ZoaZoa日記

気の向くままに書き散らしてゆきます。皆さまの考えるヒントになればと思います。

食べ物で観る「この世界の片隅に」 ② ‐コメと代用食‐

「腹が減っては戦はできぬ」とはよく言うものの、その腹を満たすのはやはり「主食」と呼ばれるものであろう。②ではコメと代用食について思いつくままに書く。

 

<コメ> 稲Oryza sativa

 米は戦前の日本人の主たるエネルギー源であると同時に、文化的な支柱とも言える部分も強く、戦争中の「白米への渇望」についての描写は様々な物語でなされてきた。

 しかし「この世界の片隅に」ほど戦前日本人の米信仰を丁寧に描いた作品はなかなかない。お茶碗の中にある米の比率や状態を時系列できちんと変化させ、楠公をはさみつつ、闇市で台湾米を登場させ、サンがコツコツと瓶搗き精米してきた「真っ白な米」を玉音放送の晩に電灯の下で食べ、最後に広島駅にいたヨーコさんをおにぎりが引き寄せる。「米がなければラーメンを食べればいいのでは」と素朴に思う若い人がいてもおかしくない現代ではあるが、この作品をじっくり鑑賞することで、当時は明けても暮れても米一択であり、いかに米中心で食生活が回り、米不足がどれだけ食生活を空虚な状態にしていたかを追体験できるだろう。

 その米中心主義は楠公を自分で作ってみるとさらに実感できる。楠公飯、好みはあるだろうが、水を吸ってふやけたポン菓子のような食感で、味付けや具を工夫すれば日常食として個人的には全く問題ない。しかし、それは現代の食の感覚であって、当時の人は「米の増量法」としてやってみたものの、「貴重な米を無駄に使ってしまった。少量でも普通に食べた方が良い」という感覚の方が強かったことだろう。そんな事もあって、大々的に普及せず「戦時中と言えば楠公飯」とはならなかったのだろうと思う。作品の中で描かれている失望感は、「純粋な味の問題」というよりも「米特有の充実感・食感の喪失」の側面の方が大きかったように思う。なお、楠公飯は玄米を使うので、白米よりも多くのビタミン・ミネラル・食物繊維も摂ることができる。しかし、戦時中はそんな事は関係なく、とにかく白米を腹いっぱい食べたいのである。今でも健康食と称して病院や施設の献立に玄米を出すと「こんなものを食わせるのか!」と激怒する後期高齢者がいるものだが、そう言いたくなる気持ちはわからないでもない。食と言うのは栄養だけでは語れないのだ。

 米と言えば、日本酒も忘れてはならない。作品の中では、すずさんの婚礼の膳と第二エンディングのリンさんの回想場面で出てくるが、当時の経済統制の状況を考えると、精米歩合65%以上・アルコール添加の清酒である可能性が高い。ただ、粗悪日本酒の代名詞ともいわれる三倍増醸清酒は当時まだ国内にはそれほど流通してないはずなので、すずさんたちが飲んだ日本酒は現在なら「糖類無添加本醸造酒」に近い品質のものだったと思われる。銘柄は言うまでもなく三宅本店の「千福」であろう。余談になるが、三倍増醸清酒の製法を戦前に積極的に研究していたのが実は三宅本店の満州の系列会社、満州千福醸造で、その時のノウハウが呉空襲でほとんどの蔵を失った三宅本店の戦後復活の礎になったそうである。なお、「千福」と言う銘柄は1916年に登場し、奇しくも「この世界の片隅に」の公開年である2016年に100周年を迎えていたのである。

 

<代用食>

 戦時中、特に末期に米の代わりとなるエネルギー源、すなわち代用食は主にサツマイモ(甘藷・Ipomoea batatas )、カボチャ(南瓜・Cucurbita moschana )、ジャガイモ(馬鈴薯Solanum tuberosum )の三つである。よって、仮に歴史のいたずらで、この三つの作物がもし日本になかったなら、大戦末期には国内で大量の餓死者を出した事は確実であろう。

 特にサツマイモは江戸後期の飢饉において多大な貢献をしたと言われているように、食糧難の戦時中にも大活躍し、「この世界の片隅に」では茶碗の中身としてたびたび登場する。ただし、戦後に品種改良されたベニアズマのような繊維質の少ないホクホクのサツマイモを想像しては駄目なのであって、当時の瀬戸内沿岸ではおそらくは「七福」と呼ばれるコロコロした品種が流通していたと思われる。また、サツマイモは葉や茎の部分も食べられ、芋よりもビタミン類やアントシアニンが含まれるので密かに北條家の健康維持に役立っているはずなである。すなわち、サツマイモは米に代わるすずさんたちの生命維持に多く聞く貢献していた作物であったのだ。

 カボチャは、晴美さんに落書きをされたり、懐妊が疑われた朝の「はい!二人分」の茶碗に入っていたり、玉音放送で泣き崩れるすずさんの傍らにあったりと、それなりに重要な場面で登場する。形状からして、ニホンカボチャだと思われる。作物としてのカボチャは根菜類に比べ、畑から盗まれやすいという欠点があるが、ビタミンAやカロテノイドが豊富な事から夜盲症の防止となり、灯火管制下の夜間の空襲が常態化している状況では、ある意味で理にかなった食材と言える。

 ジャガイモは「刈谷さん監修料理」や空襲で焼き出された人のおすそわけで登場し、縁側のサンの「みんなが笑って暮らせれば…」や径子さんアイスクリーム回想などのシーンで芽摘み作業でも登場する。ご存じのようにジャガイモの芽にはソラニンという有毒成分が含まれるので、戦時下といえども芽摘みは入念に行う必要がある。ともあれ、食材として何気によく使われていた事がうかがえる。こうしてみると、ジャガイモ、食材としては影の四番ピッチャー的な存在だ。ちなみに、欧米ではジャガイモは貧窮作物としての歴史があるので、豊かなはずの進駐軍の残飯にも浮かんでいる。

 以上、三つの作物はすべて元をたどれば中南米原産であり、栽培が比較的容易という共通点がある。特にカボチャは、本当に農作物かと思うくらいにほっておいても勝手に実をつけるので、戦時下の作物としては救世主だった事は想像に難くない。が、あまりにあらゆる場所で作らされたせいか「二度とカボチャは見たくない」という世代を作ってしまった要因でもある。はたして、すずさんたちは戦後に食糧事情が豊かになった後でも、晴美さんの思い出や玉音放送とセットになった嫌な顔をせずカボチャを食べ続けただろうか。

 まだ余裕ある頃には、コムギ(小麦・Triticum aestivum )を原料とした饂飩やマカロニなども代用食として活用したようだ。原作でも、炭団の代用品を作る回で饂飩が登場する。ただ、小麦粉といっても、現在のような真っ白な粉でなく、戦争末期には様々な雑穀・大豆粉や糠・ふすまなどが混入している実態不明の代物となっていたため、饂飩と言っても現代の私たちが想像するものとは違うだろう。よく「戦時中を体験しよう企画」などで「代用食の『すいとん』を再現しました」など言うのも、正体不明の小麦粉が手に入らない以上、当時の「すいとん」を忠実に再現するのは実は難しい。というか、ほぼ不可能であろう。食というのは、多かれ少なかれ一期一会なのであり、戦前まで遡らずとも、20年前の饂飩と現在の饂飩とを比較しても微妙に違うはずなのである。

 ということで、この作品で登場するまっとうな小麦製品は、お盆の草津の昼食の素麺(冷麦かもしれない)と進駐軍の残飯に混じっているパスタくらいであろう。とはいえ、やはり米第一主義の中にあっては、パン類・麺類は食生活が豊かになった戦後にその地位が徐々に高まったといえるだろう。今でも駅前の大衆食堂などで「ラーメンライス」などというメニューがあるのは米第一主義の名残のように思える。

 

③では、副菜となるような、野菜・野草・ダイズについて書いてゆく。