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ZoaZoa日記

気の向くままに書き散らしてゆきます。皆さまの考えるヒントになればと思います。

「この世界の片隅に」 すずさんの戦後日記

 「この世界の片隅に」を映画館で最後まで見終わって、「あの後、すずさんたちはどうなったんだろうなあ」と思った人は、おそらく私だけではないだろう。そして、「今でもすずさんは生きています!」という片渕監督の言葉も感覚的な真実味を帯びていると思った人も多かろう。

 私個人も何度か映画を見ているうちに、すずさんのリアリティをさらに体感したい欲求を抑えきれず、「すずさんが戦後、ずっと日記をつけていたら、どんな事を書くのかな」と勝手にあれこれ妄想していた。それをまとめたのが、この「すずさんの戦後日記」である。

 はっきりいって、全国のすずさんファンの中には「こんなのすずさんじゃない!」と憤慨する方もおられようが、あくまで私個人の妄想であって、「すずさんはこうでなければならない」と私が考えている訳ではない。人それぞれに、それぞれの「すずさん」が心の中に住んでいるだろうから、それを否定するものではない。

 すずさんの二次創作においては、広島弁というのは「すずさんらしさ」を出す重要な要素である事は間違いないのだが、この日記では原則的に広島弁は使わない事にした。理由は二つあり、一つは「私自身が広島出身でないので、いいかげんな広島弁は広島出身の人から見ればストレスになるであろうこと」、もう一つは「原作において、書き言葉に方言は出て来ないこと」である。「広島弁でないとすずさんらしさが出ない」と感じる方は、それぞれの頭の中で広島弁に変換してお読みいただければ幸いである。

 また、淡々と戦後の日々を綴っていくと単調になる気もしたので、わざとらしく思われるかもしれないが、あえて片渕監督、こうの史代作品関連によるスター・システムをかなり強引に採用した。また、わかりにくい事項はリンクを貼ってある。

 書いてみて、戦後70年と一口に言われてしまうが、本当に長い年月であることを実感した。そして、人が90年以上生きるというのはこういう事なのだとも思った。ともあれ、長くなるので、気になる年代からお読みいただければ幸いである。

 言うまでもなく、本編のネタばれ満載なので、まだ映画本編を見てない人は、注意されたし。

 

 

 

すずさんの戦後日記

 

 

 

 

 

 

 

・1946年(昭和21年)~1955年(昭和30年)

 1946年(昭和21年)すずさん21歳

 戰争も終わって一年以上過ぎた事だし、いつまでも書きものが不自由だと不便なので、左手で文字を書く訓練として日記をつけやうと思ふ。それにしても、いくら左手と言っても我ながら蛞蝓がのたくりまわったやうな文字で不甲斐ない。

 

 1947年(昭和22年)すずさん22歳

 生まれて初めて選挙というものに行く。勝手がわからなくて、周作さんに誰の名前を書けばいいのか訊いたけど、すずさんの好きな人でいいと言うので、武田キヨさんに一票入れた。せっかく入れたので当選して欲しい。

 

 1948年(昭和23年)すずさん23歳

 いきなり久夫君がうちに来た。晴美さんに会いたくて家に黙って来てしまったようだ。下関に連絡して、何日か泊る事になった。お義姉さん、ずっと穏やかな優しい表情で、久夫さんにあれやこれや世話をしていて母親なんだなあと思った。それはそうと、久夫君のためにお義姉さんが買ってきたくれたアンドーナツみたいな菓子に呼ばれたがのだが、ほっぺたが落ちるほどに美味しかった。生きていてよかったと思う。晴美さんにも食べさせてあげたかった。

 

 1949年(昭和24年)すずさん24歳

 広島に野球のチームが出来ると聞いて、すごく興奮している。名前は広島カープカープは英語で鯉の意味らしい。とても縁起の良い名前だ。これからずっと応援する事を心に誓う。

 

 1950年(昭和25年)すずさん25歳

 今度は、本当にオメデタみたいだ。周作さんと話し合って、男の子なら文民政治が続くようにと「文夫」、女の子なら高台院のように逞しい女性にと「ねね」にしようと決めた。ヨーコさんは最近覚えた洋裁で赤ちゃんの服を作るとはりきっている。

*:「文夫」=フッ素(F)、「ねね」=ネオン(Ne)である。フッ素とネオンは隣同士の元素である。

 

 

 1951年(昭和26年)すずさん26歳

 ルース台風でまた家の屋根が吹き飛んでしまった。お義父さんが言うには、子供も三人になり、家を二階建てに建て直した方がかえって安上がりかもしれないとのこと。街中も新しい建物がどんどん建てられて、昔とは全然違う感じになってきている。

                           *:結局二卵性双生児だったようだ。

 

 1952年(昭和27年)すずさん27歳

 お義姉さんが子供たちの面倒を見てくれるので本当に助かる。何か、港の方が随分と賑やかになっているようで、とても大きな船を作っている。周作さんに聞いたら石油を運ぶ船で、タンカーというらしい。世界一の大きさだそうだ。どれだけの石油を運ぶ事が出来るのか、想像しただけで気が遠くなる。

 

 1953年(昭和28年)すずさん28歳

 最近、子供たちのお守をしながらラジオで「君の名は」を欠かさず聞いている。橋の上での出会いなんて、うちと周作さんみたいだ。それにしても、ついこないだまで空襲の放送を聞いていたのにこんな男女の話が同じラジオから聞こえてくるのは不思議な感じ。

 

 1954年(昭和29年)すずさん29歳

 評判になっていた「ゴジラ」を観てきた。一緒に観に行った文夫は途中で泣きだしたが、ねねは街が破壊される様子をワクワクして見ていたようだ。うちは島の影からゴジラがにゅっと現れるのがとても怖くて、この怖さに覚えがあると思ったら、鬼イチャンだ。そうか、鬼イチャン、南の島でゴジラになったのか。

 

 1955年(昭和30年)すずさん30歳

 周作さんのお供で防府天満宮に行く。近くを散歩していたら、地元の子供たちが川を堰き止めていた。何をしているのかと思ったら、金魚をそこで飼っているらしい。ちゃんと島などを作り竜宮城のように飾り付けもしていて結構本格的。

 

・1956年(昭和31年)~1965年(昭和40年)

 1956年(昭和31年)すずさん31歳

 「もはや戦後ではない」という台詞を周作さんから聞いた。戦争の後の事を戦後と言うのに「戦後ではない」というのはどういうことだろう?と尋ねて、周作さんからいろいろ説明を聞いても、何か狸に化かされたようにますます意味がわからなくなった。

 

 1957年(昭和32年)すずさん32歳

 広島の平和記念公園インドの首相のネルーさんが来た。周作さんやすみちゃんの話だと、凄く大勢の人が公園に集まってお祭りみたいだったそうだ。前に、日本へ象も贈ってくれたし、今度はわざわざ広島まで来てくれるなんて、ネルーさんはきっととても優しい人に違いない。

 

 1958年(昭和33年)すずさん33歳

 文夫がフラフープを買って欲しいというので、買ってあげたはいいが、すぐに飽きてしまい納屋に放置してある。ためしにうちもやってみたけど、案外難しくてうちの身体が回るだけで、フラフープはうまく腰の所で回らない。悪戦苦闘している所をお義姉さんに見つかってしまい、お義姉さんに貸すと、あっさり曲芸師のように回し始めて、さすがモガだった人は違うなあと久々に感心した。

 

 1959年(昭和34年)すずさん34歳

 今日は家に誰もいなかったので、テレビで好きな番組を存分に見られると思って、チャンネルをガチャガチャ回していたら、つまみが取れてしまい、NHKしか見られなくなってしまった。焦っているところに、貧相な顔をした男の人が家にゴム紐を売りに来た。話を聞いていると戦争で大変な苦労をしてきたようで、可哀そうだったので、少し高かったけど買った。その話をお義姉さんにしたら、それは「押し売り」というものらしく、久々に長々と小言を言われた。買ったゴム紐、たしかに短い。でも、テレビのチャンネルの事は誰も気付かない。シメシメ。

 

 1960年(昭和35年)すずさん34歳

 ねねがダッコちゃんを欲しいというので街で探してみたが、呉ではなかなか売ってない。困っていたら、お義姉さんのツテであっさり手に入った。ありがたい。ねねは妙にお義姉さんと気の合う所があって、外見もなんとなく似てきた気がする。ねねは周作さん似だから、当然と言えば当然かもしれない。

 

 1961年(昭和36年)すずさん36歳

 お義姉さんがヨーコさんのお見合い相手の写真を持ってきてくれた。まだ早いのではと思ったけど、うちも考えて見れば今のヨーコさんより若い時にここに来たのだった。相手の人も身寄りがなく、この家に来てくれるらしい。そうか、ヨーコさん、もうお嫁さんか。まあ、まだ決まった訳ではないけど。

 

 1962年(昭和37年)すずさん37歳

 お義姉さんが久夫君と一緒に暮らす事になった。久夫君、跡取りと聞いていたけど、もう大人だし、結局、呉で造船技師として働く事になった訳だから、親子一緒に住むのは当然と思う。この家からお義姉さんがいなくなるのは、寂しいような嬉しいような心細いような清々しいような複雑な気持ち。

 

 1963年(昭和38年)すずさん38歳

 うちもこの歳でついにお婆ちゃんになってしまった。ヨーコさん、お疲れ様。女の子でした。名前は、お義父さんから一文字とって、円(まどか)ちゃんだそうだこんにちは赤ちゃん♪この家も賑やかになる。

            *:言うまでもなく、北條家の伝統に則って、円に関係する名前である。

 

 1964年(昭和39年)すずさん39歳

 アベベと言う人は前のオリンピックでは裸足でマラソンに出たそうだ。今回の東京オリンピックでは靴を履いて走っていたけど、ゴールした後でも余裕があって、靴も買えなかったような貧乏な国から来た選手はさすが鍛え方が違うなと思った。

 

 1965年(昭和40年)すずさん40歳

 文夫が家の中でやたらに、大声でオーオー唸っているので、何かと思ったらジャングル大帝の主題歌だという。音が全く外れていて歌である事すらわからなかった。音痴な癖に大声で歌うのは円ちゃんも怖がるし、近所迷惑だからやめてほしい。

 

・1966年(昭和41年)~1975年(昭和50年)

 1966年(昭和41年)すずさん41歳

 最近、テレビによく出ている山本リンダという歌手がねねと同じ歳と知って、かなり驚いている。同じ16歳でこうも違うものか。でも、うちの16歳の頃と比べればねねの方がはるかに垢ぬけている。時代が違いすぎて、比べるのは虚しいというか無駄のような気がする。

 

 1967年(昭和42年)すずさん42歳

 円ちゃん、サンタクロースが本当にいると信じていて可愛い。リカちゃん人形が欲しいそうだ。ちょっと貫禄が足りないけれども、サンタクロース役はお義父さんに今年もやってもらおう。ヨーコさんは、大きな毛糸の靴下を編んでいる。

 

 1968年(昭和43年)すずさん43歳

 文夫、てっきり広島大学を受験するものと思っていたら、山口大学教育学部に行きたいと言う。なんでも藻類の研究で偉い先生がいるそうだ。理科の先生になるのかな。ねねの方は、お義父さんの英才教育のおかげか、東京の工学部のある大学に行って自動車を作りたいらしい。合格すれば、二人ともこの家を出る事になるので、寂しくなる。そして、うちらの財布もさびしくなる。

 

 1969年(昭和44年)すずさん44歳

 亀の映画がみたいとすみちゃんがいうので、久々に広島までお出かけ。すみちゃん、前より綺麗になって若返っている気がした。なぜ結婚できないのか世界の七不思議だ。可愛い亀が出てくると聞いていたのに、出てきたのはとてつもなく大きな亀で口から火を吐いたり回転して飛んだりして、ほとんど怪獣だ。しまいには、包丁のお化けみたいなやつも出てきて、すみちゃんに騙された気分だ。すみちゃんが何故こんな映画を見たいと思ったのか分からない。何かあったのだろうか?でも、同時上映の時代劇は可愛い化け物がいっぱい出てきて面白かった。

 

 1970年(昭和45年)すずさん45歳

 今思い出してみても、大阪万博は夢の中のおとぎの国に行ったような出来事のように思える。でも、手元にはお義姉さんから渡された「迷子ワッペン」の半分(しかも子供用?)があるので、確かに行って来たのだ。未来の服を着た案内の人に連れられて行った迷子センターは子供ばかりで大人はいなかったので、ちょっと恥ずかしかった事も夢の中の出来事ではない。でも、あの会場は大人だって迷子になってもちっともおかしくないと思うよ、周作さん。

 

 1971年(昭和46年)すずさん46歳

 帰省した文夫にボーリングを誘われたので行ったけれども、初めての事で勝手がわからず大変だった。球は重いし、前に転がす事がなかなか出来ず、思わぬ方向へ飛んでゆく。周りの人にかなり迷惑をかけてしまった。一緒に行った周作さんは意外と上手だった。昔、海軍の下士官兵集会所でちょっとやらせてもらった事があるらしい。あんな大変な時代に本当?

 

 1972年(昭和47年)すずさん47歳

 円ちゃんは、最近、テレビでアニメばかり見ているせいか、うちにムーミンやハゼドンの絵を描くようにせがんでくる。うちの頼りない線で描いても円ちゃんが喜んでくれるので嬉しいけれども、勉強しなくて大丈夫かな。まあ、うちも円ちゃんの年頃の頃は絵ばかり描いていたけどね。ふと、晴美さんと魚の絵を描いていた事を思い出す。

 

 1973年(昭和48年)すずさん48歳

 最近、どんどん物の値段があがって、このままでいくとまた配給になるのではと不安だ。周作さんのコネでトイレットペーパーなどは大丈夫だけど、そのうち「仁義なき戦い」に出てきそうな闇市の怖いおっさんの所へ買い物にいかなければいけなくなるのだろうか。それにしても、ああいう任侠映画で呉が有名になるのは正直、複雑な気分だ。

 

 1974年(昭和49年)すずさん49歳

 円ちゃんの見ていたアニメで、干上がった海に昔沈んだ戦艦大和が出てきたので、少し懐かしくなって、大和が海に浮かんでいる所をお父さんと昔に見たと言うと、大和と言う名の戦艦が本当にあったことに驚いていた。呉に住んでいながら知らない方が驚きだが、考えてみれば戦争が終わってからもう30年も経とうとしているから無理もないのかもしれない。アニメでは、大和は宇宙船になって地球を救うために一年間の旅にでるらしい。宇宙では食事とかの補給はどうするのだろうか。

 

 1975年(昭和50年)すずさん50歳

 やった!!カープ、リーグ優勝!ついにここまで来た。新幹線に乗って、後楽園まで応援しに行った甲斐があった。それにしても、新幹線、あまりに速くて景色がどんどん流れてゆき本当に映画の早回しのよう。何と言っても同じ日に広島から東京まで行けてしまうなんて、煤まみれで汽車に乗っていた頃からすれば夢のようだ。

 

・1976年(昭和51年)~1985年(昭和60年)

 1976年(昭和51年)すずさん51歳

 日本で初めて五つ子が生まれたそうだ。うちらは双子だっただけでも本当に人様よりも倍大変だったのに、それが五つ子であればどんな苦労になるか想像もつかない。五つ子だと、ミルク代も月に三万円もかかるのだそうだ。経済的にも大変だが、五人の面倒をいっぺんにみるのは聖徳太子でも無理ではないか。文夫は地元の教員採用試験になかなか受からないので、東京都を受験するらしい。また寂しくなる。

 

 1977年(昭和52年)すずさん52歳

 文夫が東京から帰省した折に紹介したい人がいるというので何事かと思ったら、どうやら文夫にもついに「いい人」ができたらしい。お世話になった教授の娘さんで光子さんというらしい。今から会うのが楽しみ。ねねは相変わらず、結婚なんてしている暇はないと言っている。

 *光子(みつこ)=光子(こうし)=フォトンである。陽子の崩壊によって生じる素粒子でもある。

 

 1978年(昭和53年)すずさん53歳

 ようやく我が家にも電子レンジがきた。これで、コンロがなくても温め直せる!さっそく朝に作ったゆで卵をいれてスイッチオン。でも、しばらくしたら物凄い音がして、中で卵が爆発していた。いったい何が起こったのかさっぱりわからない。下手に触ってまた爆発したら怖いから、誰かが帰って来るまでそのままにしてある。

                *すずさんがやったからといって、決して真似をしてはいけない。

 

 1979年(昭和54年)すずさん54歳

 ついにカープ日本一だ!!と嬉しくてテレビの前で衝動的に踊っていたら急に立てなくなってしまった、気持ちと身体が混乱して、家族に心配をかけてしまったが、どうやらこれが世に言うギックリ腰というやつらしい。

 

 1980年(昭和55年)すずさん55歳

 やった!また日本一だ!でも、今度は周作さんの監視下の元、衝動的に踊ったりせず、静かにテレビを見ていましたよ。見ていたのに、なぜか立てなくなってしまった。どうやら、興奮して無意識のうちに身体がいつもと違う動きをしていたらしい。また家族に迷惑をかけてしまった。

 

 1981年(昭和56年)すずさん56歳

 光子さんが元気な男の子を産んでくれた。名前は「元気」だそうだ。男の子らしい名前だ。光子さんが山口に里帰りする途中で、呉にも寄ってくれるそうだ。元気くん、早く見たい。

 *:元気=ゲルマニウム(Ge)である。ゲルマニウムは炭素、ケイ素、すず、鉛と同族である。

 

 1982年(昭和57年)すずさん57歳

 周作さんがいきなりギターを習いに行くと言う。仕事が忙しくて諦めていたけど、退職した今が最後のチャンスだと思ったそうだ。そう言えば昔、納屋に弦の張ってないギターが隅にあった気がする。ただ、ギター教室の先生が若くて綺麗な女の人なのが少々腹立たしい。

 

 1983年(昭和58年)すずさん58歳

 円ちゃんが通っている大学の島津先生という人は清少納言が研究テーマで、平安時代の事を見てきたように講義するので大層人気らしい。円ちゃんもその先生の研究室に入り浸っていたら、なんとその先生、どうやら光子さんの事を知っているらしい。小さい頃、光子さんのお姉さんとよく遊んだそうだ。どこでどんなつながりがあるかわからない。

 

 1984年(昭和59年)すずさん59歳

 久々にカープ日本一!今年は勢いがあったように思う。それはそうと、久夫君が西鉄時代からライオンズのファンなのでお義姉さんも実は「隠れライオンズファン」だった事がわかりびっくり。この地でよく今まで隠し通してきたなあと家族に話すと、皆はずっと昔から知っていたらしい。例によって、うちだけ知らなかったのか。

 

 1985年(昭和60年)すずさん60歳

 周作さんのギターの発表会に行った。本当に立派な演奏で感動したので、先生にお礼を言いにいったら、手放しで周作さんの事を絶賛してくれてうちの事のように嬉しい。それに対抗する訳ではないけど、うちも絵画教室に通う事にした。先生にしっかり習って、下手でもいいから左手でちゃんとした絵を描きたい。やはりうちは絵を描くのが好きなのだ。

 

・1986年(昭和61年)~1995年(平成7年)

 1986年(昭和61年)すずさん61歳

 レンガ通りで、円ちゃんが若い男の人と手を組んで歩いているのを目撃してしまった。少し後をつけてみたけど、かなり進展している仲のようだ。何故かどきどきしてしまって、ヨーコさんに報告しようかと思ったけど、円ちゃんも考えて見ればもう大人なのだから暖かく見守る事にした。ともあれ、こんな歳になっても、周作さんとリンさんの時のようにドキドキしてしまう自分に驚いた。

 

 1987年(昭和62年)すずさん62歳

文夫が担任している6年生のクラスで去年に転校してきた野球の得意な活発な女の子がいるそうで、なんとその子、カープの大ファンだと言う。東京でもカープファンがいるとは、とても嬉しい。でも、その女の子、名字が石川なので「ごえもん」と呼ばれているらしい。石川といえば、石川さゆりだっているのに、なぜ「ごえもん」になってしまったのだろう。

 

 1988年(昭和63年)すずさん63歳

 ねねがエンジン開発チームのリーダーに抜擢されて広島に転勤してくることになった。凄いなあ。難しい事はわからないけど、とにかくねねが近くに来てくれて嬉しい。それにしても、ねね、お義父さんの血筋をしっかり受け継いでいるなあ。でも、機械の話を始めると止まらない所は受け継がなくてよいです。

 

 1989年(平成 元年)すずさん64歳

 とうとう昭和が終わってしまった。今年が何年かわからなくなる時は、自分の年齢を思い出せばよかったけれど、これからはそうもいかなくなったので困ったことだ。そうだ、もう歳を取らなければいいのだな。永遠の64歳、北條すず。

 

 1990年(平成 2年)すずさん65歳

 今日は円ちゃんの結婚披露宴に行ってきた。天井からお婿さんが登場したり、ケーキの上に花火があったり、様々な出し物が次から次へと続いたりで全く飽きない。うちと周作さんの時からすれば、同じ国の結婚式とは思えない。でも、円ちゃん、衣装を着替える時はちゃんと席をはずすので、偉いなあと思った。

 

 1991年(平成 3年)すずさん66歳

 カープ、本当に久しぶりのリーグ優勝。でも、日本一になったのもついこないだのように思える。さすがに、もうギックリ腰にはならない。そこは、年の功というものだ。と余裕でこの日記を書いていたのだが、どうも何か怪しい。今、周作さんに助けを求めているところ。

 

 1992年(平成 4年)すずさん67歳

夏休みで元気くんが遊びに来てくれているのだが、小学校5年生とは思えないくらいに絵が上手い。うちを描いてくれるというので、半分冗談で若く描いて、と頼んだら、十代の頃のうちを想像で描いてくれて、それが大昔にうちが描いた絵にそっくりで、ふいに涙が溢れてしまった。こういうのは隔世遺伝というのだろうか。

 

 1993年(平成 5年)すずさん68歳

 とうとうひいお婆ちゃんになってしまった!円ちゃん、お疲れさま。元気な女の子で名前は、球美(たまみ)にしたそうだ。最近の子供の名前は外国の人のような名前が流行っているけれど、素直に良い名前だと思う。お産の時には、旦那さんも側についていてくれたそうで、世の中も随分と変わったものだ。

                        *:円を立体化して「球」にしてみたのである。

 

 1994年(平成 6年)すずさん69歳

 早いもので、うちがこの家に来てからもう50年になる。今から50年前は、お義父さん、お義母さん、晴美さん、そしてうちの右手もこの家にいて、それから本当にいろいろな事があって、新しい家族が増えて、今もこうしてこの家でうちが生きている。何か不思議な感じだ。

 

 1995年(平成 7年)すずさん70歳

 神戸で大きな地震があって、街が焼け野原になっているような状態で、婦人会でヨーコさんが現地にボランティア(?)に行くという。ボランティアというのは、勤労奉仕みたいなものらしい。うちも家で何もしないでいるよりも炊き出しで何でも手伝いがしたいと思って、ヨーコさんに連れて行ってほしいと言うと、年寄りはかえって足手まといになるから駄目と言われた。何か大昔に同じような事があったような気がする。

 

・1996年(平成     8年)~2005年(平成18年)

 1996年(平成 8年)すずさん71歳

 たまちゃん、まだ小さいのに名犬ラッシーに夢中らしい。毛の長い犬を見ると、全部ラッシーと呼ぶそうだ。そのうち犬が飼いたいと言ってこないかと円ちゃん心配している。犬くらい飼ってあげればいいと言ったら、最近は外で大きな犬を飼うのも気を使うのだそうだ。

 

 1997年(平成 9年)すずさん72歳

 絵画教室で風景の写生会があり、見晴らしのいいところで、新しく入って来た若い女の子とあれこれ話をしていたら、なんと、その子はりっちゃんのお孫さんだった!りっちゃん、広島で元気に暮らしているらしい。りっちゃんが生きている事がわかって、うちが小学校だった時のいろいろな風景や出来事がいきなり鮮明に思い出された。すぐにでも会いに行きたい。それにしても、どこでどんなご縁があるかわからないものだ。

 

 1998年(平成10年)すずさん73歳

 すみちゃんが東京の病院に入院したというので、元気くんに会いたいのもあるので、東京までお見舞いに行って来た。病院の近所の花屋さんでお見舞い用の花を買おうと思ったら、なんと菊しか売ってない花屋さんでびっくりした。すらっとした美人さんと穏やかそうな眼鏡の店員さんがいたが、病院に菊を持ってゆく訳にもいかず花を買うのは諦めた。お菓子だけ持って病室に行ったら、すみちゃんのベッドの周りは既に花でいっぱいだった。モテる人は違うなあ。相変わらず、担当の看護師さんが研修医のお兄さんといい感じになっているとかの話で盛り上がる。やはりおばあちゃんになってもすみちゃんはすみちゃんだ。

 

 1999年(平成11年)すずさん74歳

 久々に帰省した文夫と話をしていたら、文夫の勤める小学校で、学校に鶏を連れてくる女の子がいるらしくかなり困っているそう。学校でも鶏を飼育しているのだから、いいのではと言ったら、その鶏は学校の鶏に攻撃するから問題なんそうだ。いまどき、随分と野性味のある子供もいたものだと感心した。

 

 2000年(平成12年)すずさん75歳

 元気くんが雑誌の新人賞で入選したそうだ。でも、元気くんの漫画が載っている雑誌を本屋で探したら、表紙が若い女の人の裸同然の水着の写真で、ちょっとレジに持ってゆくのが恥ずかしかったので、文夫にその雑誌を郵送で送ってくれるように頼んだ。届くのが楽しみだ。

 

 2001年(平成13年)すずさん76歳

 歳のせいか最近、伝えたい言葉がでてこなくて、アレとかコレとか言ってしまう事が多い。知っている言葉を言い間違える事もあって、ブロッコリーの事をブッコロリーと言ったりして、たまちゃんに大笑いされる。ついにうちもボケてきたのだろうか。周作さんは、すずさんは元々ボケているから大丈夫と言っているのだけど、何が大丈夫なのだろうか。こんな事を考えているのはボケているからなのだろうか。

 

 2002年(平成14年)すずさん77歳

 たまちゃんが家に来て、魔女とか宝石とか指輪とかぶつぶつ呟いているので、何かと思ったら学校の出し物で「アリーテ姫の冒険」と言う劇をやるんだそうだ。たまちゃんは魔女の役。聞いた事がない題名だったので、白雪姫みたいな話かと聞いたら、去年、アニメにもなったような比較的新しい話らしい。たまちゃんにあらすじを聞いたら、わくわくするような面白さだ。三つの願いが叶う指輪があったら、うちなら何に使うだろうか。うーん、減らない絵の具、洗わなくていい筆、何枚でもめくれるスケッチブックがあったらいいなあ。

 

 2003年(平成15年)すずさん78歳

 文夫からいきなり電話が来て、交通事故でお金が急に必要になったけど、今手持ちがないから困っていて、すぐに現金が欲しいというので、すぐに銀行へ行って文夫の口座にお金を振り込んだ。気が動転していたので、振り込んだ後になって、銀行に行けないから困っているのではと思って、文夫の勤める学校に電話したら、お金には困っていないという。狐につままれた気分だが、後で周作さんに話したら、それは最近流行っているオレオレ詐欺ではないか、という事だった。なんでこれが詐欺なのかわからない。

 

 2004年(平成16年)すずさん79歳

 外に出るのも段々と億劫になって来たけど今日はすみちゃんに付き合って久々に広島の平和記念公園に行った。すると木陰でゲロを吐いている女の人がいたので声をかけたら、平和記念資料館で気分が悪くなったらしい。友人の父親追跡に付き合ってわざわざ東京から来たそうだ。随分と友達想いな人だ。どことなくリンさんに似ていた気がする。その友達の父親というのは広島出身なのだろうか。聞きそびれた。

 

 2005年(平成17年)すずさん80歳

 文夫の勤める小学校で、教室で大きなナメクジを飼う女の子がいて困っているらしい。そのナメクジのせいで学校に来なくなる児童もいるそうだ。学校に来たくなくなる程のナメクジはどんな大きさなのか、都会にはそんなナメクジがいるのか、そっちの方が気になってしかたがないので、想像で絵を描いたら、円ちゃんからナメゴンの絵?と言われた。

 

・2006年(平成19年)~2017年(平成29年)

 2006年(平成18年)すずさん81歳

 千鶴子ちゃんとこの礼花ちゃんがいきなり東京からこっちへ帰って来て、帰省理由も話さずに、海岸でワカメをひたすら拾っているそうだ。心配した向こうの家のお義父さんもお孫さんと一緒にわざわざこっちまで駆けつけたらしい。いったいどうしたんだろう?もしかすると、二人目ができたのかな。

 

 2007年(平成19年)すずさん82歳

 南の島で海賊になって、海賊の敵になったお義姉さん向かって銃を派手に撃って清々する夢を見た。なんでこんな珍奇な夢を見たのかと思ったら、ブラックなんとかというアニメを円ちゃんの家でたまちゃんと一緒に何となく見ていたせいだろう。

 

 2008年(平成20年)すずさん83歳

 文夫の小学校では動物の飼育はいろいろな事情があって止める事になったらしい。そして成り行きで、学校で飼っていた鶏二羽を引き取ったそうだ。光子さんは小さい頃に家で飼っていた事を思い出して、名前もつけて可愛がっているらしい。元気くんも独り立ちしたことだし、文夫さんももうすぐ定年なんだから、夫婦水入らずで鶏の世話をするのもいいと思うよ。

 

 2009年(平成21年)すずさん84歳

 光子さんのお姉さんの新子さんの小説を元気くんが漫画にするのだそう。長期の本格的な初めての連載になりそうで、元気くんはりきっている。元気くんの絵は、うちの若い時の絵と良く似ているから、いつもうちが漫画描いているのかと思ってしまう。うちも、今みたいな時代に生まれたら漫画家になっていたような気がする。

 

 2010年(平成22年)すずさん85歳

朝のドラマのゲゲゲの女房を見ていたら、水木しげると言う人は、戦争で片手を失っても漫画家として頑張ってきたみたいだ。いくら利き手と言っても大変な苦労をしたと思う。うちも、もっと早い時期に頑張っていれば漫画家になったのかもしれないと思った。

 

 2011年(平成23年)すずさん86歳

 今日ようやく東京にいる文夫と電話でつながった。全員無事で家も大丈夫とのこと。ただ、飼っていた雌鶏が今回の大きな地震で驚いたせいか、壊れた小屋から飛び出していなくなったらしい。ともあれ、三人とも無事でよかった。

 

 2012年(平成24年)すずさん87歳

 文夫によると、今度は雄鶏の方がいなくなったそうだ。元はつがいだったらしいから、相棒を探しに旅に出たのではないかな。文夫も光子も鶏が餓死していないか心配しているみたいだけど、鶏の餌となるものは意外と野山や街にあるから心配しなくていいと思う。うちもその辺の野草を食べて過ごしていた事もあったし。

 

 2013年(平成25年)すずさん88歳

 円ちゃんのうちに行ったら、たまちゃんが部屋に籠って何かをやっていた。円ちゃんに聞くと同人誌というのを作って東京へ売りに行くらしい。産直みたいなものだろうか。居間に降りてきたたまちゃんに、どんなものを作っているのか見せてほしいと言ったら、絶対に人には見せられない類のものらしい。人に見せられないものを売っていいのかと思ったけれども、きっと東京なら買ってくれる人がいるのだろう。何日も徹夜しているそうで、大変そうだったけど熱中しているみたいでいいことだ。若いというのは羨ましい。

 

 2014年(平成26年)すずさん89歳

 パソコンなんてうちには縁がないものと思っていたけど、たまちゃんにペンタブと言うのを教えてもらって、減らない絵の具、洗わなくていい筆、何枚でもめくれるスケッチブックがうちの生きているうちに実現していて感動している。いくらでも描き直せるし、色も塗り直せるので、面白くてしかたがない。昔、すみちゃんのために描いた漫画をまた本当に描いてみたくなってきた。

 

 2015年(平成27年)すずさん90歳

 たまちゃんがいろいろやってくれたおかげで、うちの描いた漫画がコミケで完売したそうだ。まあ、「人気漫画家・北條元気のお婆ちゃん」という事で興味本位で買った人が大半だろうが、それでもうちの絵が多くの人に見てもらえてうれしい。好きな事をやってこうして人様に売る事が出来るなんて、今は本当に良い時代だ。何かぼんやりと抱いていた夢がかなったような気がして、もうこの世に思い残すことはないと思った。

 

 2016年(平成28年)すずさん91歳

 いろいろな人から、すず婆ちゃん映画に出てたよと言われる。いくらボケているといっても、自分が映画に出るはずもない事くらいわかる。だいたい女優でもなんでもないこんな死にかけのお婆さんがどうして映画に出ていることなんてあるだろうか。しかし、たまちゃんまでそんな事を言い始めて、ポポロに連れて行ってくれるというので、すみちゃんも誘って、明日、その問題の映画を観に行こうと思う。ポポロなんて、もう何年も行ってないな。

 

 2017年(平成29年)すずさん92歳

 昨年は、カープもリーグ優勝したし、うちとしか思えない主人公のアニメ映画が大変な評判になったりして、本当に夢のような年だった。「この世界の片隅に」。本当に懐かしい人達に直に会えた気がして、いろいろ大変だった事も鮮明に思い出して、今まだこの世界に生きている事に感謝したい気持ちで一杯だ。そして、映画のおかげで、うちの昔の話を孫たちも聞きたがるようになった。そんな訳で先に逝った人達への冥途の土産話はもう少し待ってもらおうと思う。ともあれ、とてもいいものを作ってくれて、原作者のこうの史代さん、監督の片渕須直さんには感謝の念しかない。

 

補足:

1970年(昭和45年):大阪万博に招待してくれたのは久夫君である。久夫君のいる系列会社がパビリオンを出展していたのである。言わば、新し物好きの径子さんへの久夫君なりの親孝行である。

1988年(昭和63年):その後、ねねは、開発にかかわったエンジンをのせた車に最晩年の円太郎を乗せることになる。その時、円太郎が呟いた台詞。

「鳴らしとるのう...ねねの二百馬力がええ音鳴らしとる。チャターマークとの戦いから始めて、ここまできたかのう」

どのメーカーのどんなエンジンかはわかる人はわかるだろう。世代を超えてエンジニアの魂は受け継がれていったのである。

 

本編から私の妄想の戦後日記における人間関係を図として下にまとめた。

クリックすれば拡大する。参考になれば幸いである。

 

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年賀状のこたえ

皆さま、あけましておめでとうございます。

今回は年賀状について。

 

毎年、年賀状を作っていると、年を追うごとに年賀状のアイデアが枯渇してきて、困った事になる。せっかく出すのだから、月並みな内容では申し訳ないという気持ちがあるのだが、さすがに一個人の発想には限界がある。ということで、今年はクロスワードと漢字パズルに逃げたのだが、逃げた所で、逃げ道があるのかどうかは保証の限りではない。そして、こういったクロスワード+パズルの場合、万が一、答えがわからないと、新年早々もやもやした気分となるだろうから、この場を借りて、問題と解答を公表しようと思う。

 

まず、クロスワードはこんな感じ。色のあるコマは文字は入らない。

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縦のヒントは、小文字のアルファベット、横のヒントは、大文字のアルファベットである。そして、灰色の数字は、次の漢字のパズルに使う。

 

まず、縦のヒントは

a  木星周辺の小惑星

b 権力者の側で機嫌をとる人々

c 水蒸気が地表で氷結したもの

d 世界最小の鳥

 

横のヒントは

A 年齢の程度

B 鳥獣捕獲のための粘性物質

C ジプシーの別称

D 串に刺して焼いた鶏肉

 

そして、漢字パズルの方であるが、四つの部分を組み合わせて一つの漢字を作る。ただし、二つの部分は、クロスワードの1と2に入った文字を使う。だから、クロスワードが解けないと、漢字パズルもできないということになる。ここでは2つの( )にそのクロスワードでわかった文字が入る。

 

一 、( )、( )、一

 

問題は以上。では、解答へいこう。

下にスクロール。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

解答

縦のカギ

a ト

b トリマキ(取り巻き)

c シモ(霜)

d チドリ(中南米の小さい鳥の一種)

 

横のカギ

A トシ(年端)

B トリモチ(鳥餅)

C 

D ヤキトリ(焼き鳥)

 

太文字が漢字パズルに使う部分だ。

 

ということで、漢字を作る部分は

 

一、ロ、ハ、一

 

という構成になる。これを組み合わせて漢字を作ると、一つの答えは

 

 

となる。

この答えとなった人は、今年の干支であるから、きっと今年は良い事があるだろう。

 

 

あるいは、もう一つの答えとして

 

 

というのもある。貝はお金の意味であるから、こちらの答えにした人は、今年は金運がいいのかもしれない。

 

ともあれ、皆さまにとって今年が良い年でありますように。

 

追記:クロスワード、一行多かったので、修正(1/4)。

音楽で観る「この世界の片隅に」

コトリンゴで良かった

 「この世界の片隅に」の音楽がコトリンゴで本当に良かったと思う。というのも、こうの史代作品の中での「音の風景」をアニメーションで実現するには「空気感を作る成分として無駄なくひっそりと機能する音楽」がなにより大事で、その「空気感」を作るアーティストとしてコトリンゴこそベストだと勝手に思っていたからだ。既に映画を見たならば、これだけの説明でわかる人も多いと思う。

 

 さて、そんなコトリンゴによる「この世界の片隅に」の音楽について、無謀にも譜例なども参照しながら、音楽素人なりに語ってゆきたい。もうそうせずにはいられないのだ。専門の方からすると楽典上の間違いや根本的な勘違いもあるとは思うので、あまりに目に余るよう出れば、ご指摘いただければ幸いである。なお、譜例はあくまでメモ程度のもので、調や拍子が正確である保証はない事は予めお断りしておく。原則サントラに沿って書いてゆく。太字はサントラでの曲名を示す。サントラを聴きながら読むと、私が伝えたい事もわかりやすいだろう。

 そして長い記事なので、目次をつける。気になるところからお読みいただければ幸いである。

 そして、さすがにネタバレなしでこの作品の音楽について語る事はできない。ここから先、相当なネタバレを含むので、まだ映画をご覧になってない方は、一度(以上)映画館で「この世界の片隅に」を鑑賞された後に読む事を強くお勧めする。

 

劇場アニメ「この世界の片隅に」オリジナルサウンドトラック

劇場アニメ「この世界の片隅に」オリジナルサウンドトラック

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

目次

・「讃美歌」から「悲しくてやりきれない」へ

・「讃美歌」から「みぎてのうた」へ

・すずさんの生活音楽

・新しい日常への律動

・真空の音楽と歪んだ世界

・「周作さん」のテーマの変容

・「たんぽぽ」から未来へ

 

 

 

 

「讃美歌」から「悲しくてやりきれない」へ

 すずさんが海苔を背負って船に乗る冒頭のシーン。長閑な風景に寄り添うように、すでに和やかな音楽が流れ始めている。しかし、それが讃美歌111番神の御子は今宵しも」の前奏であった事を知れば、多くの人は「おや、クリスマス?」と自然に感じてしまうことだろう。この讃美歌は今でもクリスマスシーズンの空気を彩る音楽の一つである。

 

讃美歌111番「神の御子は今宵しも」

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 現代を生きるほとんどの人は、戦前と聞けば、「クリスマスなどという浮かれた事は全くない重く暗い時代」というイメージがドラマや映画を通じて刷りこまれているだろう。そういったこれまでの戦前の暗いイメージは、この冒頭の讃美歌と広島の街の生き生きとした賑やかな風景によって見事に払拭される。観客は、戦前にもクリスマスはあり、あの赤い衣装のサンタクロースさえ街を闊歩している事に気付く。音響と視覚により、昭和9年の広島が全くの別世界でなく、今現在のこの世界へと連続している事を鑑賞者は実感するのである。

 当然、海苔のお使いではあるものの、すずさんもそんな街の雰囲気に浮足立っている。しかし、浮かれるのもつかの間、すずさんは迷子になり、大正屋呉服店にもたれかかり、道端をぼーっとながめている。そこで、耳元で囁かれるようにコトリンゴの歌が始まる。「悲しくてやりきれない」である。

 コトリンゴは定石通りにはこの歌を始めない。空虚五度らしき持続音を含めつつ調性を曖昧にしたまましばらく保持し、観客に少しばかりの不安定感を与える。そして、青空にクレジットが浮かぶあたりで和声的に解決して、ほっと一安心。観ている側はある種のつり橋効果で無意識のうちに、いつのまにか作品世界へ引き込まれてしまう。その後も単純な伴奏というより「声楽付き室内交響楽」といった感じの極めて凝った編曲で曲を盛り上げてゆく。コトリンゴの歌とこの編曲は、原作を知っている人にとっては「すずさんという人を体現させたような曲だなあ」と感覚的に共感できるだろうし、原作を知らない人は少なくとも「何かふわふわした雰囲気の作品なのかな」と予感することだろう。ザ・フォーク・クルセダーズの原曲をよく知っている人なら、この曲の成り立ちや歌詞まで深読みして、もっといろいろな事を連想したかもしれない。なお、映画本編では、サントラの楽曲を短く編集した形で流れる。

 と言う事で、冒頭五分間程度は「讃美歌」で時代感覚を馴染ませた後、「悲しくてやりきれない」ですずさんのキャラクター及び雰囲気を刷り込み、音楽によっても観客をこの作品の世界観へどっぷり浸かるような流れになっている。見事だ。

 なお「悲しくてやりきれない」の作詞者、サトウハチローは広島の原爆で弟を亡くしている。また作品中の呉の街角風景の電柱看板で登場する「清酒千福」の戦後のCMソングの作詞もサトウハチローである。

 

 

 「讃美歌」から「みぎてのうた」へ

 冒頭の讃美歌はもう一つ重要な役割を担っているように私は思う。この讃美歌の歌詞は「神の御子はベツレヘムでうまれたもう」なのである。つまりはマリアさまの処女懐胎。それは、子供に恵まれなかったすずさんの右腕へ孤児が寄り添ってくるあの場面を連想してしまう。

 実際、そういった宗教的なイメージは本編終曲の「みぎてのうた」で再び登場する。「みぎてのうた」の歌詞の大元は、原作の最終回におけるすずの右手からの「しあはせのてがみ」の文面である。原作を読んでいた時は、淡々とした、しかし強い意志を持った愛の叙事詩のように受け取って、「悲劇からの静かな歩み」を表すような曲(例えばマイケル・ナイマンの「if」のような感じの曲)を勝手に想定していた。「みぎてのうた」を知った後だと、この選曲は非常にありきたりすぎて自分のセンスのなさを痛感する。

 マイケル・ナイマン if

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 コトリンゴと片渕監督は原作の歌詞を整理しつつ「みぎてのうた」を、まるでオラトリオの一場面のようなフルオーケストラの壮大な曲にした。異論は承知で言うと、「みぎてのうた」の曲の流れ自体は、規模も曲想も歌詞もすずさんの右手の身の丈には全くそぐわないものの、グスタフ・マーラーの「復活」終楽章後半、合唱が入る20分40秒あたりからの展開を連想してしまう。また、「みぎてのうた」の旋律が少し山田耕作の「この道」に似ているのも、再生の象徴として考える上でも良い感じだ。無論、映画の中では前面にじゃんじゃん鳴り響く訳ではないが、「ありふれた静かな物語が実は奇跡に他ならない」というある種の宗教的な高揚感を「みぎてのうた」がしっかりと支えている事は間違いない。

 なお、サントラでは終始伴奏がついているが、映画本編では戦災児のヨーコが焼け野原で歩くあたりから無伴奏になるので、ヨーコのポツンと何の支えもない状況がさらに際立っている。

 

グスタフ・マーラー 交響曲第二番「復活」第五楽章

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山田耕作 この道

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 なお、サントラでおまけのように付いているビックバンドジャズ風の曲「New Day」は、注意深く聴かないとわかりにくいが、この「みぎてのうた」のジャズバージョンである。「原曲」からそれなりに変形されているので、全く違う曲のように聴こえる。いったい映画のどこに使われていたかと思っていたが、三回目鑑賞でどうやら進駐軍の場面でうっすら流れているようだ。つまり、進駐軍がもたらした俗世での物質的・食欲的な「奇跡」を最後のシーンの前に密かにすべり込ませているという事なのかもしれない。

 

 

すずさんの生活音楽

 この作品は、「悲しくてやりきれない」「みぎてのうた」の印象が強いので、一回観たくらいでは、他にどんな音楽が映画の中で流れていたかを明確に思い出せる人はそう多くないだろう。かろうじて「讃美歌」「隣組」があった事を思い返すくらいだろうか。

 なぜそうなるのかと言えば、おそらくはコトリンゴの作った音楽が、エリック・サティの「家具の音楽」のような性質を持ったものだからだろう。「家具の音楽」とは、乱暴に言ってしまえば「音楽自体をじっくり聴かせる目的のない音楽」すなわち本来の意味でのBGMである。

 「この世界の片隅に」は、原則的にすずさんの視点のみで構成されている作品だ。すずさんが見てない事・想像してない事はほとんど描写されない。つまり、この映画の音楽のは、すずさんの日々の心象風景を補佐する存在と言ってもいいだろう(ただし、本編最後の「みぎてのうた」は、すずさんから失われた右手の視点によるあの世からの音楽だ)。

 すずさんは、外に向かって何かを強く主張する事はない。外見上はいつもぼーっとしているように見える。ところが、内面は当然のことながら様々に揺れ動いている。すずさんの気持ちの変化は、テンポよく展開されるエピソードやちょっとしたカットの変化で様々に表現されているが、やはりなんといってもすずさんの心情を直接的に表現できるのは音楽である。それを活用しない手はない。

 といっても、音楽の専門家でもないすずさん個人が心の中で壮大な交響楽を奏でていたら、それは誇大妄想な人になってしまうだろう。やはり、家族との風景も含めてすずさんの生活に寄り添った音楽とするためには室内楽で表現するのが適切だ。サントラをじっくり聴くとわかるが、これがまた単なる効果音楽にとどまらない、機知にあふれ洗練されたコトリンゴらしい曲たちなのだ。

 例えば、(富田勲の「きょうの料理」でも使われる)マリンバを使った「ご飯の支度」など、ジャン・フランセを思い起こさせるような、本当に楽しい描写音楽である。包丁で何かを刻んでいるようなリズムは実際に「菜箸」を使っているらしい。

 

富田勲 きょうの料理

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 ジャン・フランセ クラリネット五重奏 二楽章

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 「隣組」の編曲も、原曲にある戦前歌謡臭さをそぎ落とし、間奏部にカノンやハミングを挿入して、一筋縄でいかないコミカルソングに仕上げている。こうの史代の原作では「隣組」の歌詞を並列させた紙芝居構成だったのが、映画では、このコトリンゴ版「隣組」のおかげで見事にドタバタミュージカルに仕上がっていて、すずさんの間抜けさ加減(身体凶器?)がより引き立てられている。

 

隣組

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 新しい日常への律動

 生活音楽の中には、同じようなテーマが繰り返し使われる場合がある。一つは、後述する「周作さん」のテーマ。もう一つは、「朝のお仕事」のテーマだ。

 「朝のお仕事」は、北條家に嫁いだすずさんが初めて迎える一日目の朝に流れる音楽だ。譜例にあるように、同じリズムが繰り返され、見知らぬ地でのすずさんの新たな日常へのぼんやりした不安が現れているように思える。一歩一歩自分の力だけで歩む事が出来ず、二歩目(二分音符)からは周囲の流れに任せる様を示しているような感じだ。

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  全く同じリズムは、周作さん見送る時の「お見送り」でも登場する。今度は戦争が激しくなり、最も頼りにしている周作さんが家から居なくなってしまう事への寂しさを暗示しているように聴こえる。デートの時よりもお化粧が上手くなっているのもある意味、切ない。そして言うまでもなくその直後に起こる「喪失による新たな日常」の予感の音楽でもあり、リズムは同じでも旋律は暗い色調へ変化してゆく。

 

  すずさんの内面における次の新たな日常は、さらに玉音放送のあの日に訪れる。それまで周囲に流されて生き、我慢を重ねてきた日常の根底が失われ、自分自身への後悔に押しつぶされそうになるあの瞬間に流れる「飛び去る正義」だ。譜例にあるように、すべてピアノによる四分音符となり、弦楽器がそれまでのリズムを刻みながらも、ついにすずさんは心身共にボロボロになりながらも一歩一歩自分の足で歩み始め、走り出すのだ。

 

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真空の音楽と歪んだ世界

 順番が前後したが、すずさんの右手と晴美さんは時限爆弾によって失われる。その時のシネカリアニメーションは、完全に無音と言う選択肢もあったように思う。右手が失われるあの空白の時間は、魂が真空になったような状況であって、下手に煽情的な音楽を入れれば視覚効果が台無しになる危険性がある。原作を読んだ時点でも、私の中ではあのコマの空白は「無音」であった。しかし、コトリンゴは「あの道」でそこに余白の作曲家モートン・フェルドマン風の音楽をあえて入れたのである。音に歪みも加え、シネカリアニメーションの示す息苦しさ・窒息感が嫌でも立ちあがって来る。続く真空状態の精神を強調する「良かった」もまた心象風景を単純な図式に納める事を許さないある種の脅迫的な響きを保持している。

 

モートン・フェルドマン 5つのピアノ

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 そして、自己表現の手段であった右手を失ったすずさんの歪んだ世界へ「左手で描く世界」が差し込まれる。厳密な十二音音楽ではないだろうが、調性感が出ない様に配慮された無調のフラグメントで、すずさんの歪んだ心象風景をよく表している。あえて言えば、ニコライ・ロスラベッツ程度の無調感だろうか。

 

ニコライ・ロスラベッツ 3つの練習曲

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 「周作さん」のテーマの変容

 すずさんにとって、やはり周作さんは一番大事な人である。だから、心象風景でもちゃんと周作さんのテーマがある。それは、浦野家へ訪問した周作さんを、すずさんが窓越しに目にした時に流れる。サントラでの題名もずばり、「周作さん」。こんな感じのテーマだ。

 昔どこかで会ったような、キャラメル味が想起されるような青年への淡い乙女心をうまく表しているテーマだと私は思う。

 

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 このテーマは、その後もすずさんが周作さんと関わる場面で登場する。まず、周作さんが誇らしげにすずさんへ戦艦大和を紹介する「戦艦大和」。東洋一の巨大戦艦だから、もっと壮大な音楽が出てきてもよさそうだが、すずさんにとっては戦艦大和であろうと周作さんとセットの呉の風景である。よって、水鳥が優雅に着水するような雰囲気の音楽になっている。そして、呉の街中を周作さんと徘徊する時に流れる「デート」。こちらは単純に家から解放されて花の都パリを凱旋しているような「夢の時間」を素直に表現した音楽になっている。

 

 さて、その後、いろいろ互いに大変な事があり(映画では登場しないが、リンさん関係もいろいろあり)、それも乗り越えて「受け身」だったすずさんが一人の人間として、妻として周作さんと関われるようになる。その一つの終着点を表すテーマが「最後の務め」だ。

 

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 周作さんのテーマとは別物のように見えるが、聴けばどことなく雰囲気は残っている。違うのは、(仮であるが)一小節目が元のテーマと違い単純に上昇音型になっている点と、続く小節の音が引き延ばされている事だ。これは右手を失い、様々な闇を胸に秘め、自分の意志で歩めるようになったすずさん自身の姿であり、同時にそんな変容したすずさんが周作さんを夫として眺める視点のように思える。

 

ここからは単なるこじつけである可能性が高いが、聴いた個人的な印象として記す。

 

 

 この後、本編最後に登場する、「みぎてのうた」の一部の音型もまた、「最後の務め」の一小節目の変形のように思う。譜例を示す。

 譜面上はリズムも音高も違うのであるが、どことなく似ているような気がするのだ。つまり、すずの分身である「あの世の右手」のテーマということになる。それは「最後の務め」の合わせ鏡となるようなテーマであると同時に地上のすずさんたちを見守る天界の音楽と捉える事も出来る。

 

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 さらに、クラウドファンディングの二番目のクレジットで流れる「すずさん」もまた、「みぎてのうた」「最後の務め」から誘導された音型のように聴こえる。ここでは、あの世から観客へ向けて、映画では語れなかったリンさんとの事を、すずさんの右手が紅を絵具として描いてみせる所だ。少し寂しげではあるものの、「最後の務め」に比べると随分と滑らかなで自在闊達な音楽である。そして、本編に完全に没入してしまい我を失った観客への「魂の冷却材」として、これほど適切な音楽はないだろう。

 

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 「たんぽぽ」から未来へ

 「みぎてのうた」で感動的に本編は終わり、続いてアルベルティ・バスに乗って「たんぽぽ」が始まる。同時に戦災孤児だったヨーコのその後が紙芝居形式で描かれてゆく。久夫くんも登場する。つまりは、すずさんの視点ではなく、ちょっと引いた場所、すなわち段々畑のたんぽぽ(及び、たんぽぽの綿毛)の視点から北條家のその後を見せてくれていると言った感じだ。この「たんぽぽ」、旋律的に大きなヤマやサビがないのに、妙に前進性を感じる曲ではなかっただろうか。聴いていると何か、前向きになれるというか。

 それはこの曲が、おそらくミクソリディア旋法を使ったものだからだろう。ミクソリディア旋法は、昔はアイルランド民謡等で多用された旋法だが、それが移民と共にアメリカ合衆国へ渡り、ブルーグラスやカントリー音楽、ロックなどに応用されて現在に至っている。「たんぽぽ」に合わせて音階を表すとこんな感じだ。

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 長調でも短調でもないその独特な響きは「色々あっても前を向いてやっていこう」と言うような力強い曲想によくマッチする。具体例として、Old Joe Clark、イーグルスのSeven bridges roadをあげておこう。

 

Old Joe Clark

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 イーグルス Seven bridges road

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 つまり、この「たんぽぽ」は、すずさん及び北條家の未来を明示する役割と同時に、鑑賞者自身の「これから」についても、そっと後押してくれる曲でもある。もちろん、歌詞もそういった内容になっている。「たんぽぽ」の綿毛は、今「この世界」に生きている喜びを私たちに与えながら、未来へ飛んでゆくのだ。

 

 

 以上、音楽素人の個人的な雑感を書いてきた。あまりにすずさんとベストフィットしたコトリンゴのセンスと音楽的なイディオムの豊富さに改めて感嘆せざるを得ない。まだまだ気付いてない事もあるだろうし、根本的な思い違いをしている所もあるかもしれない。が、音楽の観点でも「この世界の片隅に」を鑑賞するきっかけになれば私としては大変嬉しい。

 

*映画本編を再び観に行ったら、いろいろ勘違いしている部分があったので、修正した。「お見送り」を晴海・径子さんのお見送りとなぜか思っていたのだった。周作さんには申し訳ない事をしたと思っている。人の証言はあてにならない事の生き証人になってしまった。

 

追記(2017/1/17)

サントラには入ってないが、劇中で使われた曲は他にもいくつかある。例えば、すずさんが径子さんを見送りに行く時にすれ違う女子挺身隊の隊列が歌っていたのは「勝利の日まで」。この曲も、作詞はサトウハチローだ。そして、A応Pが歌っている。まさに適材適所。

すずさんと晴美ちゃんが草を摘みながら歌っていたのが「空の神兵」。これを歌っている時に敵機から狙われるのだから皮肉である。そして、エンジンの解説をしながら寝てしまう円太郎が寝入りばなに歌うのが、言わずと知れた「軍艦行進曲」。戦後、パチンコ店のテーマ曲みたいになってしまったので、「隣組の歌」と並んで人口に膾炙している歌だろう。

また、海軍病院で蓄音器から鳴っていたのは、言うまでもなくグレン・ミラー・オーケストラのムーンライトセレナードアメリカ合衆国の楽団なので、当然「敵性音楽」。

 

 

 

 

数式で表す「この世界の片隅に」

 「また珍奇な事を」と思っているかもしれない。確かにこの作品そのものを数式で表そうなど、無理筋な話だ。ただ、映画「この世界の片隅に」について考えていると、頭の中で様々な要因が交錯し、さらに作品への想いが強くなってゆくのを日々実感する。「これはいったいどういう事が私の中で起きているのか」と個々の要素を分離してあれこれ考えていたら、何やら数式のようなものが浮かんできた。それを整理してみたのが、下になる。

すなわち、

 

 映画「この世界の片隅に」の評価( K )を数式で表すと次のようになると思われる。

 

    K = a(x + y) + b(x + y) – c

  ただし、

  x は「映画を観て言語化できる事柄」、

  y は「映画を観て言語化できない事項」、

  a は「映画を観た後に気付く事項」、

  b は「こうの史代の原作」、

  c は「先入観」

  

  である。以上5つはすべて変数であり、かつ0以上である。

 

 

 まあ、お遊びと言ってしまえばそれまでで、厳密な数式ではない事は百も承知である。「宇宙にどれほど文明が存在するか」を示すドレイクの方程式の劣化版みたいなものだ。ただ、映画「この世界の片隅に」をどのように受け止めているかを頭の中で整頓するには少し役立つような気もする。順番に、解説していこう。

 

x y

 多くの創作物というのは、「言語化できる事項」と「言語化できない事項」とが足し合わされて成り立っている。小説などは当然の事ながら「言語化された事項」の部分が大きいジャンルだが、それでも創作者が伝えたい事がすべて言語化されている訳ではない。もしそうなら、それは小説というよりも「報告書」もしくは「論文」と呼ばれるものになろう。また、「音楽」は「言語化できない事項」の部分が非常に大きいジャンルだ。無論、楽曲分析もできるし、曲の構造などを言語化できるが、実際の音楽体験はそれだけで説明できるものではない。

 基本的に創造的な活動をする人々はこの「言語化できない事項」を鑑賞者へどれだけ多く伝えられるかを目標としていると思われる。といっても、言語化できない事項だけで成り立つ創作物はほとんどないだろう。なぜなら、創作者と鑑賞者との間に言語化できる何かがないと、互いに何を感じているのか共有するのが困難だからだ。

 言語化できる事項は、映画においては「ストーリーと設定」「小道具・セット・背景・色彩」「登場人物の名称・キャラクターや台詞」などがある。これらは別の言い方をすれば「客観的な鑑賞データ」と言う事が出来る。

 一方「言語化できない事項」は、「鑑賞者の感情がその映画によってどのよう動かされたか」である。その感情の揺れは「言語化できる事項」の組み合わせと、映画から受け取った言語化できない綜合的な情報(音楽、雰囲気、空気感など)とが合わさって醸成される。そして、その感情の揺れを「言葉にする」事はあっても、それは主観的であるが故に仮の「言語化」であって、感情の揺れそのものが言語化された訳ではない。

 一般的に「言語化できる事項」の割合が多い作品は「理屈ぽい」と言われ、「言語化できない事項」の割合が多い作品は「訳がわからない」と言われる事が多い。どちらにせよ、映画作品の個々の基本的な作風は主に式の (x + y) として示される部分だ。

 そういった視点で言うと「この世界の片隅に」は、まず「言語化できる事項」の情報量が通常の映画よりも桁違いに膨大である。この作品に隅々まで満たされているのは、戦前の呉・広島のすべてを圧縮した客観的事実の集積である。記録や証言、つまり「言語化された」ものを全部まるごと映画の中で再構築させたものだ。情報が膨大と言う事は、感情の揺れを作りだす「言語化できる事項」の組み合わせも無尽蔵にある。さらには映画から無意識に受け取る「雰囲気・空気感」なども、遠近感も含めた音響効果や登場キャラの微細な運動のアニメーションによって、非常に濃密なものになっている。すなわち「言語化できない事項」の情報量も半端ではない。

 通常、ある人が認知する情報がその人の許容量を超えると、オーバーフローしたぶんの情報は無意識のうちに適宜カットされる。しかし、本作品ではアニメーションという記号化された表現形態と言う事もあり、情報の許容量を超えても、その人へ「入ってきてしまう」ようである。

 その結果、この作品を初めて鑑賞した人の多くが「感想は言葉にできない」「感動したなどと安易に言えない」としか言えなくなってしまう。人によっては「どういう訳か冒頭から涙が止まらない」「映画終わっても席から立ち上がれない」「映画館から出てしばらくしてから涙があふれてきた」というような状況になる場合もあるようだ。それは、感情を揺れ動かす桁違いの情報をダイレクトに受け取ってしまい、これまでに経験した事のない感覚に戸惑い、どう脳内で処理したらいいか見当がつかない結果であろう。つまり、仮の「言語化」をも不可能にする精神状態に陥ってしまうのだ。

 この x y の部分だけでも、とんでもない作品なのだが、まだ先がある。

 

a b

 娯楽作品と呼ばれる多くの映画作品は、観終わった時、「あー面白かった」という感じで数分後には映画を見た事さえ頭の中から霧散する事が多い。一方で、観終わった後の余韻がずっと残り続ける作品もある。

 「この世界の片隅に」は言うまでもなく後者の典型であって、「言語化できない何か」が残像のようにいつまでも心に逗留し、ぼーっとしているとつい作品の事を考えてしまう。そして、「あれはもしかしてそういう意味?」「これはそれだったのか!」「あれは結局どういう事だったのか?」などと映画を観ている時には気付かかなった事が立ち上って来る事もある。また、インターネット上の様々な人の感想や見解を知るごとに「そういう見方もあったのか!」「えー!そうだったの!」と目から鱗状態になる事もしばしばだ。

 すなわち「映画を観た後に気付く事項」が極めて多いのも「この世界の片隅に」の大きな特徴だ。もともと作品自体の情報密度が大きいので当然の成り行きである。そして、後に気付く事は大抵「言語化できる事項」であり、最初に観た時に「言語化できた事項」の追加情報だ。そして、その追加情報によって、新たな「言語化できない事項」、すなわち「心を揺り動かされる要因」も増える。すなわち、映画を観てない時でも、この作品は心の中で変化し続けると言う事になる。これは式の a(x + y) の部分だ。

 そして、「こうの史代の原作」という項目も加わる。本作ではこれもまた非常に重要な要因だ。通常、原作のある映画というものは、「原作を忠実にトレースする」「原作を凌駕する」「原作の良さが失われる」の3パターンがあるように思う。通常は、b=1である。原作を超えるか超えないかが問題になる訳だから、原作が基準値となるのだ。一般的に原作を凌駕すると言われる作品の場合、(x + y) の数値が高くなる。そして、原作を知らずに鑑賞すればb=0である。

 しかし、「この世界の片隅に」はそれらのどれでもない。あえて言えば、「原作が映画を補強し、映画が原作に新たな命を吹き込む」という相互に作用し合う極めて動的な関係性だ。つまり、事実上、b >1という不思議な状況になるのだ。

 原作未読で映画を観た人の中には「映画館からの帰路、速攻で原作全巻を買った」という事もしばしば聞く。確かに原作で確認したくなる仕掛けが映画本編にも仕組まれているし、それに気付かずとも「とにかく原作を読みたい衝動」にかられるようである。増刷も随分とかかっているようだ。原作をすでに知っている人は改めて隅々を読み返す事になる。そして、映画において原作から省かれた部分、逆に映画で追加された部分を照らし合わせているうちに、作品の奥行きを改めて実感する。

 すなわち、映画を観た時に既に認識していた「言語化できる事項」及び「言語化できない事項」について、原作と映画の比較によって、それまで見落としていた事をさらに発見し、それぞれの意味合い・作者の意図の深さを痛感することになるのだ。そうした事を通じて、「どこまで考え抜かれて創作されたのか」「この作品をすべて理解し感じ尽くす事は可能なのか」という気分になってくる。これらは、式の b(x + y) の部分となる。

 

 ともあれ、様々な要因の変数が加算されてゆくことで、「この世界の片隅に」への評価は鑑賞後の時間が経過すればするほどに上昇してゆくのである。そして、二回目三回目と映画館へ足を運ぶたびに、さらに理解が深まる。理解が深まれば新たに得た視点で原作を再読し、また映画を観に行きたくなるというサイクルになる。

 

そして c

 映画をより有意義に鑑賞しようとする時に、最も障害になる要因が「先入観」である。まあ、完全に一切の先入観を排除すると言うのも至難の業だが、どんな名作でも観る前の勝手な先入観によって、映画を鑑賞する目が曇ってしまう事は意識しておかねばならない。

 言葉で説明し難い「この世界の片隅に」と言う作品について様々な賢い人々が言及していて、それぞれに「うまい事を言うなあ」と感心する。そんな中で、岡田斗司夫氏が「泣いてはいけない映画である。泣いてしまえば、その時点で単純な感情に支配されてしまうから」という趣旨の事を言っていた。

 すなわち、「泣ける映画」と決めつけて「泣くつもり」で映画を観にゆくと「泣きどころ」を探すことに意識が集中してしまうのだ。その結果、この作品のディテールをすっぽり「感じ忘れてしまう」危険性がある。そうなると「なんか退屈な話だった」「特に泣けなかった」と言うざっくりし感想しか出て来ないかもしれない。あるいは「泣けそうなシーン」を予め設定して、気持ちを無理に盛り上げて涙を絞り出し、表層的な物語のみで「まあ、もっと泣ける作品はあるけどね」という感想になってしまうかもしれない。岡田氏が「泣くな」というのは、そういう「泣く事で白痴化する」事への注意喚起だろうと思う。泣くという行為そのものによって「これは悲しい話なのだ」と自分を納得させる方向へ堕ちてしまうのだ。つまり、「泣いてはいけない」というより「泣くつもりで行くな」ということだろう。観に行った人が流した涙は「目的」ではなく「結果」である。

 「先入観」には、監督や配役・配給会社に対するもの、映画のテーマ(この作品の場合「反戦」など)に関するもの、評論家の批評などがある。どれも映画そのものへの純粋な評価を困難にする。すなわち、cは作品への評価をマイナスに持ってゆく唯一の要因である。「この世界の片隅に」と言う作品に対して、現時点では、ほとんどの人が非常に高い評価を与えている。しかし、かなりの少数派ではあるが、極めて低い評価をつけている人もいる。

 この作品をどう評価しようと自由だし、映画の作風の好みも人それぞれだろう。ただ、xyab の値に比べ、c の値が大きくなりすぎて低評価になっている可能性もある。もしかすると、原作未読で b=0かもしれない。もしそうなら、非常にもったいない。そういう人は、先入観を拭って(それがまあ、難しいのだが)、改めてもう一度、まっさらな気持ちで「この世界の片隅に」を観てほしいと個人的には思う。

 

 上記の数式が「この世界の片隅に」を観た後の心の置き場作りに役立つ部分があれば幸いである。

 

高校生のための「この世界の片隅に」

君の名は。」から「この世界の片隅に

 新海誠の「君の名は。」は公開から既に数カ月経過しているにもかかわらず、未だに膨大な数の高校生を虜にしている作品だ。瀧、三葉という主人公二人の心身入れ替えを通して、それぞれの日常が交代してしまうのは単純に面白いし、時空を超えたクライマックスへ突き進み、様々な障害を乗り越えて最後は結ばれるという、ある意味ロマンスの王道も踏襲している。ちょっと普通の恋愛ものと違うのは、主人公たちの記憶が途中から曖昧になってゆく事だ。だから、観ている側は「傍観者」として二人のロマンスの行方をハラハラしながら見守ることになる。しかし、どれだけ感動しようと、あなたはあの作品の傍観者に過ぎないと言える。

 ところが、「瀧(三葉)のような経験をあなた自身ができる映画がある」と言われたら、あなたはどう思うだろう。「傍観者」でなく「主人公」になれる映画、観たくないだろうか。実は、そんな映画があるのだ。その映画の題名はこの世界の片隅にという。個人的には、今、高校生に一番見て欲しい映画だ。

 

この世界の片隅に」での日常

 「この世界の片隅に」では、あなたは「すずさん」という少女になる。すずさんは、クラスに一人はいる、天然すぎていろいろやらかしても憎めないタイプの可愛らしい女の子だ。ただ、彼女がいる時代が私たちとは違う。すずさんがいるのは、1940年代の広島や呉だ。今の高校生にとっては想像もつかない異世界に違いない。でも、素直な感覚で映画に集中すれば、あなたは本当にその異世界にタイムスリップしてしまう事になるだろう。

 始めのうちは、今ではありえない風習に驚き、見た事も聞いた事もない日常に当惑する事も多いかもしれない。しかし、段々とそんな異世界の日常もすずさんの天真爛漫な様子につられて「当たり前」のような感覚になってきて、自分が今いる「この世界」とは別の「あの世界」で生きている感覚になる。もしかすると、ちょっと不便だけど、こういう世界も長閑で悪くないかなと思うようになるかもしれない。

 そんな感覚になってゆけば、あとは映画の終わりまで身を任せて、あなたなりに懸命にすずさんの人生を歩んでゆくことになる。途中、意識が飛んでしまうような大変な事もあるし、気持ちが激しく揺れ動く事もあるが、それとてあなたが生きている限り、日常は続いてゆく。あなたが経験した事は「あの世界」では紛れもなく真実なのだ。

 「この世界の片隅に」は普通では体験できないそんな事が起きる映画だ。

 

生きてゆく私

 ちょっと横道にそれる。個人的な経験談でしかないが、私が高校生の頃、「人生の目標」とか「生きる意味」などをそれなりに真面目に考えていた時期がある。とはいえ、明確な目標に向かって寝食忘れて何かに熱中していたという記憶もなく、ただ、自分はこれからどうなってゆくのだろうと漠然とした不安を抱いていた。今の高校生の中にも、おそらく私と同じようなつかみどころのない不安を持つ人がきっといるだろう。

 ところが、「あの世界」のすずさんは、日々、楽しそうに懸命に生きている。「あの世界」ですずさんの人生を送るあなたもまた、「懸命に日々を生きてゆく」感覚をいつのまにか体得しているに違いない。まず、食べなければ生きてゆけない。食べるために、ない知恵を絞って策を練る。危険を感じたら逃げなければならない。下手をすれば死ぬ日々だ。「人生の目標」とか「生きる意味」など考えている場合ではない。「あの世界」で生きるとはそういう事だ。状況的には不幸な気もするのに、間違いなく「生きている私」をくっきり実感できるのはなぜだろうか。ともあれ、「あの世界」ですずさんの人生を送るあなたは、「この世界」での自分の悩みはいったいなんだったのだろうと思うかもしれない。いや、すずさんの人生に入り込めば、そんな雑念すら浮かぶ暇はないかもしれない。

 

夢からはいつか覚める

 しかし、「あの世界」にずっといる訳にもいかない。いずれは「この世界」へ戻って来なければならないのだ。三葉の世界にいた瀧の心が瀧の身体に戻って来るように、それまで流れていた「あの世界」の時間が、コトリンゴの「たんぽぽ」という曲によって、ぱっと途切れる。あなたとほぼ同世代のすずさんが生きた「あの世界」から、あなたが今生きている「この世界」へ戻ってくる時がやってきたのだ。もうスクリーンに映し出される「すずさんのその後」をあなたは今の自分の視点で眺めている事に気付き、「この世界」へ戻って来た事を実感する。それまで感じていたすずの人生がまるで夢のように感じられることだろう。そして、「あの世界」と「この世界」との折り合いを自分の中でどうつけていいか模索しているうちに、これまで味わったことない感情がとめどもなく溢れ続けるはずだ。あなたは「この世界」へ戻って来た。コトリンゴの「たんぽぽ」の伴奏が、あなたの心臓の鼓動のように鳴り響き、今生きている事への充足感がみなぎってくるに違いない。確かにあなたは今ここに生きている。

 

「あの世界」から「この世界へ」

 ただ、夢から覚めたといっても、すずさんの人生は幻ではない。すずさんの人生は確かにあったのだ。すずさんがもたれかかっていた大正屋呉服店、すずさんがスケッチした広島産業奨励館(原爆ドーム)、すずさんが見舞いに訪れた海軍病院の階段。すべて実在し、今も現存する。すずさんが経験した様々な事もすべて実際に起こった事だ。「君の名は。」の糸守町やティアマト彗星はフィクションだが、「この世界の片隅に」で起こった事は、すべて本当のことだ。

 

 もし、あなたの周りに90歳を超えるような女性がいらっしゃったら、その人こそが、「すずさん」である。その女性は、紛れもなく、「あの世界」に実際に「生きていて」そして今「この世界」でも「生きている」。「あの世界」であなたが経験した事は、その90歳の女性の中に確かに深く刻まれているのだ。「この世界」は「あの世界」から間違いなく続いている。「あの世界」から生き残った人々がいたからこそ、「この世界」のあなたは今、ここに存在しているのだ。

 しかし、残念ながら「あの世界」から生き抜いてきた人々も、徐々に「この世界」からあなたより先に姿を消してゆくだろう。そして、今、あなたは「この世界の片隅に」生きている。

 

 高校生諸君、是非とも、映画館で「この世界の片隅に」を観て、「あの世界」へ旅立ち、すずさんの人生を生き抜いて欲しい。さらには、沢山の友人を誘って、「あの世界」を共有してほしい。それが私の切なる願いである。

 

 「あの世界」を「この世界」から未来へと受け継いでゆく最前線は、間違いなく高校生のあなたなのです。

「この世界の片隅に」は無形文化遺産である

「でもアニメでしょ」と言う人に

 随分と大きく出たタイトルだが、既に作品を映画館で見ているなら「そうかもしれんな」と思った人もいるかもしれない。時間が経てば経つほど、「この世界の片隅に」の物凄さを実感している。既に「音の風景が広がる」「化学」の視点で私なりにこの作品について書いたのだが、その後、見た人の多種多様の様々な視点がほぼ無尽蔵に出てきて驚きの毎日である。こうの史代・片渕監督・素晴らしいスタッフの方々の当初の意図を徐々に超えて、多くの観客がこの作品へ養分を与えて育てている感すらある。

 もちろん真面目に「ユネスコ無形文化遺産に推薦しよう!」と言いたい訳ではない。この作品はそんな権威付けとは無関係だ。より多くの人が映画館に行ってこの作品を「体験」してくればいいのである。しかし、映画館に行かなければ始まらない。観客数が頭打ちになり、映画館での上映が次々と打ち切りになってしまう可能性は今でもある。

 

 ということで、私としては珍しくいろいろな人に「この世界の片隅に」を見に行くよう伝えているのだが、「でもアニメでしょ」と言われる事が案外と多いのである。そのような人に「アニメだけど、描写が本当に凄いんだよ、実写で出来ない事をやっているんだよ!」とあれこれ言葉を尽くしたところで、「でもアニメでしょ」と同じ返答がくるのである。そりゃあ、「この世界の片隅に」は正真正銘アニメーションである。そこは否定のしようがない。アニメーションと言う存在を生理的に受け付けないというのなら、致し方ない。しかし、ある年代以上で「アニメは嫌いではないが、映画館で見るようなものではない」と思い込んでいる方もまだ多いようなのだ。どうも、大昔に孫に付き合って見たアニメを基準として「アニメ=漫画=子供向け」という感覚で今まで来てしまっている可能性が大きい。当然、孫が成長した後はアニメなど全く見ない日々である。はっきりいってそういった世代の方々にこそ見てほしい作品なので非常にもったいない。

 ここで邪道かもしれないが権威を利用する事にしよう。すなわち「ユネスコ無形文化遺産になりうるアニメだよ」という殺し文句を繰り出すのだ。すべてではないにせよ、ある年代以上は、世界遺産とか無形文化遺産を妙に有難がる人が多い傾向がある。実際にそれぞれ価値のある事物だからそれらに感動する事は悪くはない。しかし、「富岡製糸場世界遺産に登録された」と聞いて、「是非行ってみたい!」などと衝動的に言いだす人を見ると「昔からずっとあそこにあるんだけど、、」とつい言いたくなる。どうも「権威」が付く事が重要な人もいるようなのだ。そこで映画館へ足を運んでもらうための方便としてユネスコの「権威」を使わせてもらうのだ。

 しかしながら、「そんなのはあんたが勝手に思っているだけでしょ。実際、認定された訳でないし」という反論が来る事は容易に想像がつく。そりゃそうだ。ということで、これから「この世界の片隅に」がユネスコ無形文化遺産になりうる根拠を書く。半分冗談だが半分本気である。

 

ユネスコ無形文化遺産の条件

 まず、ユネスコ無形文化遺産の定義を記すと

 

慣習、描写、表現、知識及び技術並びにそれらに関連する器具、物品、加工品及び文化的空間であって、社会、集団及び場合によっては個人が自己の文化遺産の一部として認めるもの

 

だそうだ。

 

 なんだか、解釈を広げれば、私たちの文化的な活動・生産物はすべて当てはまりそうであるが、当然、選定基準がある。選考基準は二つ。

 

 1.たぐいない価値を有する無形文化遺産が集約されていること

 2.歴史、芸術、民族学社会学、人類学、言語学又は文学の観点から、たぐいない価値を有する民衆の伝統的な文化の表現形式であること

 

 「誰が『たぐいない価値』を決めるのか」というツッコミはひとまず置いといて、映画「この世界の片隅に」が、これら選考基準に適合するか考えてみよう。

 

映画「この世界の片隅に」は無形文化遺産の選考基準を満たしているか

 選考基準の1番目は、映画を見た人なら言わずもがなであろう。まず「無形文化遺産が集約されている」という文言は、まさに映画「この世界の片隅に」そのものである。観客に「すずが実在している」と思い込ませるために、人々の記憶に微かに残されているあの時代の文化の様相が圧倒的なリアリティによって濃縮還元されているのだから当然だ。そして、口コミ中心でこれだけの観客を引きよせ、高評価な人が大半(11月23日時点で、yahoo評価は4.56 / 評価人数2000以上)な訳だから「たぐいない価値を有する」と判断してもよかろう。とはいえ、「アニメなんて」という人にとっては「それは単にお前の思い込みだろう」「高評価は流行に踊らされているだけ」と言われるかもしれない。

 

 そこで選考基準の2番目。具体的な基準を示そう。

 まず「歴史」「文学」の観点だが、本作品は第二次世界大戦(太平洋戦争)についての貴重な伝承文学と捉えることができる。語り部は言うまでもなく「すず」である。本編ではすずが見聞していない事はほとんど「伝言」「回想」でしか登場しない。あくまですずの近辺で起きた事を「自作の絵画」なども通して語ってゆくのだ。すずの語りがリアルであればあるほど「すずが実在したかどうか」は問題にならなくなる。それは伝承文学の大きな特徴である。そして伝承であるからこそ、リアリティが出てくる。

 民俗学」「人類学」「言語学の観点では、作品中で、当時の生活の中で存在したすべての事物を、音声や形態も含めてほとんど偏執質的に詳細に再現している点があげられる。それは日常の細々した生活道具や民家の建築様式などはもちろんのこと、その地域に伝わる風習・言い伝え(傘や箸の話)そして方言(呉と広島の微妙なイントネーションの相違)にまで細部にわたる。また、季節ごとの的確な自然環境の描写を盛り込む事で、その地域の自然風土に合わせた伝統的な祭りや生活様式・伝統的産業も巧妙に表現している。

 社会学の観点では、当時の家父長制や隣組(隣保班)および軍隊組織が実際の生活の中でどのように機能していたか、あえて説明的な台詞を一切使わず、些細なエピソードの積み重ねによって描写している。同時に、観客は現在の日常での人間関係を思いだし、「家父長制」や「隣組」そして「軍隊組織」の残渣が潜在的な構造として現在も継続している事を実感することになる。

 そして、「芸術」の観点。人をそれまでとは違った世界へ連れてゆく創作物を芸術と言うのなら、映画「この世界の片隅に」はまさに芸術以外の何物でもない。なぜなら、この作品を観る事で、観客の精神は「すずが本当に生きている戦前の呉・広島」へ連れて行かれてしまうのだから。

 

 これらの観点をまとめれば、この作品が「民衆の伝統的な文化の表現形式」として二重の意味で適合していることになるだろう。一つは日本で既に五十年以上の歴史を持つ「アニメーション」という「民衆の伝統的な文化の表現形式」である点。もう一つは「作品中での戦前の生活そのもの」が既に「民衆の伝統的な文化の表現形式」なっている点である。

 

 これだけでも充分なのだが、駄目押しをしておこう。ユネスコ無形文化遺産の選定では、選考基準の項目を満たした対象に対して、さらに考慮基準というものを付加して総合的に最終決定されるようである。その考慮基準とは、

 

 1.人類の創造的才能の傑作としての卓越した価値

 2.共同体の伝統的・歴史的ツール

 3.民族・共同体を体現する役割

 4.技巧の卓越性

 5.生活文化の伝統の独特の証明としての価値

 6.消滅の危険性

 

だそうだ。何かこの作品のために用意された様な考慮基準だ。

 

 「1」「4」については、こうの史代・片渕監督・優れたスタッフたちの卓越した創造的才能と超絶技巧を前にすれば、もうこれ以上何を説明しろというのかと言う感じである。

 「2」「3」「5」については、まさに映画「この世界の片隅に」こそが、そういった価値・役割を担っている本体そのものと言う事になろう。そして、この作品は、すずの人生を通した「時代の記憶」を世代を超えて伝播する強力なツールとなる事も間違いないだろう。

 そして「」。当面は、消滅の危機はないかもしれない。しかし、時が流れて数世代後、この作品は生き残っているだろうか。どれだけ優れた芸術作品でも、歴史の荒波の中で、あるいはもっと些細な積み重ねで、あっさり失われてゆく事は多いものである。NHKテレビで放映されていたある時期の秀逸なドラマが全話ごと消失している事などを考えても、全く油断はできないのである。

 

 以上のことから、映画「この世界の片隅に」はユネスコの「無形文化遺産」に選定される条件を充分に備えていると考えられる。

 

 「でもアニメでしょ」の人へ向けて、上記のような事を、多少尾ヒレをつけながら説明・説得し、「そこまで言うなら、見に行こうかな」となれば万々歳である(ここまで書いておいてなんだが、口頭で上記の根拠内容でそういった人を説得させる自信は私にはない。弁の立つ人、よろしくお願いします)。より多くの人がこの作品を観るために映画館へ足を運ぶ事が、遠い(あるいは近い)将来の「消滅の危険性」を低くする最善の方法である。

 

 そして、この記事を読みながら、まだ映画「この世界の片隅に」を観に行ってない人へ。

 

悪い事は言わない。

まずは、映画館へ足を運び、戦前の呉・広島に行って、すずの人生を体験して来て欲しい。

「この世界の片隅に」の化学

名前の由来

 「この世界の片隅に」を映画で初めて知り、このページにたどり着いた人は、この記事のタイトルを見て「あの作品と化学なんて関係あるのか」と不思議に思っているかもしれない。一方、原作の「この世界の片隅に」に深く親しんでいる人なら「ああ、あの事ね」とおよその見当がついている事だろう。

 本当に沢山の人がこの作品について激賞している状況の中、せっかくなので「この作品での化学の視点」についても、まとめておこうと思う。より多くの人(特に理系の人)が映画を見に行くきっかけ作りに、あるいは既に観た人がまた見にゆきたい気分になれば幸いである。

 

 さて、「この世界の片隅に」の化学とは何か?実は、この世界の片隅に」の登場人物の名前のほぼすべては元素名からつけられているのだ(と推測される)。確かにそう思って見ると、偶然にしては出来過ぎで、作者が意図的に命名したと考える方が自然であるらしい。なお、どの元素をどの名前に当てはめるのか意見が分かれているものもあるので、ここではあくまで私個人の解釈ということをお断りしておく。では、紹介していこう。

 

北條家=ホウ素 B

 北條(浦野)すず(主人公)= スズ Sn

 北條周作(すずの夫)= 臭素 Br

 北條円太郎(周作の父)= 塩素 Cl

 北條サン(周作の母)= 酸素 O

 

  黒村家= クロム Cr

  黒村(北條)径子(周作の姉)= ケイ素 Si

  黒村キンヤ(径子の夫)= 金 Au

  黒村晴美(径子の娘)= アルミニウム Al

  黒村久夫(径子の息子)= ヒ素 As

 

小林夫妻(円太郎の姉夫婦)= コバルト Co

 

浦野家=ウラン U

 浦野十郎(すずの父)= 重水素 D 又は 2H

 浦野キセノ(すずの母)= キセノン Xe

 浦野スミ(すずの妹)= 炭素 C

 浦野要一(すずの兄)= ヨウ素 I

 

森田家(すずの母方の実家)= モリブデン Mo

 森田イト(すずの母方の祖母)= イットリウム Y

 森田マリナ(すずの母方の叔母)= 鉛 Pb

 森田千鶴子(すずの母方の姪)= 窒素 N

 

水原哲(すずの同級生)= 鉄 Fe

 

白木リン(呉の二葉館の遊女)= リン P

 

りっちゃん(席が隣のすずの同級生)= リチウム Li

 

隣保班(隣組の面々)

 知多さん= チタン Ti

 刈谷さん= カリウム K

 堂本さん= 銅 Cu

 

なお、映画には登場しないが、他に

 

テルちゃん(リンの同僚)= テルル Te

栗本さん(円太郎の同僚)= クリプトン Kr

 

というのもある。

 

「だから何?」と言われるとちょっと辛いのだが、それぞれの元素の特性のあれこれと登場人物のあれこれとを照らし合わせると、これがなかなか面白いのである。当然、作者がどう想定したかは全くわからないから、今から書く事は勝手な私の妄想に過ぎない。まあ、こういうものには正解はないと思うので「こういう見方もあるかもね」と暖かく見ていただければ幸いである。ただ、原作も映画も未見の人で、ある程度化学の知識もあり、物凄く勘のいい人は、この妄想でネタバレ的な雰囲気を嗅ぎ取ってしまうかもしれない。そこはうまく意識をぼやかして一旦は心の隅の隅に格納し、映画を見に言って欲しい。

 

浦野家と北條家

 ウラン(浦野家)はすべての同位体放射性元素で、御存じの通り、広島に落とされた原子爆弾の材料である。広島の原爆被害はウラン核分裂の連鎖反応によって生じる膨大なエネルギーによって引き起こされた。一方、原子力発電所における核燃料としても重要だ。しかし、原子力発電所ではその核分裂は制御されていなければならない。

 制御するために必須なのが、核分裂で生じる中性子を減速・減少させる減速材及び制御棒である。減速材として現在最も使われているのが、水である。しかし、中には、水素の中性子が一つ多い重水素(浦野十郎)で作った重水を減速材に使う場合もある。また、古いタイプの原発では炭素(浦野スミ)が減速材として使われることもある。

  しかし、制御棒の素材および減速材として重要なのはなんといってもホウ素(北條家)だ。ホウ素は半減期1秒以上の放射性同位元素を持たず、事実上、安定元素のみの元素である。そして、より多くの中性子を捕えることができる。つまりはドーンとこいと言う感じの元素だ。

 また、核分裂がおきると、その副産物として核分裂生成物が生じる。これは原爆でも原子炉でも変わらない。そこで、あらゆる元素が生じるかといえば、そんなことはない。明らかにウラン原子核の割れ方に傾向があり、生じる核分裂生成物は特定の元素に偏在する。例えば、ストロンチウムモリブデン(森田家)、ヨウ素(浦野要一)、キセノン(浦野キセノ)、セシウムなどである。ストロンチウムヨウ素セシウムの三つは原発事故でお馴染みであろう。他の放射性元素原発事故で放出されているのだが、ガスとして拡散したり、半減期が短かったりで問題にはされてない。また、ストロンチウムは崩壊の過程でイットリウム(森田イト)の放射性同位体が生じる。

 なお、十郎を除いた浦野家と北條家の男性は塩素(北條円太郎)ヨウ素(浦野要一)臭素(北條周作と全員、17族(ハロゲン)の元素である。この中で最も反応性が高いのは塩素、逆に一番落ち着いているのがヨウ素だ。

 また、コバルト(小林夫妻)の放射性同位元素は原子炉で安定元素のコバルトに中性子を当てて人工的に生成させる。つまり、意図的に中性子との「お見合い」をさせないと生じない放射性同位元素なのだ。

 また、核分裂ではなく、核融合においてはリチウム(りっちゃん)の同位体は重要な核燃料源であり、同時に水素原子の中性子が三個の同位体三重水素トリチウム)を人工的に製造する時にも必要となる。核化学から離れるが、炭酸リチウムはそう鬱病の治療薬として使われている。

 

北條(浦野)すず

 スズ(北條すず)と言う元素は風変わりである。まず温度によってその性質が変わる。13℃以下では灰色スズとなり長期間置いておくと、ボロボロになって来る(スズペスト)。スズは酸にもアルカリにも溶ける両性金属でもある。両性金属は他にアルミニウム(黒村晴美)、鉛(森田マリナ)がある。また、放射線を出さない安定同位体が10種類もあり、これも別格だ。これは中性子と陽子が安定した構造を取りやすい魔法数を持った元素だからだと考えられている。この魔法数を持った元素は、他に酸素(北條サン)がある。そして、炭素(浦野スミ)、ケイ素(黒村径子)、(森田マリナ)とは14族(炭素族)の仲間同士だ。

 また、スズの応用面として、ブリキがある。これは、(水原哲)にスズをメッキしたものだ。スズがすぐに酸化被膜を作ってくれるので鉄の酸化(錆)を防いでくれる。しかし、ブリキは外に出したりして傷をつけたりすると、スズのメッキ部分に穴があき、そこから鉄がどんどん錆びてしまう。ただし、メッキ部分のスズは鉄よりもイオン化傾向が小さいので変化しない。

 

白木リン

 リン(白木リン)は酸素などと化合物となっていればそれなりに安定しているが、単体で存在していると不安定な場合もある。白リンと呼ばれる同素体は、強い毒性があり、50℃以上で自然発火する危険な物質である。しかし、その白リンも酸素を遮断して300℃に熱すると、赤リンとなって、非常に安定した毒性の少ない物質に変わる。すなわち、反応する条件や相手次第で落ち着き場所を確保できる元素である。そして、ある意味、スズ(北條すず)の変幻自在な所と少し似たところがある。なお、リンは15族(窒素族)の元素でヒ素(黒村久夫)と同族である。

 

 

黒村径子と黒村晴美

 クロム(黒村家)は、その腐蝕されにくい特性を応用して合金やメッキには欠かせない金属である。大昔は懐中時計と言えば銀時計が一般的だったが、今では手入れの楽なクロムメッキの時計が主流である。とはいえ、全く錆びない(黒村キンヤ)によるメッキは現在でも高級腕時計などに使われ、時計を単なる道具でなく宝飾品として扱う伝統が維持されている。また、ケイ素(黒村径子)の結晶(水晶)は電圧をかけると規則的な振動が起こる。その性質を利用して作られたのがクオーツ時計である。機械式に比べて誤差が非常に少ないため、機械式の時計は今ではほとんど見かけなくなった。

 時計とは離れるが、アルミニウム(黒村晴美)の酸化物の結晶にクロムが部分的に入りこむと色を呈するようになり、1%のクロムが入るとルビーとなる。また、単体のアルミニウム(黒村晴美)は酸化した金属を還元する働きがあり、金属酸化物とアルミニウムの混合物にうまく点火する事ができれば、大量の光と熱を発しながら爆発的に反応が進み(テルミット反応)、単体の金属を得る事ができる。しかし、素人が分量を誤ってこの反応を実行すると大事故につながる場合もある。

 なお、(黒村キンヤ)とアルミニウム(黒村晴美)は、銀や銅に次いで電気伝導率が非常に高い金属である一方、ケイ素(黒村径子)とヒ素(黒村久夫)は、導体と絶縁体の中間、いわゆる半導体の材料として欠かせない元素である。

 

隣保班の面々

 カリウム刈谷さん)、チタン(知多さん)、(堂本さん)は三つとも第4周期の元素である。第4周期は遷移元素が登場し、他人ではあるけど横のつながりも大事という雰囲気が出てくる周期である。つまりは隣組と言う訳だ。なお、この三つの元素の中では原子半径が一番大きい(幅を取る)のがカリウム刈谷さん)、酸化物が看護婦の白衣のように真っ白で、白色顔料や日焼け止めに使われるのがチタン(知多さん)、そして、元素の発見年代が最も古い(古参)のが言うまでもなく(堂本さん)である。

 

あなたは誰?

 「この世界の片隅に」の小説版では、映画でも原作でも出てこなかった新たな「名前」が出てくる。その名は「ヨーコ」。既に映画を見た人、原作を知っている人は、どこで彼女が登場するかおよそ見当はつくであろう。これは私の妄想と言うより希望なのだが、この「ヨーコ」は漢字で「陽子」であって欲しい。

 陽子(プロトンは、原子の原子核において正の電荷をもつ粒子である。陽子の数が原子番号すなわち元素の種類を決める。今ある元素の起源も元をただせば陽子である。具体的には恒星の中で陽子がぶつかりあって、核融合反応が進行し、新たな元素が生れてくるのだ。そして、そこで生じた新たな元素たちは、恒星の終焉とともに広い宇宙へタンポポの綿毛のように散らばってゆく。つまり、陽子(プロトン)は新たな始まりの象徴なのだ。

 

小説 この世界の片隅に (双葉文庫)

小説 この世界の片隅に (双葉文庫)

 

 

 

こうして、元素とからめて「この世界の片隅に」を鑑賞すると、これからは周期表を見るだけで、それぞれの元素の行く末を想い、胸が熱くなってしまうかもしれない。

 

 以上、かなり変則的な「この世界の片隅に」の紹介(?)であったが、この作品は、本当にいろいろな要素が詰まっているので、化学の他にもいろいろな見方ができると思う。様々な視点を通して、全く気付かれていなかった「この世界の片隅に」の新たな魅力がさらに増えてゆけばいいなあと思っている。

 

追記:

 浦野十郎は、ジルコニウム(Zr) という視点もある。ジルコニウムは原子炉での核燃料の被覆管の材料である。

 また、白木リンの白木が、白金(Pt)と言う見方もできる。白金は、酸化しにくい貴金属として金と並ぶ元素であると同時に自動車の排気ガスを浄化する三元触媒の材料の一つとしても重要である。

 とかあれこれ書いているうちに貴重な情報が。作者の弁によると、浦野十郎はロジウム(Rh)だそうだ。ウラン核分裂における最終安定核種の一つだ。キセノン(浦野キセノ)とある意味、同じ枠組みになる。