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ZoaZoa日記

気の向くままに書き散らしてゆきます。皆さまの考えるヒントになればと思います。

20年ずつさかのぼる

 タイムスリップものでお決まりのお楽しみといえば、時代の違いで風俗が大幅に変わってしまって主人公たちが当惑する場面だろう。まあ数週間とか数年とかの時差であれば、それほどに注目される事はないが、やはり十年以上離れると過去でも未来でもいろいろ世の中は変わる(世界が滅亡していたとかいう激しいのは除き)ので、元いた時代との違いに驚くというのが定番な訳である。今年、2015年はバックトーザフユーチャーが目指した未来が来てしまったと言う事で、様々に盛り上がったようである。予想よりも進みすぎているテクノロジーもあれば、全く進歩がないものもある。

  

 スタートレックの劇場映画第4作目「故郷への長い旅」(1986年)では、エンタープライズの乗組員が未来人として現在にやってくる設定で、技術主任のチャーリーがAppleMacのマウス(今見ると、骨董品レベルのMacである)をマイクだと思ってコマンドを喋るシーンがある。公開当時は「そんなことできるか!」とお笑いネタだった訳だが、既に音声入力など普通になった現在、この映画の未来人に我々は一歩近づいていると言う事になる。まあ、まだまだバルカン人は地球には来ない事になっているのだが。

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 逆に過去に行く場合、どの程度の時間差なのかが重要になる。あまりに遠い過去だと人間の寿命は限られている訳だから、当時の状況を知る人もいなくなってくる。例えば、戦国時代にタイムスリップなどと言ったら、今生きている人にとってはどれだけ歴史に詳しくてもやはりファンタジーの世界であって、多少の時代考証のほころびがあったとしてもさして気にならないだろう。

 ところが微妙に近い過去となると、当時を生きた世代がどの程度存在するかによってリアリティが変わってくる。例えば、2007年の映画「バブルへGO!タイムマシンはドラム式」では、1990年へさかのぼるのだが、さすがに当時はたった17年前の事だから鮮明に1990年の状況・空気感を思い出す人も多く、「これはちょっと違う」とか「これはあったねえ」とか非常に些細な事でそれぞれ独自に時代考証する人も多かった。今、高校生の人は、この映画を見ても何ら「実感」はわかないであろう。2010年版の「時をかける少女」では、1974年にタイムリープする(しかし、この作品、映像化されるたびに原作の筋と違うな)。この1974年というのが非常に微妙な時期で、この映画を見た人のうち、「うわ懐かしい!」と感じた人と「こういう時代もあったのか。へえー」と醒めて見た人とは半々くらいじゃなかろうか。しかし、筒井康隆の「時をかける少女」原作は1965年の中3コースで連載が始まったと言うから驚く。まさに50年近くの時をかけ続けている訳だ。

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時をかける少女 〈新装版〉 (角川文庫)

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これが第二次世界大戦ものとなると、今となっては非常に微妙なものになる。なんせ、すでに太平洋戦争が終わって70年である。リアルに感じられる世 代は少なくなり、徐々にその作品の「演出の巧さ」で実感するほかなくなってくる。また、戦争当時子供だったという人は、戦後の生活の方がはるかに長い訳だ から、70年以上前の記憶と言うのも相当に脚色されているように思われる。そして、人間は細かい事は忘れるものなのである。名古屋空襲の日常を膨大な資料 から再現した、いとうゆきの「あとかたの街」などは、「何気ないモノほど記録が残ってないので苦労した」旨を語っている。当時は当たり前の些細なモノで も、時代が変われば本当に何も残らない訳である。それは空襲があったから資料が散逸したという事情だけではあるまい。残そうと言う意志がなければ、残らな いのである。原一男監督の「ゆきゆきて神軍」などを見ると、モノよりも、リアルに「戦争」を体現して生き続けた人間の存在の方が戦前の空気を今に伝える事 を実感する。戦後の本当に平和な長閑な情景の中に、普段は礼儀正しい奥崎謙三という人物が、非日常的な裂け目(暴力)をいきなり持ち込むのである。戦後に 生まれ育った人間からすれは「えー、それはないだろう!」という仰天するシーンばかりなのだが、戦後を一切ごまかさなかった奥崎謙三という存在は、「戦場 の空気を持ち続けた人間」ということなのであろう。いや、まあこの人、戦争がなくてもおそらくはこうだったとは思うのだが、戦争があったから益々狂気に火 がついた事は間違いないだろう。

 

あとかたの街(1)

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 ともあれ、今は当たり前と思っていても、時代が変わればいつの間にか違うものになっていると言うのはよくある事ながら、時間と言うのは連続していて、とびとびではないので、なかなか日常が変わってゆく事に気付かないものなのである。しかし、人々の生きざまや社会制度などは評価も人によって違うのでなかなか落ち着いて捉えることが容易でない。よって、モノに限定して考えて見たいと思う。モノなら具体性があるからわかりやすいであろう。

 と言う事で、備忘録の意味も込めて、今現在、家にあるモノ(自分の家にあるとは限らない)で20年さかのぼる毎に何が消えてゆくかを見てゆきたい。食べものの具体的商品名が多いのは、単に調べやすかっただけの話である。

 

20年前:1995年にタイムスリップすると消えるモノ

スマートフォン液晶テレビ、USBフラッシュメモリー、SDカード、デジタルカメラ、DVDデッキ、DVDソフト、LED電球サイクロン式掃除機、ハイブリッド自家用車、家庭用ドラム式洗濯機キシリトールガム、じゃがりこ

 

 はっきり言って、これらがすべて存在しない家というのは今でもあると思う。二十代以下の世代にとっては、これらがない生活は考えられないだろうが、高齢者にとっては全くあってもなくてもいいモノばかりである。まあ液晶テレビが微妙だろうか?しかし、テレビならなんでも良いと思うので液晶じゃなくてもいいだろう。あと、菓子のヒット商品が少ないのは、商品企画が飽和状態にあるということであろう。もう無理して新しい商品を作らなくてもいいと思う。

 

40年前:1975年にタイムスリップすると消えるもの

パーソナルコンピューター、プリンター、携帯電話、ワープロ、電子ゲーム機、CD、CDプレーヤー、ビデオ、ビデオデッキ、石油ファンヒーター、家庭用ファクシミリ、赤外線リモコン、IHクッキングヒーター、蛍光灯電球、ポストイット、ウォシュレット、使い捨て紙おむつ、使い捨てカイロ、イソジンうがい薬、ウーロン茶、ガリガリ君、おーいお茶、果汁グミ、おっとっと、雪見だいふくパイの実コアラのマーチ、トッポ、たべっこどうぶつ、カルビーポテトチップス、カントリーマーム、ポカリスエット六甲のおいしい水、いちご大福、カロリーメイト、ペットボトル、アルミ缶、バーコード付きの書籍、無印良品すべて

 

 他にもなくなるモノは沢山あるような気もするが、たぶん大したモノではない。今から見ると何とも言えないモノが多い。パソコンの存在がやはり大きいので、それ関連の情報機器は必要と言えば今でも必要ではあり、その後の生活様式の方向性を決めた重要なモノも多いのだが、なんだろうか、このもやもや感は。何か地に足がついてないというか、はっきりとした存在感がないというか。やはり、途中にバブル期があるせいだろうか。食べものも、何か王道ではなくデザインや健康志向になってゆく感じをうける。

 

60年前:1955年にタイムスリップすると消えるもの

電気冷蔵庫、電気掃除機、電気洗濯機、電気炊飯器、電子レンジ、電気こたつ、ガスコンロ、クーラー、テレビ、自家用車、キャッシュカード、電卓、デジタル時計、プッシュホン、アルミサッシ、ステレオ式のオーディオ、ステレオ録音のLP、カセットテープ、石油ストーブ、サインペン、筆ペン、ジャポニカ学習帳、ピット(スティックのり)、テイッシュペーパー、安全ピン、ナプキン、コンタクトレンズバファリンパンシロン、ブリーチ、ママレモンクレラップごきぶりホイホイ、ベープマット、タッパーウエア、ポリタンク、ポリバケツ、レジ袋、使い捨てライター、のりたま、インスタントコーヒー、コーンフレーク、エンゼルパイ、チョコフレーク、チョコボールきのこの山、マーブルチョコレート、チェルシー、クールミントガム、ガーナチョコレート、ホワイトロリータルマンドプッチンプリンプリッツ、ポッキー、かっぱえびせん、カール、柿ピー、缶コーヒー、ネクター、コカコーラ、ファンタ、チキンラーメン出前一丁サッポロ一番カップヌードル、オロナミンC、ボンカレー、シーチキン。

 

 おそらく1955年~1975年の間にこの世に出てきたものはこの他にも数限りなくあると思う。それこそ延々と。というか、今の家庭から、この間に登場したものがいっさいなくなれば、ほとんど何も残らないのではないか。高度成長時代という言葉をさんざん聞かされ「はあ、そうですか、所得倍増の時代なんですねえ」とか知ったような口を聞く人も多い訳だが、こうして具体的なモノを並べると圧巻である。いや、本当に家から何もなくなるくらいに、今の生活の基盤となっているモノが多い。菓子・食品類だけを見ても未だ王道を邁進しているものが勢ぞろいである。さて、次の20年間はどうか。

 

80年前:1935年までタイムスリップすると消えるもの

インキ消し、写真用フィルム、ブラジャー、ナイロンストッキング、セロテープ、ボールペン、LPレコード、三菱色鉛筆、ポスターカラー、ギターペイント、ホッチキス、マジックインキ、絆創膏、ほ乳瓶、トイレボール、キンチョール、オロナイン軟膏、白元アリナミン、ルル、トラベルミン、パイン飴、明太子、ヤクルト、フルーツ缶詰、サントリー角瓶、黄金糖、江戸むらさき、魚肉ソーセージ、パラソルチョコレート、カンロ飴、バターボール、アーモンドグリコ

 

 上記にあげたほとんどは1945年~1955年の間に登場したものである。1935年~1945年の間はほとんどなにも消えるものはない。その間は、破壊と我慢の時代だったので民生用の新しいモノは何も生まれてないのである。ともあれ、それはそれでこれまた微妙なものがなくなってゆくものである。何か、一応、何かやろうと思った時の必需品もあるのだが、ちょっと本筋から外れているというか、なんというか。さて、さらに次の20年はどうか。もう、はるか彼方である。

 

100年前:1915年までタイムスリップすると消えるもの

電球ソケット、ゴム底地下足袋、輪ゴム、クレパスハクキンカイロ、カネヨクレンザー、ハエ取り紙、ロゼット洗顔パスタ、牛乳石鹸バスクリン、トクホン、メンソレータムケロリンキンカンパブロン強力わかもと、オブラート、粉ミルク、キューピーマヨネーズ、カルピス、昆布茶、森永ミルクチョコレート、サイコロキャラメルボンタンアメ、グリコおまけ入りキャラメル、カルミン、マリ―、都こんぶ

 

 医薬品、食品が多い。それも今でいえばヨーロッパあたりの地味な雰囲気のモノが多い感じである。仮にこれらの物品がなくても、特に生活には大きな支障はないような気もする。何か、去年あたりに「新発売!」とかでも普通に通じそうな品々ばかりだ。輪ゴムも、元々なければいろいろ工夫すると思うし、その中で輪ゴムが新発売になったら、「お、これ便利!」という事になりそうだ。「なぜ、今までなかったのか?」という新商品はまだまだあるので、意外と輪ゴムというのは、たまたま初期に思いついたと言う事のような気がする。ただ、電球が使えないのはちょっと困るかもしれない。それから、ゴム底の靴がないのもなかなか辛いだろう。というか、1955年~1975年の山を超えている訳であるから、本当に今あるモノはほとんどない世界なのである。その中で、カルピスとかキンカンがあったら、遠い未来へつながってゆくような何かとてつもなく懐かしい感覚に陥るのではないだろうか。まあ、瓶のデザインとかはえらく違うとは思うが。

 

 ついで言うと、1915年に戻っても、まだ消えてないモノ。つまり、1915年時点で既にあるモノは、

 

腕時計、任天堂トランプ、亀の子たわし、渦巻き型蚊取り線香、正露丸、仁丹、味の素、森永ミルクキャラメル、三ツ矢サイダーリボンシトロン、赤玉ワイン、銘菓ひよこ、二〇加煎餅、中村屋クリームパン、三菱鉛筆、小岩井純良バター、カゴメトマトソース

 

などなど。

 

一部、ローカルなものもあるが、まあやはり食品・医療品が大半で、なんとなく威厳もしくは情緒のあるものが多い。

 

 ということで、モノに焦点を置いたタイムスリップの物語があれば、非常に面白いように思う。というか、商品名がどんどん出てくるのはフィクションとしてはちょっと微妙だろうか?