ZoaZoa日記

気の向くままに書き散らしてゆきます。皆さまの考えるヒントになればと思います。

4種類の質問

 今年は終わってしまった「夏休み子ども科学電話相談」。子どもたちから寄せられる質問および相談にもいろいろなものがあり、「質問箱」ではなく「相談」となっているのが良く理解できる。子どもからの質問は、おおむね「対処法についての質問」「存在の有無についての質問」「メカニズムについての質問」「理由についての質問」の4種類に大別できるようだ。もちろん例外もあり、答えのないような質問もある。

アイヴズ:ホリデー・シンフォニー、答えのない質問、宵闇のセントラルパーク

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 まず「対処方法についての質問」。「~なってしまったのですが、どうしたらいいですか?」「~したいのですが、どうしたらいいのですか?」といった類。基 本、ある現象が進行中、もしくはある現象を引き起こそうとしている時に、これからの対応を問うのである。あるいは今後の対策のために、過去の失敗の原因を 問う場合もある。今年もこの手の質問(と言うより相談)は結構あって、「ばあちゃんの作っていたパプリカが台風15号で倒れてしまった。どういう風に対策 を立てていればよかったのですか?」あるいは「カブトムシを強くしたいのですが、どうしたらいいのですか?」などなど。ほとんど園芸相談・飼育相談であ り、こういうのを科学の質問と言うかは別として、世間一般でも、おそらく最も解答への需要が見込まれる種類の質問と思われる。  

爬虫類本飼育完全マニュアル VOL.1 (サクラムック)

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食虫植物栽培マニュアル

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 というか、出版されている書籍のうち安定して売れ続けるのは、こういう「どうやったらいいのか」を解説したハウツー本であろう。特に料理本は基本「どうしたらいいか」しか書かれていない。さらに発展させれば、官公庁の文書、法律は基本、この手の質問に応えるために存在していると言ってもいいだろう。しかし、世の中、こういう質問ばかりになると、あらゆる事象についてのマニュアルが溢れかえる事になり、自分なりに考えて試行錯誤する機会が減るので、あまり好ましくないように思う。まずやってみて、失敗の中から学ぶ事も多い。

 

The基本200 (ORANGE PAGE BOOKS)

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糖質制限の「主食もどき」レシピ

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ポケット六法 平成27年版

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 「存在の有無についての質問」。「~は、いるのですか?」あるいは逆に「~は、いないのですか?」といった類。場合によっては過去・未来について「~は、昔いたのですか?」「~は、将来、出てくるのですか?」というのもある。さらには「~は何ですか?」「~はどれくらいですか?」という変種もある。解答する先生にとっては、これが一番簡単に答えやすいかもしれない。今年は「星に火山はあるのですか?」「虫にも脳みそはありますか?」「フクロウの首がくるっと回るのは本当ですか?」「ダイヤモンドより固いものはありますか?」「長崎の原爆には何が入っていたのですか?」「太陽はどれくらい大きいのですか?」などの質問が寄せられた。存在が確認されていれば、それを詳細に説明すればいいし、確認できてないなら「まだ見つかってないからわからない。これから見つかるかも」と言えばいい。ただ、答える方としては物足りないかもしれない。これもまた、正しい状況判断をするために大人はよくする質問であろう。「この地域に熊はいるのか、いないのか」「この薬は効くのか効かないのか」「明日、雨が降るのか降らないのか」「大昔に津波はここまで来たのか来なかったのか」「駅まで何kmか」「入試まであと何日か」もっと広げれば「凶器はあるのかないのか」「内部文書はあるのかないのか」「その時刻・場所に容疑者Bはいたのかいなかったのか」「時効まであと何年か」とかね。つまり、この質問は実は、司法の現場で最も多くなされるものである。そして、科学においては「ないことへの証明」は極めて難しく、現時点で確認できないものは、「存在するかもしれない」としか言えない。が、司法の立場からすれば、それでは納得いかないのである。しばしば、科学の視点でみれば、無茶苦茶な判決が出るのも、このような司法と科学との相性の悪さに起因するのである。くれぐれも、裁判で勝ったからと言って、それが科学的に正しいとは限らない事を忘れてはいけない。

ダンゴムシに心はあるのか 新しい心の科学 (PHPサイエンス・ワールド新書)

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プルトニウム―超ウラン元素の正体 (ブルーバックス)

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法律家のための科学捜査ガイド その現状と限界

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 「メカニズムについての質問」。「~は、どうやって~をしているのですか?」「~はどんなしくみなのですか?」「~は何なのですか?」の類。今年は「金属アレルギーは金属の何に対してアレルギーを起こしているのですか」「ヤゴはどこで呼吸をしているのですか?」「太陽はどうやってできたのですか?」などの質問があった。実は鉄板の質問の定型文の「なぜ(どうして)~なのですか?」というのも、解答者がこの「メカニズムの質問」に「翻訳」して解答する事になる事が多い。例えば「どうしてコアラはのんびりしているのですか?」という質問に対して、「コアラのユーカリの消化機構について説明する」といった感じである。つまり、子どもたちからの質問は「メカニズムについての質問」に分類されるものが圧倒的に多い。これは、科学のメインストリームの質問であり、おそらく、解答する先生方も、一番説明しがいのあるもので、この手の質問が沢山来ればいいなあと思っているに違いない。

Dr.菊池の金属アレルギー診断室

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うまれたよ! ヤゴ (よみきかせ いきものしゃしんえほん9)

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恋するコアラはなぜやせる?―コアラ飼育10年のエピソード

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 とはいえ、子どもの立場からすると、「理由」を尋ねているのに、いつのまにか「メカニズム」の説明になっていて、解答者の説明に今一つ納得いかないパターンになる事が多い。それは、やはり解答者の勝手な「翻訳作業」に起因する事が多い。科学的に正しい説明であっても、子どもは必ずしも納得する訳ではない。子どもは子どもなりに、期待する答えがあるのである。しかく納得いかないながらも、新たな物の見方が増えればいいと思う。

 ただし、生物についての質問において、「目的論」で解答してしまう例が結構あって、これは功罪あるのかなと思った。例えば、「どうしてセミのオスは鳴くの ですか?」と言う質問に「メスにアピールするため」という解答は、子どもにとってはわかりやすい半面、生物の存在を「すべて目的があって存在している」と 言う風に誤解してしまう可能性もある。「人間にとって害しかない生物も絶滅から守る必要があるのですか?」というような質問も、今年はあり、これは目的論 をつきつめれば、「目的がわからないものは、存在しなくていいのでは」という発想になる危険性を物語っている。

セミたちの夏 (小学館の図鑑NEOの科学絵本)

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動物哲学 (岩波文庫)

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生物多様性とは何か (岩波新書)

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 最後に「理由についての質問」。これは、「メカニズムの質問」にも落としこめない、本当に根源的な理由を問うもので、解答者が最も苦悶する質問である。ハッキリ言えば、科学者としての解答というよりも、解答者自身の思想もしくは人生観を吐露せざるを得ないものになるだろう。あるいは、やむを得ず、強引にメカニズムへ持って行ってしまう事も多々ある。今年も、「なぜ昆虫はいるのですか?」「なぜ生き物は死ぬのですか?」「なぜ人間は宇宙に行くのですか?」というような壮大かつ根源的な質問がいくつかでていて、解答者はそれぞれに苦戦していた。こういった質問はどうしても科学の領域を超えた解答にならざるをえない。

昆虫はすごい (光文社新書)

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ヒトはどうして死ぬのか―死の遺伝子の謎 (幻冬舎新書)

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完全図解・宇宙手帳―世界の宇宙開発活動「全記録」 (ブルーバックス)

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 世間一般では、そういう問いは「そうだからそうなんだ。考えても無駄」と言う事で済ます事が多い。例えば、会津藩の藩校である日新館の什の掟に「ならぬことはならぬものです」というものがある。什の掟は優れた藩士を輩出した根幹である事は間違いないが、同時に、意地悪な見方をすれば、思考停止の呪文と言えない事もない。安定した時代では、こうした規範をゆるぎないものにする事は有用だろうが、時代が動いている時は、パラダイムの変換についていけずに、かえって命取りになりかねない。

会津武士道―「ならぬことはならぬ」の教え (青春新書INTELLIGENCE)

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パラダイムとは何か  クーンの科学史革命  (講談社学術文庫 1879)

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 明確な解答が得られないとしても、この問い持ち続ける事がなければ、新しい考え方もしくは新しいシステムは生まれようがない。この「なぜ?」という根源的な問いがあるからこそ、「現状維持が最善ではないかも」と言う発想に至るからである。しかし、この「なぜ?」という問いは、問いの対象が「個人」であると、場合によっては「誇大妄想」に発展する危険性もあるので、注意が必要である。「なぜ私は生まれたのか?」「なぜ私より彼女が美人なのか?」などなど。できれば、科学や社会システムの分野で存分に「なぜ?」を発した方が無難であろう。

 

私とは何か さて死んだのは誰なのか

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 最後に、ちょっと毛並みの違う質問を紹介する。「江戸時代にコガネムシスズメガの蛹になって、アブラゼミの幼虫になって、アブラゼミの成虫になったと考えられてたらしいですが、本当ですか?」質問しているのは小学生である。科学というよりは、民俗学および科学史の質問である。解答者は、「種は成長の途中で変化しない。でも、そういった考えは大正時代まで一般的ではなかった」と言う風に答えていた。科学相談としてはまっとうな解答であり、「昔はいろいろ誤った認識があった、例えば」と具体的事例にも触れていて、「いきなり、この珍妙な質問にも答えられるとはさすが」と感心した。

昆虫食先進国ニッポン

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和漢三才図会 (1) (東洋文庫 (447))

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  感心したのだが、ふと、この小学生は「書いてある事の科学的真偽」ではなく「書いてある事の文献的真偽」を尋ねているのでは、とも思うようになった。つまり、「読んだ本にこのように書いてあったが、江戸時代にそんな記録が本当に残っているのか」という科学史的・博物学的な質問なのではないか。改めて受け答えの空気感を読み取るに、そんな気がする。ところで、私が何よりも気になっているのは、小学生が読むような本に、そのような「コガネムシアブラゼミ」の記述を入れるようなものがあるのかということである。いったい、どんな本なのか?全く見当がつかない。もしかすると小学生が読むような本ではないかもしれない。どちらにしても、気になるので、出典を是非とも知りたいところである。誰かご存じないですか?