに、そんな江戸があったかのように錯覚させる質感を伴ったリアリティがある。色彩も見事だ。

 

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 といっても、まだ歴史を学んでいない子供が「江戸時代の陸奥の田舎娘が手持ちのガトリング銃を持っていた」と思い込むのも多少問題もあるので、やはり根っことなるものは押さえておいた方がいいだろう。そこはやはり大森洋平「考証要集」の出番である。時代考証と一口に言っても、その対象は森羅万象に至る訳で、それをすべて把握する事は容易ではない。これまで過去を題材に創作された物語の中にも多々、間違いがあったに違いない。しかし、最低限、これくらいは押さえておこうと言う事がこの本には書かれてあるようである。読み進めると、この本は本当に便利であって、単純に豆知識として知るだけでも愉快である。この本は、別に時代劇にクレームをいれるための本ではない。

 

  

 ここで「考証要集」に掲載されている言葉をピックアップして、言葉が時代を遡るにつれて消えてゆく様を見て行こう。言葉は生き物であるから、有る瞬間からその言いまわしが発生したと言う事は特定できないので、ざっくりと時代区分をしてみた。

 

まず、

太平洋戦争までの昭和時代にはなかった言葉。

「意外と」「生き様」「医食同源」「ブス」

 

 他にも多数あるだろうが、なんとなく感覚的に「戦後だろうな」というものは載っていないのである。カタカナ語の大部分は、戦後生まれであろう。それにしても、ブスと言っても戦前では通じないのである。「意外と~だね」と言い回しも、戦前にはないのだ。ちなみに、「生き様」はないが、「死に様」はある。そして、例によって昭和元年~20年の間で新たに作られ、現在も使用されているものは少ないようである。多くは、昭和20年を境に「死語」となってしまったのであろう。

 

明治時代にはなかった言葉

「放送」「栄養」「牛耳る」

 

 要は大正時代に生まれたらしい言葉。「牛耳る」なんてねえ、もっと古いような気がする。「放送」も「栄養」も、科学と技術の進歩にあわせて一般化した言葉だろう。

 

 

江戸時代にはなかった言葉

「演説」「階段」「家族」「簡単」「希望」「教会」「切り札」「空気」「結局」「こっくりさん」「自覚」「時間」「刺激」「事件」「社会」「自由」「条件」「常識」「象徴」「神経」「青年」「責任」「存在」「太陽」「単純」「突撃」「生意気」「拍手」「万歳三唱」「必要」「不可能」「保険」「友情」「連絡」

 

 いったい江戸時代以前の日本人はどうやって会話していたのかと思うかもしれない。しかし、江戸時代の人間が現代にやってくるというのは、こういう基本的な語彙がない人がやってくると言う事で、もう全く違う世界の住人である事を改めて実感する。語彙が違いすぎれば、いくら文法が同じでも、考えている根本が違うはずなのである。少なくとも、現代社会で込み入った「大人の会話」はできないだろう。何気に、私たちは明治期以降に作られた言葉の中で社会生活を送っているのである。まあ、現代人と江戸時代の人との会話も、小学生低学年レベルの会話、すなわち情動を主にした関わりならたぶんできるだろう。しかし、ちょっと高度な事を話し合おうとなったら、埒が明かない場合の方が多いはずだ。改めて、明治時代の爆発的な「訳語」の普及が、その後の日本の国家建設に重要な役割を果たしたことが実感できる。とりあえず、母国語で大学まで学べるというのがアジア諸国の中で日本の強みと言えるような気がする。

 

戦国時代にはなかった言葉

「改革」「ぐにゃぐにゃ」「こんにちは」「人間」「マジ」「野菜」

 

 これは江戸時代の間に使われ始めた言葉らしい。「マジ」が今も生き残っているのが面白い。擬音語・擬態語もそれなりに命脈を保っている。まあ、黄表紙とかそんなのばかりだし。戦国時代にいくと、挨拶に「こんにちは」は使えないのである。なんとなく、もうそこは日本ではないような感覚に陥るのは私だけであろうか。さて、最後。

 

戦国時代には既にあった言葉

「突然」「時代」「調達」

 

 なんだか、妙に納得する言葉である。しかも硬派な言葉だ。なんせ、戦国時代ですからね。明日はどうなるかわからない。なんか、調達とか時代とか、明治時代に作られてもよさそうな言葉である。どうのこうの言って、戦国時代は変革期だったのだ。

 

 言葉に関しては、他にも星の数ほどあると思うし、それぞれの専門家がもっと詳細に調べていると思う。が、気になった人は、古語辞典でも紐解いて、今の言葉とのつながり(必ずしも、古典作品に出てくるような重要語でなく)をちまちまと調べて見るのも面白いだろう。ともあれ、はっきりしている事は明治は新しい言葉のバブル時代だったのである。しかも、一部の知識階級だけの話ではないのだ。おそらく、明治時代以降、日本人の語彙は、爆発的に増大したはずである。

 

ベネッセ全訳古語辞典 改訂版

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