ZoaZoa日記

気の向くままに書き散らしてゆきます。皆さまの考えるヒントになればと思います。

改めてもう一度みたい「君の名は。」

 人の記憶は全くあてにならないのは重々承知しているつもりだが、いざ自分の事になると「忘れた事」の自覚がないから始末が悪い。思い出せない事は、私の中ではない事になっているから、見落とした事自体に気付かない。で、改めて「事実」を提示されると「そう言えばそんなこともあったな」とようやく思い出すのである。つまり、完全に最初から認識してないのでなくて、一旦は情報を入力したのに、それが全く引き出せなくなっているのだ。

 

 何の事を言っているのかというと「君の名は。」についての自分の記憶である。前の記事を書いた後に、小説版「君の名は。」を読んでいたら、映画の中で「これあったよ、なんでコレを忘れてるんだよ、自分」と言う事がかなりあったのである。

 

 

 

 

 自分なりにショックだったのは、神社の縁起が焼失した原因「繭五郎の大火」のことをすっかり忘れていたことだった。結構、インパクトのある名称で、映画を見ている時は「まゆごろう、か」と苦笑したはずだったのに、すっかり忘れている。神社や湖の名前もやはり「宮水神社」「糸守湖」だった。ということで、前の記事は部分的に改正した。

 また、映画の台詞と小説の台詞とが完全に一致ししているかどうかは定かでないが、なんとテレビの解説で「ロシュ限界」という言葉まで出ている。これは私の記憶には全く残っていない。そこまでもし厳密に映画で言及しているなら、作品全体の厳密性を統一する意味で、山本弘氏の言うように確かに「彗星軌道のミス」は非常にもったいないと言う気もする。

 

本編を補完する「Another side :Earthbound」

 さて、欠落した記憶を渇求する立花瀧のように、私もまた映画だけでは想像で補うしかなかった事柄を求めて、「君の名は。Another side :Earthbound」を読んだ。

 第1話:瀧、第2話:テッシー、第3話:四葉、第4話:三葉の父(俊樹)の視点による、いわゆるスピンオフの内容だ。これが、本当に映画の「欠けたピース」を見事に補完する物語で、自分なりに腑に落ちる事だらけで、ある意味、本編と同じくらい感動した。というか、第4話の宮水俊樹の物語などは個人的にはある意味本編より面白い。

 まあ、意地悪く言えば「本編だけですべて理解させるべきでは?」という気もするが、作品の奥行きを別の媒体で知るというのも楽しいものである。そして、前の記事で私が自分勝手に妄想していた事の裏付けが取れたと言う満足感もある。そして、案の定、想像以上に新海誠が物語を作り込んでいることもわかる。ほんの少し内容を紹介しよう。

 

 

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瀧について:「ブラジャーに関する一考察」

 本編のみをちょっと醒めた目で見ていると、「瀧がかなり間抜けに見えてしまう」事はある意味避けられない。「もっとはやく電話連絡しろ」とか「なんで紙のメモを残さないんだよ」とか「糸守町の三年前の災害に思い至らないとかありうる?」とか「あれだけ特徴的な場所をなぜ地図で確認できないの」とか言い出したらきりがない。しかし、そういった瀧の間抜けさは、見えている側が「神の視点」になっているから見えてしまうものである。もっと平たく言えば、いわゆる「志村!後ろー、後ろ!」の視点だ。だいたい、人間というのは自分の事は棚に上げて、人の事は良く見えるものである。岡目八目。

 それにしても、瀧は間抜けすぎないか。そう思った人は、Another sideの第1話を読めばいい。結論から言えば、「もともと瀧は間抜けな奴」だったのである。身も蓋もないがそう言う事だ。例えば、彼は三葉に指摘されるまでブラをつけないで登校しているのである。そして、体育では、ブラなしのままバスケで大活躍。当然、男子の視線釘付けなのだが、なぜ釘づけになっているのか自覚がない。つまり、かなり想像力や観察力が欠如しているのだ。小説版では「試してみたけれど、電話やメールは通じない」という設定になっているのだが、それでも東京の自宅で紙に記録を残さないというのは、ブラをつけるという発想すら出てこない瀧なら十分にありうる。そして、三年前の災害の事も、飛騨地方の地理的な感覚も、たぶん都会育ちの彼の日常にとっては、「別世界」のことだったのだろう。ただ、自分の「かたわれ」である三葉への想い(実際には「何か思い出すべき誰か」)だけで、深い考えもなく、スケッチを描き、探す当てもないあの場所を探しに行くのである。

 中には「瀧と三葉が相思相愛になる過程があまり描かれていない」という感想もあったが、心身交換を繰り返している二人な訳だから、ある意味、それぞれの自己愛を少し拡大するだけで、容易に相思相愛になるだろう。Another sideでも、三葉の身体に入った瀧が、鏡で三葉の姿に思わず見とれるという描写がある。そして、いくら瀧が間抜けであっても、糸守町の巫女としての重責すなわち糸守町の地縁(Earthbound)という圧迫感を嫌でも感じ、三葉の健気さを好ましく思ったに違いない。二人は互いに別個の人間としては会えないけれども、身体だけを通して交流を続けている訳で、皮肉な事に、普通の男女よりも精神的な距離を縮めるのはさして時間はかからないだろう。そして、龍神山の外輪山で、一瞬ではあるが、二人は事実上「一身一体」すなわち「両性具有」のような存在になる。そして、「彼は誰時」を過ぎ、それぞれは、また別個の人間として別れ、互いを求め合う存在に戻るのだ。ほとんど、プラトンの「饗宴」でアリストパネスが語ったとされる男女の愛の起源に通じるものがある。

 

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テッシーについて:「スクラップ・アンド・ビルド」

 テッシーこと勅使河原克彦は、メカに強い多少オカルト好きの高校生である。父親は地元の建築会社の社長。当然、町長の宮水俊樹(三葉の父)とも悪い意味でつながりがある。彼自身は父親と町長がつながっているのは、不健全だとも感じている。悪い奴ではなさそうだ。主人公ではないから、本編だけみるなら、その程度の情報しかテッシーには与えられない。そんな彼が三葉の言葉を信じて、いきなり変電所爆破を実行する訳だから、かなり唐突というかリアリティがない。ほとんど「数学できんが、なんで悪いとや!」の「高校大パニック」の世界である。

 しかし、Another sideの第2話を読むと、彼があの行動をとるに至った背景がわかる。彼は地方特有の町に充満するあまりの閉塞感に押しつぶされそうになっていたのである。そうであれば、今の高校生なら地元を離れて都会へ行く訳だが、彼は非常に責任感も強い。建設会社の社長の息子ということで、会社を引き継ぐ事は予め決められた事だ。それに反抗して勘当されても都会へ出る程に、テッシーは自分勝手ではない。自分の生まれ育った場所、糸守,町を愛しているのだ。ただ、現状では未来がない事も充分にわかっている。自分が社長になった時には、過去のしがらみ(Earthbound)で身動きとれなくなったこの町を根本から作りなおす。スクラップ・アンド・ビルドだ。手順として、そのためには一旦、すべてを更地にしないといけない。「地震や大火事が起きれば、この町を作りなおせる」と彼はそれを半分真面目に夢想するのだ。そう思うと、三葉とさやちんに「カフェに行こうか」と提案する彼の心情というのは、半分冗談ではあるが半分本気であることがわかる。ただ、今はまだそこに存在してないだけで、いつかは本式のカフェを糸守に作る事を諦めてはいないのだ。

 そんな彼が三葉から「彗星が落ちてくる」と真顔で言われたら、真偽はともかく、町をゼロから作り直す絶好のチャンスと考えるだろう。当然、「その話のった!」となる。まあ、さやちんは、そう言う意味で部外者だから、三葉の話もテッシーの熱意も理解できずに、彼らの勢いに呑まれてずるずると町内放送をやってしまうのだが。しかし、テッシーは本気の本気なのだ。変電所爆破は、彼にとって決して衝動的な行動ではない。

 本編では、テッシーとさやちんは都会で結婚することになっているようだが、時間はかかるかもしれないが、彼らが中心となって、きっと糸守町を立派に復興・再建してくれることだろう。

 

 

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四葉について:「アースバウンド」

 三葉の妹である宮水四葉もまた、本編では詳しくは語られないが、限られた登場シーンだけみても、無邪気で好奇心旺盛、子供らしい賢さもある愛すべきキャラクターである事はわかる。個人的に思い出したのは、「クロムクロ」に出てくる、白羽由希奈の妹、小春である(というか、「君の名は。」自体、物語の構造が「クロムクロ」に似ている部分が多い)。

 Another sideの第3話では、この四葉の内面世界が語られる。姉の異変を客観的に観察し、何が起きているかをおそらくは誰よりも多面的に推理する。残念ながら、彼女の推理はことごとく的外れなのだが(当然だ)、小学生の限られた知識からあれだけ考えられれば立派である。そして、言うまでもなく四葉もまた、宮水家の血筋である以上、文字通り糸守町のEarthboundからは離れられない宿命を持った存在である。

 さて、その四葉だが、なんと好奇心で宮水神社の拝殿の自分が作った「口噛み酒」を飲んでしまう。口噛み酒といえば、時空を超える重要なアイテムだ。三葉が作った酒を瀧が飲めば、組み紐で結ばれたかたわれ同士が時空を超えて出会う事になる。

 しかし、四葉には、ペアとなる組み紐もない、つまり、四葉には「縁」のある存在がまだいないのだ。そんな四葉が口噛み酒(しかも自分で作った)を飲んだらどうなるか。

 これは宮水家の血筋を遡る他なかろう。既に記録が失われたはるか昔、まだ宮水神社が壮大な神殿を有していた頃。そんな昔に四葉の精神は飛び、四葉と最も縁の深い先祖に憑依する訳である。繭五郎の火事で失われた神社の縁起のエピソードも、この四葉の物語で補完されるのだ。宮水神社の神事は、単に古臭い因習ではなく、確かに受け継がれるべき大切な「何か」があったのだ。すなわち、惰性も混じった形式的なEarthboundでなく、まさに地域の切実な願いが充満したEarthboundをはからずも時を超えた四葉は見せてくれたのである。

 なお、口噛み酒自体は、四葉によると、「えぐ酸っぱい味」がしたそうだから、生化学的にはアルコール発酵には失敗していると思われる。もしかすると、幻覚作用を引き起こす成分が醸造されていて、瀧も四葉も、その影響を受けて様々な幻影を見ただけなのかもしれない。古代シャーマンがトリップするために様々な幻覚作用を引き起こす植物やキノコを摂取することは普通に行われていたはずなので、あながち間違いではないかもしれない。しかし、それでは、伝奇ロマンは台無しで、「怪奇大作戦」のテイストになってしまう。

 

 

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宮水俊樹について:「あなたがむすんだもの」

 第4話はなかなか奥が深くて、「君の名は。」の大人バージョン言ってもいい内容である。あえて表現するなら、実相寺昭雄ウルトラQ ザ・ムービー 星の伝説」の雰囲気を持ちつつ、星野之宣「宗像教授伝奇考」で補強したと言った感じの話である。わかる人には、この説明だけで、私のワクワク度を想像できるかと思う。はっきりいって、この第4話のエピソードだけで、一つの作品が作れると思う。

 本編では三葉の父、宮水俊樹は「嫌な奴」としてしか印象に残らないだろう。一応、二回目の三葉の説得によって、糸守町民を避難させる結果になるが、その細かい過程は省略されている。登場するシーンでは、一葉からも三葉からも邪険にされ、テッシーの父とも癒着して、ほとんど悪いイメージしかない。あんなキャラをなぜ出す必要があったのかと思った人もいるだろう。

 ところが、宮水俊樹は、昔、溝口俊樹という民俗学者だった。そして、謎の多い宮水神社の縁起を調査するために「民俗学者」として糸守町を初めて訪れたのだ。その時、出会ったのが宮水二葉、つまり三葉の母となる女性だ。「ひと目あったその日から」という感じで、溝口俊樹からすれば民俗学の調査、宮水二葉からすれば貴重な伝承を学術的に保存してもらうと言う名目で二人は頻繁に逢瀬を重ねる事になる。

 その二人の民俗学的な丁々発止が、歴史素人の私としては、ほとんど「宗像教授伝奇考」の展開である。なんと巫女である二葉もまた彼女のなりの仮説(直感に基づく部分があるにせよ)を持っているのだ。

 宮水神社の祭神は、機織りを教えた神である倭文神(しとりかみ)である。しかし、どこの神社の倭文神とも関連がないと言う。そして、糸守ではその倭文神は竜を退治した伝説がある。そこに、「君の名は。」でも重要なアイテムとして登場する、組み紐の話が絡んでくる。倭文神に関連して、時間軸の交錯を象徴する組み紐を「編む事自体が重要」だと二葉は断言する。根拠はない。ただ彼女のなかではゆるぎない確信がある。それを宮水家の巫女は続けてきた。そして、退治すべきその竜は何を象徴しているのか。言うまでもなく、それは彗星である。彗星が定期的に災厄をもたらし、組み紐でつなぐ時空を超えた「縁」によって、その災厄を防ぐ、そうした流れが綿々と受け継がれてきたのだ。

 ともあれ、溝口俊樹は、二葉に惹かれ、やがて宮水俊樹となる。そして、宮水神社の神主となるが、近代的な学術の世界と前近代的な土着の強固な因習の世界とはあまりに違っていた。二葉の糸守町での神がかった絶対的な存在感に戸惑いつつ、二人の娘(三葉、四葉)も授かる。しかし、二葉は免疫疾患で亡くなってしまう。かけがえのない二葉を失った俊樹は慟哭する。しかしそんな悲しみをよそに、宮水一葉のみならず、近代的な死生観とはあまりに乖離した糸守町の二葉の死への感覚に、俊樹は戦慄するのだった。「この町は狂っている」。俊樹は家を出て、古臭い因習に縛られた町を変えるべく、町長になる決意をする。糸守町を近代的な町に変貌させるのだ。そのためなら、多少汚い事もやってやる。そして町長となった。

 彗星が落ちる日、三葉が町長室へやって来る。「糸守町に彗星が落ちる」などたわけた事を言う。しかも、姿は三葉だが、そこにいるのは三葉ではない。俊樹にはわかるのだ。この感覚、覚えがある。ともあれ、今は祭りの運営で忙しい。三葉を追いかえす。しかし、再び泥だらけの三葉がやってくる。今度は心身ともに三葉だ。そして、それは過去から連なった二葉の姿でもあった。俊樹は町長として避難訓練と称して住民の避難を指示する。

 俊樹は、糸守町のEarthboundに惹かれ、Earthboundを呪い、Earthboundによって最後は救われたのである。そして、その時の流れの糸を紡いでいたのは、ほかならぬ宮水家の巫女たちだったのだ。おそらくは、二葉と俊樹もまた若かりし頃、瀧と二葉のように、夢の中で心身交換を行っていたのであろう。しかし、理性的で知能の高い俊樹は、瀧と違い「奇妙でリアルな夢でとどめて」それ以上追及せず、完全に忘却してしまったのだ。しかし、俊樹は無意識のうちに民俗学を専攻し、瀧と三葉が最終的に東京のあの階段で再会するように、俊樹と二葉もまた糸守町の宮水家で邂逅したのだった。あくまで想像であるが、二葉の方は、「必ず『彼』がここにやって来る」と確信があったのだろうと思う。そして、二世代の連携によって、糸守町の災厄は防がれることになる。

 

 

 

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読んでから映画館でもう一度見よう

 「君の名は。」の小説版はともかく、「君の名は。Another side :Earthbound」はちょっと高校生には難しい部分があるかもしれない。しかし、「君の名は。」の映画を一回見て、どうも釈然としない人、あるいは「もう一回見に行きたい」と思っている人は、是非とも、この二つのテキストを読んでから、映画館へ向かって欲しい。全編に散りばめられた何気ない描写それぞれに深い意味がある事に気付き、きっと新たな感動を味わう事が出来るだろう。

 ともあれ「君の名は。」、傑作である。