ZoaZoa日記

気の向くままに書き散らしてゆきます。皆さまの考えるヒントになればと思います。

食べ物で観る「この世界の片隅に」 ① ‐ノリ・タンポポ・ダイコン‐

 食い意地が張っているので「この世界の片隅に」に登場する食べ物については公開初日で見た時から密かにあれこれ気になっていたのである。とはいえ、情報量が膨大すぎる作品なので、映画館で何度見てもわからない事もあり、食べ物に関しては少々もやっとしていた時期があった。しかし、ブルーレイも発売され、原画集も出版された現在、様々な疑問が解決してきたので、「この世界の片隅に」に登場する食材について(少し大風呂敷でひろげて多少「栄養学」の視点も含めた)備忘録のようなものを6回に分けて書いてみたい。

 今は映画館のみならず様々な媒体で日々この作品「初観賞」の人々は増えているわけで、そんな人のためにもこの作品の奥深さをお伝えできればと思う。

 

 

 とはいえ、例によって、あくまで私が作品を鑑賞して「認識できた」ことしか書けないので、知識不足な点や根本的な誤解などが多々あるとは思う。言うまでもなく、一番詳しいのは片渕須直監督&浦谷千恵監督補そして原作者こうの史代さんなのであって、「この世界の片隅に」愛好者にすぎない私があれこれ細かな事を書くのは戦々恐々なのは今も変わりはない。間違い等の御指摘があればありがたし。

 

 ①ではこの作品において、重要な役割を持つ食品「ノリ」「タンポポ」「ダイコン」を記していこう。なお、参考までに食材となった生物の漢字名・学名も載せておく。

 

<ノリ> 海苔・Pyropia tenera

 海苔は、この作品を象徴する最も重要な食材であろう。なんといっても、「この世界の片隅に」と言う作品は、すずさんの海苔のお使いに始まりヨーコさんの海苔のおにぎりに終わる物語なのである。

 海苔は栄養の点で見れば、あらゆる栄養素が含まれたかなり優秀な食品である。人体に必要なミネラル・ビタミン・アミノ酸・必須脂肪酸・食物繊維などがほぼ完璧に含まれている。ただし、何百グラムも大量に食べるものではないし、重量当たりのエネルギー量も小さいので、「海苔だけ食べて生きてゆく」というのは無理である。そもそも何百グラムも食べれば、微量ミネラルを過剰摂取する事になって弊害の方が大きくなる。ただ、適量食べることで、他の食品では摂取の難しい微量ミネラルを得ることができるので、食卓に海苔があるかないかでは、栄養学的にはだいぶん様子が変わってくる。

 すずさんが海苔摘み・海苔漉きをしている場面でてくるが、戦前の海苔は「養殖」というより「天然ものを採集している」といった感じものだ。というのも、アサクサノリという藻類の実態がよくわかってなかったので、計画的に人工養殖する事が難しかったのである。そんな背景もあり、当時、海苔は高級品であった。高級品であるからこそお歳暮・お中元の代表選手だった訳であるし、すずさんがなぜ海苔を中心街の料亭にわざわざ届けに行ったのか少し実感できるのではないだろうか。

 戦後、英国の藻類学者K.M.Drew-Bakerによってアサクサノリの全生活史が解明され、その知見をもとに熊本の天草で初めて海苔の人工養殖が可能になった。そこから、計画的な生産ができるようになり、海苔は庶民でも気軽に購入できる食材となった。桃屋の「ごはんですよ」があの価格で購入できるのは戦後の海苔養殖技術のおかげなのである。

 

タンポポ> 蒲公英・Taraxacum sp.

 タンポポを食品にカウントするのは微妙な人もいるかもしれないが、「マイマイ新子と千年の魔法」から引き継がれる、この作品になくてはならない重要なアイテムであることには異論はないだろう。現在では野草マニアでない限り食する事は少ないとは思うが、どこにでも目立って生えているので「食べられるかな」と思われがちな野草の筆頭格とも言える。実際、好みは分かれるもののちゃんと下処理をすれば普通に食べられるし、薬草やお茶としても使われる。というか、すずさんの野草料理の餌食になった他の植物も、多かれ少なかれ薬草であって、図らずも北條家は毎日「薬膳」を食していたことになる。

 あっさり「タンポポ」と書いてしまったが、作品を見た人なら「白いタンポポ」という事が印象に残っている事だろう。セイヨウタンポポTaraxacum officinale )が圧倒的多数の現在、白いタンポポを探すのは苦労する事だろうが、本来、日本のタンポポには非常に多くの種類があり、その分布や分類も一筋縄にはいかない。とりあえず、北條家周辺に咲いている白いタンポポは地理的な位置・時代背景・総苞片のつきかた・種子の色などから、シロバナタンポポTaraxacum albidum )である可能性が高いと思われる。しかし、岡山や広島東部にはシロバナタンポポに似たキビシロタンポポTaraxacum hideoi )が、東北にはオクウスギタンポポTaraxacum denudatum )などが分布しているので、地域によっては白いタンポポをみつけたからといって「すずさんが愛でたのと同じ白いタンポポ」であるとは言い切れない事もあるのが難しいところだ。

 

 

<ダイコン> 大根Raphanus sativus

  大根はかなり様々なシーンで登場する。家の軒先によく干されているし、漬物おかずとしても食卓の常連だ。カブ(Brassica rapa var. glabra )も何気なく幾度か画面に登場する。今と同じで、基本は大根と同じ扱いであろう。

 個人的に最も印象的だったのは江波から呉に帰る時にすずさんが背負っている大根だ。実は原作では周作が大根を背負っている。さて、すずさんに大根を背負わせた監督の意図はいかに?

 これはあくまで私の個人的な想像であるが、縁談話を聞いてすずさんがあわてて江波に戻る時に水原哲と鉢合わせする場所が大根畑なのである。そして、年度は違えども、水原哲の入湯上陸の事で周作さんと列車内で喧嘩する時に背負っているのが、その江波の大根なのである。つまりは、すずさんは意識してないにせよ、大根は江波と水原哲をつなぐ作物ということになるのかもしれない。そして、終戦後。刈谷さんの物々交換リアカーにも大根がそれなりの数「搭載」されている。言うまでもなく、それは江波の大根ではない。そして、そのリアカーは重巡洋艦「青葉」を眺める水原哲の後ろを通り過ぎる。江波と水原哲をつなぐ「何か」は違った種類のものになったのだろう。

 大根はエネルギー源にはほとんどならず、日々の食卓の「かさ増し要員」な訳だが、実は隠れた栄養供給源としての側面がある。それは根ではなく葉の方だ。いわゆる大根菜である。カボチャでも出てきたが、ビタミンA、カロテノイド、その他ビタミン・ミネラル摂取に大きく貢献しているはずだ。まとまって収穫できる野菜が限られている以上、大根葉は貴重な微量栄養素の宝庫だったであろう。ということで、すずさんが背負っている大根もしっかりと葉がついている。

 原作では晴美さんとの種まき競争、映画では「藍より蒼き♪~」と空の神兵を晴美さんと歌いながらの畑作業で芽生えとして登場するコマツナ(小松菜・Brassica rapa var. perviridis )もカブや大根と同じくアブラナ科の作物で、栽培も容易で、似たような栄養供給源となる。

 なお、こうの史代さんが飼育していた(最終的に逃亡した)インコの名前が大根の別名の「すずしろ」である。元素名と同時並行で、このインコの名前もまたすずさんの名前の由来になったという説もある。そう言われると、こうの史代さんが飼っていたインコ(すずしろ)の凶暴さやどこにでも雑草のように根を張る大根は、すずさんのキャラクターと相通じるものがあるかもしれない。

 

 続く②では、米と代用食などについて書いてゆこう。