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ZoaZoa日記

気の向くままに書き散らしてゆきます。皆さまの考えるヒントになればと思います。

健康食品は嗜好品の一種である 前篇

 世に流布している健康法の中で「何かを食べる」というのは定番中の定番であろう。「何か」はポリフェノールであったり、酵素(?)であったり、コラーゲンであったり、アガリスクだったり、まあよくもこれだけ様々なものを「健康」と結び付けられるなあと感心する。そういう「何かを食べて健康になる」いわゆる「健康食品」というのを聞くたびに疑問に思うのは、「そのあるものを食べると、どのようなメカニズムで健康になってゆくのか」ということである。そもそも「健康」とは何か。

 国際保健機構(WHO)の定義する「健康」は「完全な肉体的、精神的及び社会的福祉の状態であり、単に疾病又は病弱の存在しないことではない」らしいが、そんな事をいったら、本当に「健康な人間」などかなり限定的になってしまうので、まあ、常識的に「病気せず、いつまでも若々しく、気持ちも充実している状況」を「健康」としよう。そういう「健康」なら「あるものを食べたら、なんか調子が良くなった」という実感さえあれば、当人は「健康になった」と思えるであろう。とにかく気分は良くなったのは事実だから、どんな変化が起こったメカニズムなど当人にとっては、どうでもいい事かも知れない。結果第一。理屈をいくら言っても、実感ができなければ存在しないも一緒なのであろう。ということで、新聞のチラシ広告などによくある、どう見ても無茶苦茶な原理説明の図やグラフなども、それに疑問符をつける人はそうそういない。それよりは「体験談」の文章中のリアルな言葉の方が重要なようである。実際、効いている人がいるのだから、自分も試してみようと言う事になるのだろう。

 

 しかし、私は納得がいかないのである。仮にAという食品を摂取して、何か身体の変化がすぐさま起きたとする。そうなったら、それは食品というよりも薬理作用のある物質、すなわち「薬」に近いものであって、人によっては副作用が出るものかもしれず、それなりに慎重に摂取しなければならないような気がする。逆に、なんらかの身体の変化がすぐには起きないならば、それは事実上、通常の食品と変わらないとも言える。例えば、人参だってずっとしつこく毎日食べ続ければ、肌の色だって変わってくるのである。では、人参は健康食品か?やはり、いわゆる健康食品とはちょっと違う様な気がする。健康食品というのは本当に必要なものなのだろうか。普通の食事をしていればいいのではないか。

 さて、普通の食事と書いてしまったが、何が「普通」なのかは案外と難しい話である。地域や国が違えば、食べる物の種類が根本的に違うし、世代間でも食の好みは変わってくるだろう。時代によっても変わってくる。あるいはライフスタイルによっても全く違った食生活が展開することもありうる。それは北岡正三郎「物語 食の文化」に大抵のことが書いてあるので、参照されたし。この本は、食べると言う事に人類だがどれだけ貪欲に工夫してきたを実感できる良書である。

 

物語 食の文化 - 美味い話、味な知識 (中公新書)

物語 食の文化 - 美味い話、味な知識 (中公新書)

 

 

  しかし、いくら食の多様性があるとしても、共通する事は、何かしら食べているから人間は生きているという事である。私たちの身体状況を形作る大きな要因として、日常の食事がある事は言うまでもない。ときおり断食を続けているとかいって、数年間も何も食べてないと言う人もいたりするが、あれは実際の所どういう原理で生きているのかよくわからない。なぜ即身仏とならずに、普通に生きていられるのか。その数年間の生活の様子を一秒たりとも空白を作らずにビデオ記録して欲しいものである。 

 

日本のミイラ信仰

日本のミイラ信仰

 

 

 余談になるが、それなりに肥満な人が「そんなに食べてないのになんか太っちゃうんだよねえ」とか言っていて、「そんなアホな」と馬鹿にしたら「本当に食べてないんだって。普通だって」と強調するので、「そういう体質の人もいるのかな」と無理に納得しようと思ったのであるが、別の目的で数日間一緒に生活を共にしたら、やはり食べる時はやたらに食べていて、それが当人にはあまり意識に登っていないようであった。人と接する日常の中では、食べる量に何か抑制がかかっているようであるが、一人になると地道に無意識のうちに食べ続けていると言う印象である。こういった肥満の人の盲点とも言うべき部分を指摘したのが岡田斗司夫のレコーディングダイエットである。その過程は「いつまでもデブと思うなよ」に詳しい。とにかくその日に食べた物を記録してゆくという手法で、肥満な人でなくても、人は案外と一日のうちに何を食べたのか曖昧なものである。ともあれ、無から有は生じないのである。

 

いつまでもデブと思うなよ (新潮新書)

いつまでもデブと思うなよ (新潮新書)

 

 

  話を戻すと、人間は動物であるから、自分の身体が維持できるような物を食べて生きている。身体の維持というのには二つ意味があって、一つは生物として活動できるようなエネルギーを得ると言う事。もう一つは、身体の構造を形成し続けるという事である。つまりは、私たちは、身体のエネルギー源と素材を食事から得ているということになる。まあ、当たり前すぎると言えば当たり前の事なのだが。ちなみに、物質的に言えば、そのエネルギー源とは糖質と脂質である。そして、素材はタンパク質、脂質、無機物(ミネラル)である。糖質、脂質、タンパク質、無機物を三カ月以上1ミリグラムたりともいっさい摂取しなければ、冬眠できない恒温動物である私たちは、生命活動に必要なエネルギーも得られず、新たに細胞を作る事もできず、死んでしまうだろう。

 初期の栄養学においては、この三大栄養素+無機物がどのように身体に消化吸収および利用されるかが研究された。しかし、それだけではどうも身体を健康に保つには足りない事が段々とわかって来た。三大栄養素+無機物を充分に与えても、様々な身体不調が起こる場合があるのだ。他に何か身体を維持するのに必須の要因があるのではないか。様々な食品の有無によってどんな物質が身体を維持するのに必要かが調べられた。そして、生命活動をより円滑に進めるために微量でも摂取しなければならない有機化合物があるらしい事がわかってきた。そのような微量でも身体維持に寄与する有機化合物をビタミンと呼ぶ

 最初に発見されたビタミンは、チアミン(ビタミンB)と言う物質で、物質そのものは鈴木梅太郎が最初に同定した。1911年、明治44年の事である。このビタミンが不足すると脚気になる。チアミンが多く含まれる玄米を食べれば脚気の症状は軽くなるので、当時「脚気を改善する奇跡の健康食品!」として、玄米を大々的に売り出せば大儲けが出来たかもしれない。実際にはそういう商売をした人がいたという記録はない。当時は玄米などありふれた食材だったから、普通に米を食べていればいいだけだったからだろう。その後、様々な役割をもったビタミンが発見され、現在では約13種類程度存在する。一般的に微量で必要十分なので、現代の通常の食事をしていれば根本的に不足する事はない。しかし、極端に偏った食生活を送っていると、何らかのビタミンが全く摂取できずに身体の不調が出てくる場合もある。

 

脚気の歴史(やまねこブックレット)

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ビタミン・ミネラルの本 (Tsuchiya Healthy Books―名医の診察室)

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  通常、糖質、タンパク質、脂質、無機物、ビタミン、いわゆる五大栄養素がそのまま健康食品となる事は少ない。それらの栄養素(最近になり糖質はそれほど重要ではない流れに世の中はなりつつある)を摂取しなければ身体を維持できないのであるから、ある意味「健康にする」のに大いに寄与しているはずなのだが、お節介な健康オタクから「卵は身体にいいからどんどん食べた方がいいよ」とはまず言われない。それは、よほど非常識な食事をしない限り、通常の食生活で摂取できる食品であるから、改めて「健康食品」と言うまでもないからであろう。例えるなら、自動車を走らせるのに「ガソリンは車にいいから、ガソリンを入れた方が良く走るよ。あとオイルも入れておけばエンジンがスムーズに動くよ」と言う様なものである。ガソリンもオイルも自動車には必須のものであって、自動車を走らせる前提となるものである。

 

図解雑学 自動車のしくみ (図解雑学シリーズ)

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 すなわち健康食品は、必須栄養素を含む食品ではない。場合によっては、必須栄養素が過剰に含まれている事が売りになっている場合もあるが、それは健康食品というよりも、栄養補助食品すなわちサプリメントと呼ばれるもので、純粋な健康食品とは言えないような気がする。さて、必須栄養素でないとするなら、健康食品は人間が健康な身体を維持するために必要なものなのだろうか?

後編に続く。