こどものせかい
何かの作品を見たり読んだりしていると、ふと「ああ、これって、アレに似ているなあ」と一瞬、思うものの、あまりに違う世界であるために「ううん、似ていると言うべきなのか」と戸惑う事がよくある。これは自分だけの内面的な相似なのか、あるいは単にそれなりに普遍的なものなのかは何とも言えない。具体的に似ている項目を上げれば、たしかに共通項はあるものの、全く違う作品どうしだから、やはり人に説明する時に違和感はぬぐえない。というような事を、最近、こどもが主人公の作品について感じる事が多かった。どの程度の普遍性があるのか、試しに書き出しておく。基本的に、どれも非常に好きな作品である。
まずは、スウェーデンの児童作家、アストリッド・リンドグレン「やかまし村の子どもたち」シリーズ。これは原作も映画もどちらも時々無性に見たくなる・読みたくなることがある。月並みな言い方なら、癒しの作品群である事は間違いない。何も重大な事件は起きない。ただ、淡々と田舎の子供たちの日常が描かれてゆく。それだけなのに、ついついこの世界に何か吸い込まれてしまうのである。
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で、あっと原作のアニメ「のんのんびより」を見ていたら、やたらに「やか まし村の子どもたち」がフラッシュバックしたのであった。似ている所は、田舎である事と、何か重大な事は起こらないと言う事だけで、他は全然違う設定なの だが、私が勝手に設定している「空気感」がやはり同じなのだろうか。やはり、ついつい、見てしまう。
「のんのんびより」、ある意味、現在の日本の山村地のリアルではあるのだが、たぶん近い将来、集落の維持は困難となり消えてなくなる運命だろう。つまりは、まさに「かってのやかまし村」のような話になるかもしれない。在りし日の楽園である。そんな事も、「やかまし村」と「のんのんびより」をつなげる要因になっているように思う。「のんのんびより」の唯一の難点は、皆、自然児過ぎる点だろう。実際の田舎の子どもたちは、あそこまで自然には詳しくはない。そんな「今はそんな子はいないよなあ」という所も、「かってのやかまし村」感が出ているように思う。
ビクトル・エリセ監督「ミツバチのささやき」は、ゆるぎない名作として不動の地位を保っており、日本では「となりのトトロ」の原型映画としても、知られている。一度見ただけでは、よくわからない映画ともよく言われる。まあ、製作時のフランコ政権末期の状況からして、そんなわかりやすい映画ではまずいのだが、そんな事よりも、やはりアナ・トレントの内面世界を詩的な風景・情景でこれでもかと表現し尽くしているのが素晴らしい。ともあれ、彼女の瞳が全てを物語るのだ(演じた本人は、深い事は考えてなかったと述懐しているらしい。ま、子供だから当たり前か)。
さて、どういう訳だか安部吉俊「リューシカ・リューシカ」を読んでいると、「ミツバチのささやき」の様々な場面が想起されるのである。
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リューシカ・リューシカの方は、オールカラーでキャラ的にも全然、「ミツバチのささやき」とは違うのだが、リューシカの子どもの視点というのが、やはり自分が普段忘れている何かなんだろうなと思うと、やはり「アナ・トレント」のあの瞳にいきつくのである。たぶん、「ミツバチのささやき」が本当に好きな人、より深く理解している人には、「随分と表層的な解釈しかできないのね」と言われそうだが、まあ、私自身、そんな程度なのでいたしかたない。
スペインからスウェーデンに戻る。同じく、リンドグレンの「ロッタちゃん」シリーズである。こちらは大人と子供との絶妙なズレが主題であって、少々、強情っぱりなロッタちゃんが、いろいろやらかす話である。これもまた、ついつい見てしまう・読んでしまう作品群なのだが、何が面白いのか自分でもよくわからない。落ち着いて見れば、ちょっとひねくれた面倒くさい子供の話なのだが、その「不確定要因」な部分がまさに「子供」という存在を体現しているようで、怖いもの見たさで夢中になってしまうのかもしれない。
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そして、同じような感覚になってしまうのが、あずまきよひこ「よつばと!」である。「やっぱりきたか!」と思った人も多かろう。
まあ、よつばは、ロッタちゃんよりも「素直」かもしれないが、子供ならではの「不確定要因」は満載であって、そこをギャクとして楽しむ人も多いのだろう。私もその面はある。が、やはりあの小憎らしいロッタちゃんのフィルターが入って、読んでしまうのである。そう思うと、よつばも、随分と邪悪な存在のように思えてくる。周囲の大人との距離感というのも、絶妙に「ロッタちゃん」を思い出させてしまう。日本と北欧とでは、家庭環境の雰囲気も随分と違うはずなのだが、どんな共通項を見出してしまっているのだろうか。自分でもよくわからない。
いきなりロシアに飛ぶ。まだ日本ではそれほど知られてないし、日本語版もまだないのだが、フル3DCGアニメーションの「マーシャと熊」
これが滅法、 面白い。小さなマーシャが熊の家にいって、やりたい放題やって熊が事態をおさめるというパータンの話なのだが、マーシャの容赦なさが本当に凄まじい。と同 時に、熊がいろいろ小言を言う割には仏のように優しい。それは、おそらくはマーシャには全く悪気はなく、「子供のすること」と認識しているからだろう。 マーシャは、ただ、自分のやりたいように振舞っているだけ。それにしても、全能感が全開である。
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これを見ていて、すぐに思いだされたのが鳥山明「Dr.スランプアラレちゃん」である。全然、タイプが違うのに、マーシャの超人的なハチャメチャぶりが何か、ロボットであったアラレちゃんが不本意にも怪力でトラブルを起こしていた様を想起させる。マーシャの方は、フルCGで髪の毛一本一本の動きまで微細に表現しているが、アラレちゃんも、髪の毛、結構細かかったなあというのも思いだす。あの時代なら、セル画作るの大変だったろう。ともあれ、「マーシャと熊」はやく日本語版を出せばいいと思う。と同時に、アラレちゃんのフル3DCGも良いような気がしてきた。動きが激しい分、ドラえもんとかより、合っているような気もする。
最後は、フィンランドである。ノボラ姉妹原作、カイサ・ラスティモ監督「ヘイフラワーとキルトシュー」。公開当時は北欧らしいオシャレな家具や小物が注目された映画なのだが、内容はまあ奇妙キテレツである。まず、まともな大人が登場しない。唯一まともなのが、小学校入学間近の姉のヘイフラワー。妹のキルトシューは悪意満載の我儘し放題な子供。周囲の大人も、ヘイフラワーの困難をまっとうに解決する気はない。つまり、ヘイフラワーにとって「不条理な世界」がオシャレで奇妙な背景(なんせ、極彩色の発酵セラピーまで登場するのだ)で展開する訳である。はっきりいって、妹のキルトシューは、子供と言えども、張り倒したくなるくらいに憎たらしいキャラクターになっていて、ヘイフラワーの悲劇性がより浮き彫りにされる。
さて、この「ヘイフラワーとキルトシュー」、あらゐけいいち「日常」の「はかせ」と「東雲なの」のやり取りを読んでいて(見ていて)、ついつい思い出してしまうのであった。はかせは、数々の発明はするものの、実質的に菓子やオムライスの好きな幼児である。そして、東雲なのを作った当人である。そう、東雲なのはロボットなのだ。そして、はかせは、気まぐれに不条理な事を、なのに断りもなく押しつけて(改造して)ゆく。しかし、なのは、抗議は続けるものの、はかせの日常の世話を親か姉のように行うのだ。学校でも、東雲なのの周囲はおかしな人々ばかり。ある意味、ロボットであるという状況以外は、東雲なのは、「日常」で登場するキャラの中で、最も「常識的」である。なんか、そんな健気さもヘイフラワーを思い出させる。ともあれ、どちらも常識的なようでいて、奇妙な世界が展開していると言う点で、共通項があるかもしれない。でも、見かけは全然違う。
以上、こどものせかいを描いた作品で、リンクしてしまう作品群をあげてみた。さて、どの程度、共感されるものなのだろうか?まあ、連想と言うのは人それぞれだから、全くの見当違いに思われるのかもしれない。