ZoaZoa日記

気の向くままに書き散らしてゆきます。皆さまの考えるヒントになればと思います。

四面体で観る「若おかみは小学生!」 -後編-

アニメーション表現についての三つの観点

 後編ではアニメーション表現についての観点を書く。別の言い方をすれば、おっこの成長と物理現象との関係性だ。この場合の三つの要素として「光」「音」「運動」を選んだ。あまりに基本的な要素であり、素人の語る事であるから勘違いしている所も多々あるであろうことはご容赦願いたい。これが正解というのでなく、あくまで私個人の雑感である。後編もネタバレありなので、また観てない人は注意されたし。

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「光」

 「光」を表現するのは実は意外と難しいように思う。何かが見えているというのは、反射した光を認識しているのだが、当たり前すぎていちいちそんな事は意識しない。そして光というのは、その光路は煙でも漂ってなければ見えないのである。

 光の存在を認識させる最も簡単な方法は、「光源(照明や太陽、光源の反射)を画面に入れる」ことであろう。しかし、「光がある」という事はわかるものの、直接的すぎて表現上の幅は案外と少ないような気がする。とは言え、真月が企画した夜間の青色イルミネーションは、おっこに三途の川(あの世とこの世の境界)を渡らせるような暗示と真月のハイスペックぶり(植物への青色光負担の考慮)を示す演出として効果的であり、「光源を入れるのは単調」と言っても創意工夫次第のような気もする。しかし、やはりかなり工夫しなければバリエーションは増やせないだろうから、光源を画面に入れてしまうというのは、ありきたりな記号になってしまう危険性と隣り合わせである。では、その他の方法でより効果的に光の存在を演出したい場合どうするか。

 

 まず「影」を使うということがある。光があればどこかに必ず影が生じる。つまりはポジとネガの関係性を利用するのだ。影の表現はかなりバリエーションがあり、影をうまく表現した作品は、奥行きがあり結果的に光の存在と方向性を観客に印象付けることになる。また、光源が太陽である場合、その影や色調の表現によっておよその時刻を示すこともできる。本作品でも、的確かつ効果的な数えきれないくらいの場面で影に語らせる表現があり、それを丁寧に追うだけでも気が遠くなるだろう。

 

 「反射」を使うというのもある。ここでいう反射は、主に鏡面状になった物体に何かが映り込む事を指す。そうした表現によってちょっとした異世界感を鑑賞者に意識させ光の不思議さを示す効果があるように思う。「若おかみは小学生!」では、鏡面を利用した表現が、鏡はもちろん、車窓・窓ガラス・陶器・蛇口・包丁・水晶玉・床などこれでもかと続々登場してただただ圧倒される。

 また、厳密には反射ではないが、光が微粒子に当たって散乱する事によっても、光の存在を示すことができる。微粒子とは、空中に漂う煙・埃や小さな水滴である。専門用語でチンダル現象という。雲の切れ目から伸びる天使の階段と俗に呼ばれる気象現象などがそれである。宿の裏に流れる清流に朝日が差し込む様などは、あの時間帯特有の爽やかさをさりげなく表現している。また、バーのマダムや稽古中のピンふりが着ているスパンコールのキラキラチラチラし続ける様はチンダル現象の疑似モデル化と言えなくもないだろう。

 

 「屈折」によって、光の存在を暗示させるという手もある。光は、一定以上の密度の物体を透過する時に屈折する。屈折の度合いは、その物質の性質や分量によって変わってくる。眼鏡の度数は主にレンズの材質と厚みによって屈折率が変わる事を応用している。公開当初から「眼鏡描写が凄い!」と騒がれているが、確かに度数の違いがわかるくらいに眼鏡の屈折表現が徹底しているのは感服するほかない。また、古い窓ガラスにありがちな微妙な歪みすらも再現しているのはかなり驚いた。他に、水晶玉から見える倒立像をあえて前に出すことで透明感のある夏の涼しさが良く伝わってくる。と同時に倒立像は「持てなす側ともてなされる側の逆転」のきっかけを提示する。また、氷やゼリーの半透過の屈折描写も素晴らしい。ともあれ、これほど光の存在を意識させるアニメーション作品はなかなかない。なぜ光にここまでこだわったのか。私としては、おっこの成長を導く「見えざる手」のような象徴存在の役回りを光に託したのかと感じた。

 

 

「音」

 「音」は連続した空気感を表現するために必須のものである。ある作品を完全な無音で鑑賞すると、画面上は動いていても何か生気がないように感じる事が多い。無音は、人間にとって生理的な緊張感を強いるのだ(もちろん、個人差はある)。

 

 そういった観点で見ると、グローリーとのドライブでフラッシュバックとなった時の、おっこの耳鳴り音のようなくぐもった聴こえ方の再現は経験のある人なら本当に胸が詰まる感覚になったのではなかろうか。また、両親の布団にもぐる回想において、最初の回想(夢)では、布団や服の擦れる音までが再現されていて、布団の中の温かみさえ伝わってくるリアルさがある。しかし、クライマックス直前に再びその回想が出てくるときは完全に無音なのである。無音ということは、それはもう「生の世界」ではなく「虚空の世界」である事をおっこ自身が腹の底から納得してしまった瞬間でもある。その無音の圧力によって、心の行き場を失ったおっこの激しい寂寥感が嫌でも観ている者へ迫ってくる。

 真月が耳たぶをつまむしぐさの音も、テレビアニメ版では戯化した効果音になっていたが、劇場版では抑えられた音になっている。ラジカセのカセットテープを巻き戻す音や畳の摺り音など、光の扱いと同様、環境音・効果音の使い方についても全編この調子で、実例をあげていくとキリがない。

 

 言うまでもなく声優さんたちの適材適所の名演技も忘れてられない。細密な写真よりも生の声の録音の方が人の体温のようなものを感じるように、声優のさりげない語りが登場キャラクターの実在感を確かなものにしてくれる。脚本上、「言葉による状況説明」は最小限に抑えられており、吉田玲子さん流の「身体性が感じられるセリフ」によって、生きるレジェンドともいえる一龍斎春水(麻下洋子)さん、山寺宏一さんら貫禄の演技を堪能でき、声優初挑戦の鈴木杏樹さんなどもしっかりとおさまる所におさまっている。

 そして、なんといっても主役の小林星蘭さんのおっこは、この年齢と才能が奇跡的にマッチングした圧倒的な名演としか言いようがない。これが10年後の星蘭さんだと、同じ声質だったとしても精神的な変化でいろいろ深く考えすぎてしまい、おそらく今回のようなキャラクター造形はなかったように思う。そこは星蘭さんが原作の愛読者であった事がやはり大きく、彼女なりのおっこのイメージが小学生の感性で身体にしみこんでいた結果であろう。単に同じ年代の小学生の役だからうまくできたという訳ではないのだ。星蘭さんは、ショッピングシーン挿入歌のジンカンバンジージャンプ(人間万事跳躍)も歌っており、振り切れたおっこの心の躍動感と完全にシンクロして、その道教的ともいえる歌詞をハイパーポップに絶唱している。

 鈴木慶一さんの音楽もまた、自己主張することなく、あくまで通奏低音のようにおっこに寄り添ったものであり、ほとんどの人はそれほど印象に残っていないのではないか。しかしながら、よく聴けば、おっこが一人の時のシンプルなピアノ、若おかみ修行開始時の神楽を崩したようなテーマ、真月の孤高の印象をチェンバロの音色で規定するなど、なかなかに工夫が凝らされている。ただ、ぱっと鑑賞した時に音楽が印象に残らなかった要因の一つは、クライマックスで情動を刺激する音楽が鳴り響かなったというのも大きいだろう。クライマックスに十分な自信のあった監督の指示だっただろうけれども、音楽担当としてはなかなかに勇気が要る所であったろう。

 そして、エンディングで藤原さくらさんの歌う「また明日」。直前の神楽のリズムから「また明日」のまったりとしたアフタビートへと続くのがなんとも心地よい芳醇な余韻を醸す。素直な歌詞も含めて、本編ラストの「ハレの日」のおっこから、これまでの事を回想しながら何気ない日常を歩んでゆく「ケの日」のおっこの姿を彷彿とさせてくれる。テレビアニメ版のエンディングソングの「NEW DAY」に続けて聴くとまた感慨を新たにできる。

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 ともあれ、「音」は言葉にならないおっこの内面世界を観客にダイレクトに伝える媒体として重要な役割を担っていると思われる。

 

 

「運動」

 そもそも静止しているものを動いているように見せる表現手法がアニメーションなのだから「運動」について今更何を言うのかという気もする。しかし、この作品に関しては、改めて運動表現について溜息が出てしまう材料が盛りだくさんなので、書かざるを得ない。とりあえず「無生物の運動」「生物の運動」「身体運動」に分けて書く。

 

 「無生物の運動」について。これは、重力やそのほかの力による物体の移動や回転・変形などを指す。例えば、春の屋の玄関で悦子さんによっておっこのスーツケースを倒れそうになる。その時、スーツケースはきちんと加速度を考慮した転倒の動き方になっている。同じように、康さんが卵焼きを包丁でさくさく切ってゆく場面。包丁の鏡面に卵焼きが映り込むところに意識が集中してしまうのは人情であろうが、運動の面でも凄いのだ。実は包丁が入った後の卵焼きの倒れ方が「包丁による傾け」と「包丁から離れた後の加速度も考慮した倒れ」が微妙に区別されつつもスムーズに連続しているのだ。また、おっこがおかみ修行中に玄関でひっくり返る時も、その振動で脇の行燈が飛び上がっている。この行燈の運動描写を入れる事で、式台が小学生の体重程度で揺れるような造りになっている事がわかる。

 

 ねじ式の窓のカギを緩めるときの窓枠の動きも、ねじ穴とねじとの摩擦が一気に解放される感じが見事に表現されていて、妙な快感を覚えてしまう。

 ユーレイのウリ坊だが、基本的に物理法則を無視しているようなしてないような曖昧な運動存在になっている。例えば、ウリ坊が指ではじいた鼻くそは投射運動の軌跡を描いておっこに向かって飛んでいる。一方、「おっこが若おかみになる」と聞いて、春の屋の屋根を通り抜けて数10m鉛直方向に舞い上がった時は、涙だけがさらに上方へ飛んで行く。本来、同じ速度で投げ上げた物体は質量に関係なく同じ高さまでしか行かないのである。涙だけがさらに上方に飛んでゆくには、幽体だけが途中で静止するしかない。つまりはどの程度の高さで止まるかはウリ坊自身がコントロールできるという事になる。となると、峰子のために流した涙は、実体化して現実世界の物理法則に沿って飛んで行ったとも解釈できる。

 

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 その峰子だが、少女時代に屋根から落ちるときの運動描写も凄い。スローモーションや心理的な描写をいっさいに使わずに高さと重力加速度から導き出される落下時間(およそ0.8秒)にあわせて、あっさりストンと落としている。実際に、0.8秒だったか計った訳ではないが、そんな時間感覚の落下であったであろう。一瞬の出来事にすることでウリ坊が突っ込む動きにも極めて臨場感がある。さらには、峰子の落下の軌跡の見事さに感嘆すると同時に、実体のあった頃のウリ坊の重量感もよく出ている。そう、この時は物理的存在として峰子を守ることができたのであり、ユーレイになった後は峰子に伝えられる事と言えば「おっこが春の屋を継ぐ」と聞いて流した実体化した嬉し涙くらいしかないのである(および、おっこと峰子がアルバムを見ている時の足音)。そして、ウリ坊がこの時に峰子を助けなければ、おっこも存在しなったかもしれないのだ。

 

 「生物の運動」については、春の屋玄関冒頭のジョロウグモニホントカゲのリアルな動きを堪能してもらえれば、この作品の生物への扱いが実感できる。クモの動きというのは、昆虫の三点歩行を拡張したようなかなり複雑な動きで、CGを使わずに作画するのはかなり骨が折れそうである。トカゲの緩急ある動き方も実に生き生きしていて良い。花の湯温泉駅で背中を掻く犬や温泉街を悠然と闊歩する白猫など、サイズは小さいながら隅々まで「生き物がいる」事を実感できて温泉街特有の雰囲気が伝わってくる。

 

 

 さて一番重要なのが「身体運動」である。この作品を観た多くの人が登場人物の「所作」「動き」に感嘆している。いったい何が凄いのかと言えば、「人の動作による情報伝達を最大限活用している」という事だろうと思う。

 優れた俳優は、平凡な服装・メイクであっても、その場に登場するだけで王様なら王様らしく、武闘家なら武闘家らしく見せることができる。「東京物語」の笠智衆などは当時49歳であったにもかかわらず、佇まいが完全に老人のそれである。名優は自分の身体の動かし方をいかようにもコントロールできるのである。

 

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 こうした事をアニメーションでやっているのがこの作品ということになる。クラスの同級生、鳥居くん、神田あかね、グローリー水領、木瀬翔太&文太、真月、調理人の康さん、中居の悦子さん、女将の峰子などなど、それぞれにその人ならではの特有の動きの演技をつけているのだ。といっても、ステロタイプな動かし方ではなく、そのキャラクターの背景すら透けて見えてくるように細心の注意を払って動かしているように感じられる。

 

 通常、自分自身が普段どんな姿勢でどんな風に動いているかは無自覚なもので、監視カメラに映った自分の姿を見て「え!?」となった経験は誰しもあるだろう。自分はともかく、他人の動きを少し意識して観察してみると、それぞれになんらかの癖がある事がわかる。それは自分も含めて各々の個性ともいえるし、効率的な動きからの「ブレ」という見方もできる。当然、それは年齢性別によっても変わる。

 

 そういった動きの「ブレ」を規格化するのが「所作」「型」というものだろう。おっこの女将修行では、子ども特有の自由で柔軟な運動を「型」にはめてゆく流れが極めて的確に描かれている。それは最初の着付けの「棒のような体勢」と木瀬を改めて迎え入れる時の「型がすっかり馴染んでいる立ち姿」とを比べれば一目瞭然であろう。そこに至る過程も、型を意識しすぎて身体運動がバグってしまう初期段階から、覚えた型をどうにか運用できるようになった中間段階も含めて本当に丁寧に描写している。個人的に深く感心したのは、おっこが木瀬の部屋から飛び出して、柱に寄りかかって泣き崩れる場面。精神的には乱れに乱れてぼろぼろになっている真っ最中にもかかわらず、身体の方は「型」を保持して、歌舞伎の女型のように非常に「綺麗に」泣き崩れているのである。

 「型にはめる」というと悪い意味にとらえる人も多いが、「型にはめることでかえって精神が自由に動ける」という逆説的な事も起きるのである。その辺は、たまたま最近映画となって公開された森下典子さんの「日日是好日」という作品の中でも言及されている。映画では黒木華さんがおっこよりも盛大にひっくり返っている。

 

日日是好日―「お茶」が教えてくれた15のしあわせ (新潮文庫)

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 同時に小学生としてのおっこの自在な動きも「型」と「型」の間に挿入させて「出来すぎた小学生」にならないようにバランスをとっている。特にショッピングのシーンでは、一切の抑圧から解放されたような奔放な身体の動かし方で、女将業との強烈なコントラストになっていて効果絶大である。

 

 コントラストといえば、徐々に身体運動の質が変わってゆくおっこに対して、峰子・悦子さん・康さん、そして真月は既に揺るぎない「型」を確立させていて、終始それは変わる事がない。春の屋の人々はそういった「型」の必要な職場にいる大人であるから当然として、おそるべきは真月である。花の湯温泉の将来を背負って弱音はいっさい外には出さないというスタンスを徹底しており、ある意味最も非現実的なスーパー小学生になっている。原作を通読するとここまで極端なキャラクターではないのだが、劇場版ではおっことの対比がさらに際立っているのだ。唯一、小学生らしいしぐさを見せるのは、耳たぶをつまむ場面と神楽の前の禊での独白場面だけではないか。しかし、ピリッとしたスパイスのようなその二つの場面だけで真月のキャラクターに奥行きが出ているのは見事言うほかない。

 

 ともあれ、「運動」の表現は、(おっこ自身はが自覚してない)おっこの成長過程を視覚的に観客に伝える手段として極めて巧妙に機能していると思う。

 

 

 以上、長々ととりとめもない事を書いてきたが、まだまだ書き足りない気分である。当然、私の雑感はこの作品の良さの百分の一も伝えていないだろう。言葉による説明が少ない分、解釈も限りなくあるだろう。すなわち「若おかみは小学生!」は「どんな解釈も拒まない、すべての解釈を受けいれ、癒してくれる」極めて懐の深い作品のように思う。

 

 今後もさらに多くの人がこの作品を鑑賞し、より多様な視点が汲みだされればいいなあと思っている。

四面体で観る「若おかみは小学生!」 -中編-

 中編・後編はネタバレが含まれるので、また劇場で本作品を観てない人は、観た後に読むことを勧める。中編からは「おっこの成長」を頂点とした四面体における他の三要素について書いてゆく。

 まずは監督による三要素からいこう。

 

講談社アニメ絵本 若おかみは小学生!

講談社アニメ絵本 若おかみは小学生!

 

 

「現在」「未来」「過去」

 パンフやインタビューで監督が言及しているので間違いないと思うが、おっこの中にこの「現在」「過去」「未来」の要素を常に混在させて、場面ごとに出し入れさせながら成長の過程を描くというのがこの作品の基本コンセプトになっているようである。

 「現在」を象徴するのが、最初の客の「神田あかね」である。同年代で、ほぼ同じようなタイミングで同じ境遇となった人物のわがままぶりに、おっことしては自分では制御できない感情が噴出すものの、「相手の気持ちを誰よりもわかっている」からこそ「なんとかしてあげたい」という女将としての第一歩が結果的に踏み出される。

 「未来」を象徴するのが、二番目の客「グローリー水領」である。占い師にはいろいろな人が相談しに来る。どんな相手でも、その人にとって最善の選択を提供しなければならない。まさに女将業との類似点が多い職業であり、それはおっこの未来の姿とも重なる。おっこの境遇を直観で察知したグローリーは強引におっこをショッピングに連れ出す訳だが、そこで女将修行の型の中で閉じ込めていた過去の事故の客観的な触感(フラッシュバック)が顔を出す。しかし「未来のおっこ」ともいえるグローリーからのオーラを吸収して、客観的な触感からは強制的に解放される。

 そして、過去を象徴するのが、三番目の客の一人「木瀬翔太」である。小学生にも上がらないくらいの年齢の翔太の服装は、丁寧にもおっこが春の屋に最初に来た時とほぼ同じである。両親に育まれていた過去のおっこの象徴が翔太であり、同時に過去と正面から対峙するために絶対に必要な存在でもある。タイミングよく未来のおっこであるグローリーの介助も得られ、おっこは女将としてのアイデンティティを確立させるきっかけを掴むのである。

 これら三つの観点にからめた巧みな演出の数々は、書き出したらキリがないので鑑賞者が各々発見するのがよいだろう。

 

 ここから、私なりの三要素の例を示す。

 

「死」「境界」「生」

 飛行機事故で奇跡的に生き残った乗客たちがありえない事故で順番に必ず死んでゆくという「ファイナル・ディスティネーション」という後味の悪い作品群があるのだが、「若おかみは小学生!」はその逆パターンで、生き残ったおっこが奇跡的な様々な縁に助けられて「生」を取り戻す「喪の仕事」の物語ともいえる。脚本上も「生と死の境界の世界」から「生の世界」へ生還する「無感覚→抗議→失意→受容」という過程を90分の中で丁寧に拾い上げている。

 

 その生と死の境界の世界において、重要な役割を果たすのが、ウリ坊、美陽、鈴鬼である。この生と死の境界の存在たちには、それぞれにおっこと出会うべくして出会う因縁がある。ウリ坊→おっこの血縁である峰子を通した過去、美陽→おっこのライバル真月を通した未来、鈴鬼→おっこの母を介した現在、という風に象徴されるだろう。やはり女将修行が順調に進んだのは、峰子や中居さんのけじめある暖かな受容もさることながら、これら境界世界のウリ坊たちの存在が大きいのは言うまでもないだろう。死の世界は、言うまでもなくおっこの夢や幻覚に登場してしまう亡き両親の姿である。

 お約束ながら、あの世とこの世の境界にいるウリ坊たちは鏡には映らない。実は、おっこの身長は物語が進むにつれて徐々に伸びてゆくのだが、ウリ坊は成長しないので、ウリ坊の背よりもおっこの方が最終的に少し高くなる。おっこの生理学的な成長をウリ坊という存在で示すのも心憎い演出だ。

 そして、徐々におっこにウリ坊と美陽が見えなくなるのは、おっこにとっての「両親の死の受容」が終わりを告げていることを意味しているのは間違いない事だろう。最後におっこが神楽を舞う中でウリ坊と美陽が昇天するシーンは、まさにおっこが「生の世界」に戻ってこられた祝福の舞のように思える。 実は、木瀬一家を若女将として迎え入れた時から神楽までは数か月の間がある。つまり、紅梅咲く神楽を舞う頃にはおっこはその地に生きる揺るぎない存在として舞殿を踏み鳴らすのだ。

 なお、おっこ、ウリ坊、美陽(および鈴鬼)のその後がどうなったのかが気になった人は、原作の「スペシャル短編集1」を読むとよい。劇場版とそこそこうまくつながるので、お勧めである。

 

「自然」「伝統」「革新」

 人は誰でもある環境の中で生きている。多少、説教臭い言い方をすれば「生かされている」と言ってもいい。

 自然を忘れそうになる都会に生きていても、台風が来れば嫌でもその存在を意識せざるをえないであろう。伝統とは人間がこれまで作り出してきた風習すべてである。そして、革新とはこれまでなかった事物を新たに作り出してゆくことである。

 まず「自然」。この作品では、要所に様々な事項を暗示させる自然描写が入る。自然が単なる背景ではなく、なにかの意味を含有している事をさりげなく提示してくれるのだ。ニホントカゲ一匹にしても、おっこが最初に出会って驚ろかれる個体がまだ尾の青い幼体であるのに対して、木瀬翔太が悪戯している個体は完全な成体で、おっこも難なく触れるようになっている。トカゲの成長とおっこの成長がリンクしている訳だ。他にも、ジョロウグモ、イボタガ、ニホンジカ、イノシシの親子、カワセミ、ウグイス(本来はメジロがいそうな場所だが)そして四季を彩る客室や庭の花々など、さりげなく描写される自然のそれぞれの意味あいをあれこれ考えるのも楽しいだろう

 また、原作ファンはわかっているかもしれないが、登場人物や設定が何気に四季を表している。すなわち「春」→春の屋・ウリ坊(猪のこども)、「夏」→美陽(太陽)、「秋」→秋好旅館、真月(中秋の名月)、「冬」→鈴鬼(節分)といった具合である。

 そして、なんといっても最大の自然の恵みは温泉であろう。季節を問わず、どんな存在でもいつでも受けて入れてくれるのが花の湯温泉なのだ。おっこが再生できたのも温泉を含めたこの豊かな自然環境に育まれた事は大きいだろう。

 

 「伝統」に関しては、旅館における「おもてなし」の所作や心構えを尋常でない細かさの身体運動描写や名脚本によってわかりやすく表現している。「普通のお客様なんていないんだよ。それはお客様の事を何も見てないのと一緒だよ」などというセリフも、合理化マニュアル化された接客業から出てこない、まさに格式のある旅館の伝統を象徴する。自我をひとまず置いて、伝統の型に自らをはめ、他者のために考え体を動かしてゆくというのも、不安定な精神状態のおっこを守る鎧としての役割を持っていたのかもしれない。そして、その型は1年前に他人事のように感じていた神楽を舞う事へと昇華し、自らの身体に同化してゆくのだ。

 

 「革新」の象徴はやはり真月であろう。花の湯温泉を限界集落温泉にしないために、常に未来の「おもてなし」の事を考えて行動する。原作にない大胆な企画も登場し、さらにはハラリの「ホモ・デウス」の原書まで読み(まあ、読むふりだけだったかもしれないが)、人類の未来にまで想いを馳せているのだ。 

Homo Deus: A Brief History of Tomorrow

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  おっこも、真月の革新的な発想の助けを借りながら若おかみとして成長する。監督によると、花の湯温泉街は地熱発電でエネルギーを得ていて、温泉街を走る自動車は外部客のもの以外はすべてEV車なのだそうだ。見かけによらずに先進的な温泉街なのである。

 

 とはいえ、それぞれが互いに補い合う事が重要で、伝統と自然があって初めて革新が生まれるのであり、革新と自然によって伝統もやがて更新され、伝統と革新は常に自然に支えられているのである。という訳で、最後の神楽は「自然」「伝統」「革新」が晴れやかに交差したお目出たい瞬間と観る事もできるだろう。

 

 後編ではアニメーション表現に関する三要素について、個人的雑感を記す。中編と同様、ネタバレが含まれるので注意されたし。

 

後編に続く

四面体で観る「若おかみは小学生!」 -前編-

劇場版を観るまで

劇場版「若おかみは小学生!」。

この作品を初めて観た時の衝撃からだいぶん時間がたち、心持ちもかなり落ち着いてきたので、今現在に想う事をとりとめもなく書いていきたい。

 

 

小説 若おかみは小学生! 劇場版 (講談社文庫)

小説 若おかみは小学生! 劇場版 (講談社文庫)

 

 

令丈ヒロ子さんの20巻+αの原作はだいぶん前に読んでいたのである。ストーリーは王道。そして、読者サービス満点で、しかもそのサービスが物語の中で巧みに機能していて、全く飽きずに一気に読み切ってしまう面白さがあった。石崎洋司さんの「黒魔女さんが通る‼」と並ぶ人気シリーズというのもうなずけた。しかし、「黒魔女さんが通る‼」が早い時期(2012年)にアニメ化されたのに対して、これだけの人気作がアニメ化されないのはちょっと不思議ではあった。いろいろ事情があったのだろう。

 

そして、今年(2018年)となって、テレビアニメの放映・配信が始まり、毎回、楽しく鑑賞した。原作の良さを非常に丁寧に再現していて、登場人物の作り込みやリアルな背景などは原作のイメージをさらに拡張したもので、アニメーションにした意味を実感できる充実した内容だった。

 そして、「テレビアニメとは別に劇場版も同時制作中で、アヌシー出品作品となっている」と聞いて、今となっては原作者にも監督にも大変失礼な話であるが「何故にアヌシー?」と正直思ってしまった。まだ観てもいないのに「カンヌ映画祭若大将シリーズを出品」のような違和感を持ってしまったのである。

 

そして、劇場版のPVが流れるようになり、どうも90分の尺の中で「ウリ坊、美陽、鈴鬼が全員登場。さらには、ウリ坊たちがおっこに見えなくなる所まで入っている」ということがわかってきた。原作を知っている人からすれば、これらのキャラクターが全員揃い、おっこに彼ら(鈴鬼は除く)が見えなくなるまでにそれなりの巻数(時間経過)が必要なので、劇場版は相当な圧縮具合になっている事が推察された。

 

という訳で、劇場版のノベライズを早速購入して、読んだのである。

 

 読んでいる途中、何度も「うわ」「そうきたか…」「なんと!」「えー!」といちいち変な声を上げてしまった。これは原作からすればもう並行世界の物語である。同時に、より普遍性のある底光りのする揺るぎない物語だ。しかし、間違いなく「若おかみは小学生!」のエッセンスがみっちり詰まっている。言い方を変えれば「若おかみは小学生!」の新たな読み方を与えてもらったという感じだ。これならアヌシー出品も納得である。吉田玲子さんおそるべし!ただ、劇場版を鑑賞した後だと、この大胆なプロットの大筋は高坂監督が作り、吉田玲子さんがそのプロットを名刀として完璧に研ぎあげたという感じではないかと思っている。まあ、どちらにせよ吉田玲子さんは凄いのだが。

 

映画を観る

こうなると、劇場版を観ないという選択肢は私にはない。この骨太なストーリーをあの高坂監督がアニメーションとしてどう仕上げたのか、劇場でじっくり味わいたい!

という事で、公開して二日後に観てきた。観客は私の他は数人であった。

 

 結末は既に知っている訳だから、それぞれの場面でどのような表現となるのか、まばたきも惜しんで冷静に観ていこうと思ったのだが...。開始5分でギブアップである。もう、あっさりと完全におっこの日常に入り込んでしまった。そして、劇場が明るくなるまで、花の湯温泉の世界からログアウトできなくなってしまった。

 

 映画館で涙が出てきたのは久しぶりである。それこそ「この世界の片隅に」以来だろうか。観た直後は、この涙をどう言語化していいものか全く見当がつかず「諸君、帽子を脱ぎたまへ。傑作だ」とか苦しまぎれにシューマンのパロディを心の中でなぞる他なかった。

 数時間後にはさすがに少し落ち着いたので、「『千と千尋の神隠し』の不条理さと『魔女の宅急便』の解放感を濃縮還元させて、見事に昇華させた作品」というような言葉を並べてみたものの、それではあまりに表層的だろう事は自分でも重々自覚していた。

 

若おかみは小学生!」は摘草料理である

 その後、監督による「最後の神楽のシーンはデザートのようなもの」というコメントを知り、どうも監督は極上のコース料理のようなアニメーションを観客(特に小学生)に提供しようと思って頑張ってきたのではないかと思った。さて、ではどんな料理か。

 西洋料理のフルコースのように向こうから無条件に圧倒的な迫力で観客を振り回すという感じではない。かといって、違いのわかる人しか味わえない嗜好性の強い料理を不愛想に出してくるというのでもない。

 どうも、この作品のコンセプトは「生きる活力を与えてくれる摘草料理のようなアニメーション」という気がしてきた。摘草料理とは、春の屋旅館のモデルとなった京都花脊の美山荘が供する創作料理のことである。摘草料理は、茶懐石の雅さと野趣とを融合した、旬の素材の良さを最大限生かすように創作される料理である。一品一品の量は少ないものの、食べ進めるうちにそれぞれの品どうしが相互作用を起こして、最終的に静かな調和と感銘をもたらすように設計されている。何も考えずにバクバク食べても当然、美味しく充足感がある。しかし、嗅覚や視覚も少しばかり鋭敏にして摘草料理を味わえば、それぞれの素材の盛り付けや彩り、薫り、周囲の環境とリンクした季節感、そして雑味のように思えた複雑な味の奥行などを感じる事ができるだろう。つまり、献立自体が重層的な趣を持っているのである。

 

若おかみは小学生!」も同じような構造を持っている。単純にストーリーを追うだけでも十分に楽しめ感動できる作品である。しかし、それだけでいいならノベライズを読めば終わる話なのだ。そのストーリーからより多くの感興を観客から引き出すには、アニメーションならでは様々な要素を重層的に明瞭に機能させていかなければならないだろう。ストーリーを追っているだけの人でも、無意識のうちにその細かい要素を情報として取り込んでいて、自らの感動を結果的に拡張する事になっているはずだ。だからこそ、「言葉にできないけど、とにかく良い!」と人に言いたくなる作品となっているのではないか。そして、初見で何気なく通り過ぎたシーンも、改めて鑑賞するごとに、あるいは思い返すごとに新たな発見があるはずだ。

 「見どころは?」と尋ねられた監督が「すべてです」と答えているが、至極正直な答えと思う。おそらくは、無駄はすべて切り落とし、何重にも交錯する膨大な数の個々のピースがすべて完璧にかみ合って初めて全体が完成するように綿密に設計された作品なのだ。

 

すなわち「若おかみは小学生!」は摘草料理のような作品と言ってもいいのではないか。

 

料理の四面体

 ここまで考えて、ふと玉村豊男氏の「料理の四面体」の事を思い出したのである。結構有名な本であるし、定期的に話題になるのでご存知の方も多いだろうが、どんな内容か簡単に説明する。この本は、玉村氏が世界各国で出会った様々な料理をその構成要素に分解して、いったいどんな要素があればその料理が成立するのかを論じたものである。一見すると全く違うように見える料理でも、同じ要素で成り立つなら同じ種類の料理と考える訳である。

 

料理の四面体 (中公文庫)

料理の四面体 (中公文庫)

 

 

そして、玉村氏は、すべての料理は「火」「水」「空気」「油」の四つの頂点で構成される四面体の上にあると結論付けるのだ。四面体とは正三角形が四つ組み合わさった立体である。「水」「空気」「油」で底面(正三角形)を作り、そこを「生ものの領域」として、そこを加熱することで様々な料理ができてゆくと考えるのである。

例えば、底面の「水」から「火」に向かう線分上には、下から順番に「汁物」→「煮物」→「蒸し物」となってゆく。要は火の要素が強くなれば水分は飛んでゆくわけだ。「空気」から「火」に向かう線分上なら「干物」→「燻製」→「直火焼」となる。「油」からならば、「揚げ物」→「炒め物」ということになる(玉村豊男「料理の四面体」からの図)。

 

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 摘草料理の献立は、この料理の四面体の表面を趣深く周遊するように構成されているように思える。摘草料理の場合、素材が原型をとどめていないような極端な加工はなされずに、自然の風情を感じられるように節度をもって調理され、様々な料理が絶妙のタイミング・順番で出てくる。すなわち、摘草料理には、刹那の味覚の快感だけでなく、料理全体の趣向を俯瞰する事で生じる感興も重要視するのだ。

 

若おかみは小学生!」は摘草料理なのだから、この「料理の四面体」の発想で、この作品を観るヒントにも結び付けることができるはずである。無理は承知で、モデルを考えてみよう。

 

四面体の頂点は「おっこの成長」 

 まず四つの要素をどうするか。とりあえずは料理の四面体において変化を促す「火」にあたるような共通の頂点のようなものを決めて、それを不動のものとして、残りの三要素を鑑賞する側が恣意的に選んで底面を作るのが良いだろう。

 

 そこで、「若おかみは小学生!」の四面体上の頂点を「おっこの成長・変化」とする。無論、そばかすグローリーや自然描写だけを何度も味わいたいという人もいるだろうが、やはり人間が主人公の物語であるから、主人公の変化(成長)のあり方を観るのが鑑賞する上での一般的な前提であろう。特に児童文学のほとんどは「主人公が旅(経験)をして成長する」という内容なので、監督もそこは遵守していると思われる。

 

 ということで、「おっこの成長」という頂点に向かって、残り三つの要素がどう機能してゆくかを鑑賞する際の「視点」としよう。頂点に向かって進むと言っても、成長しきってしまうと、神様というか聖人の域になってしまうので、ほどほどのところまでしか行かない。しかし、底面からの出発であるから、必ず変化(成長)はあるのである。そして、主人公のおっこには常にその三つの要素が自ずと内包されているという事になる。

 

 続く中編では、監督が想定したと思われる三要素を示したのち、私自身が考えた三要素について二つ例を示す。そして後編ではアニメーション表現におけるこの作品の三要素についての個人的雑感を書く。なお、中編からはネタバレ内容が入ってくるので、まだ劇場で観てない人は、要注意である。できれば、鑑賞後に読むことをお勧めする。

 

ー 中編へ続く ー

食べ物で観る「この世界の片隅に」 ⑥ ‐番外編‐

 ⑥では、直接食べる訳ではないが、身体にかかわるあれこれを記しておく。もう、完全に備忘録であるが、最後までおつきあいいただければ幸いである。

 

 

大島椿 60mL

大島椿 60mL

 

 

 

 <タバコ(煙草・Nicotiana tabacum

 タバコほど社会の扱いが昔と今とで変化した嗜好品もないであろう。少なくとも戦前なら「煙草は大人になったら吸うもの」というのが共通認識だったのではないか。なにせ未成年の喫煙が法律で禁止されたのは1900年からなのである。つまり、浦野十郎や北條円太郎が生まれた頃は子どもでも煙草を吸っていた時代な訳だ。

 「この世界の片隅に」では、すずさんの海苔のお使いの砂利船の船頭さん、そして「砂糖一斤20円」の闇市のおっさんがどちらも煙管(きせる)でタバコを吸っている。今ではよほど酔狂な人以外は煙管で煙草を吸わない訳だが、当時はまだまだ紙巻きタバコは都会の特定の階層のもので、田舎もしくは肉体労働者は煙管が一般的だったようである。実際、私の祖父も最晩年に横着になってセブンスターなどを吸うようになるまでは煙管を使って吸っていた。当然、昔は刻みタバコの銘柄も多数あった。ただ、船頭さんも闇市のおっさんも、おそらくは一番安い「みのり」もしくは葉屑を集めて吸っていたような気がする。

 ここで、またしても水原哲が紙巻きタバコの「」を周作に差しだしたりする訳で、全くもってキザな水兵さんである。この「光」という銘柄、昭和初期の発売当初はオレンジ色のかなり派手なデザインの箱だったようだが、この頃には随分と淡白なデザインになっていることがわかる。「光」と言う銘柄自体は、戦後の1950年代くらいまで生き残った。 

 参考までに1946年から今に至るまで生き残っている国産の煙草銘柄は「ゴールデンバット」と「ピース」のみである。「ゴールデンバット」は1940年~1948年の間、敵性語追放のあおりをうけて中身は同じでも「金鵄(きんし)」と言う名称になっていた。

 本題に戻ろう。やはり煙草のとどめは進駐軍の残飯雑炊に入っているラッキーストライクLUCKY STRIKEだろう。今に続く「赤丸に黒字」のデザインは1942年からで、軍用物資として大量に供給されたそうである。かつてはハイカラでモガな径子さんも初めて見た煙草だったに違いない(というか、シンプルなデザインに煙草の包み紙と思っていなかったかもしれない)。ラッキーストライク、銘柄自体は1916年からで、これまた奇しくも「この世界の片隅に」の公開年の2016年が百周年だった訳である。1942年のパッケージデザインはほとんど変わることなく現在でも売られている。

 

 <ユーカリEucalyptus melliodora

 北條家の庭にあるそれなりに大きな樹木である。ユーカリと一口に言っても沢山の種類があり、北條家のユーカリが何なのか、コアラの餌になる種類なのか定かではないが、「蚊遣り」に使うような精油成分がある事は間違いないようだ。ユーカリ広島市の爆心地近くの被爆樹木としても有名である。北條家のユーカリはもうないかもしれないが、原子爆弾の熱線を浴びたユーカリは今もまだ広島城の二ノ丸やで生い茂っている。広島から飛んできた障子が北條家のユーカリの木にひっかかっているシーンでふとそんな事を思い出した。

 

 <口紅(紅花・Carthamus tinctourius

 周作さんを見送る時にすずさんがつかった口紅はテルちゃんの遺品としてリンさんから二河公園の花見の時に貰ったものである。というのは、原作を知らない人は何のことかわからないだろうが、完全版ができればきっとその辺の所のエピソードは入ると思うので、心待ちにしたい。

 都会の一部の層を除きスティックタイプの口紅はまだ普及してない頃なので、朱肉入れのような容器に紅が入っている。紅花(べにばな)で作った本物の高級な艶紅(つやべに)は、実は赤色でなく玉虫のような緑色(赤の補色)に見え、御猪口のような容器に何層も塗り重ねられている。それを薄く唇へつけると鮮やかな赤色となるのである。すずさんの使う紅はそのような高級品ではないと思われるので、見かけはほとんど朱肉のような感じになっている。おそらくは基材に染料(もしかすると鉱物顔料)を混ぜた固形紅だったろう。そして、機銃照射で紅が砕け散る時にも「粉っぽさ」を感じさせる質感で表現されている。

 

 <白粉>

 白粉は有毒な鉛白(2PbCO3・Pb(OH)2)を使う時代ではさすがになくなっていただろうが、径子さんに怒られながらすずさんがパタパタやっていたのが、酸化亜鉛(ZnO)か酸化チタン(TiO2)か、あるいはタルク(Mg3Si4O10(OH)2)だったのか、なんとも判断しようがない。タルクや酸化チタンであれば、現在も普通に化粧に使われている材料である。

 

 <ツバキ(椿・Camellia japonica

 1938年2月にスケッチ(図画)を通した水原哲との逢瀬をし、そして1943年12月に周作・円太郎が迷い込んだ江波山。その江波山にツバキが咲いている。言うまでもなく冬の花である。海岸に自生しているツバキであるから、おそらくはヤブツバキであろう。そして、すずさんの婚礼衣装の柄もツバキ。髪飾りもツバキ。さらにいうなら、赤いツバキの花言葉は「気取らない優美さ」。英語の花言葉だと「You are a flame in my heart」だそうな。そこは各人、意味するところをいろいろと想像していただければと思う。

 なお、ツバキの種子は、ツバキ油の原料としても重要である。ツバキ油は、オレイン酸の割合が多く酸化されにくい不乾性油なので、食用・化粧品・薬用にも使えるような汎用性があり、言ってみれば、地中海沿岸のオリーブオイルのような位置づけと言える。そして、今でも根強い愛用者は多い。

 

 <ヘチマ糸瓜Luffa cylindrica

ヘチマは、北條家の浴室の「へちまたわし」として登場する。「すずさん‐晴美さん‐リンさん」のラインは同じウリ科のスイカやカボチャでつながる訳だが、ヘチマもまたウリ科である。すなわち、ヘチマはウリ科ラインの背景脇役としてひっそり出てくる訳である。

 

 <飾り物>

 どれも、料理の飾りとしてお盆の草津ではササ、婚礼の膳ではマツセンリョウササ使われている。プラスチック製のバランなどはない時代であるから、すべて本物の植物なのである。呉は沿岸部である事からマツクロマツ(松・Pinus thunbergii )を使っているだろう。マツは精油も多く含まれていて燃えやすいので、こくば(種火燃料)としても最適であり「そいじゃ、うち、こくば拾うてくるわー」とすずさんが江波山へ拾い集めに行く訳である。

 センリョウ(千両・Sarcadra glabra )はマンリョウ(万両・Ardisia crenata )とセットで正月の縁起物として使う事も多い。つまりは赤い実は1月頃についているのであり、すずさんの婚礼の時期も2月であるから料理の飾りとして活用したのであろう。「時節柄すべて簡便に」といいつつ、そういった所は目出度くしようとしているのだ。

 ササは、沿岸部の優勢種であるメダケ(雌竹・Pleioblastus Simonii )ではないかと推測するが、実際何を使ったのかは画面だけではわからない。ササは、料理飾りの側面もあるが、抗菌作用もあるので、食中毒防止の観点でも寿司などによく使われる素材である。

 

 <鉄(Fe)

 日本人の「鉄分補給」において鉄瓶や鉄鍋が密かに重要な役割を担っていた時代があった。大昔の栄養成分表も鉄鍋で調理したデータが載っていたりして、同じ食品でも鉄分含有量が今とは大きく異なっていたりする。その鉄瓶であるが、すずさんが呉に嫁入りする1944年2月頃には画面からほぼ姿を消している。言うまでもなく、金属類回収令によって出されてしまったためであろう。画面に出てくる最後の鉄瓶は、1943年12月の草津の家である。鉄瓶のみならず、北條家の箪笥の取手の金具なども画面上は1944年5月あたりからすべて紐になっている。なお、原作を知っている人ならご存知の事と思うが、第一エンディングの最後で円太郎がもたれかかっているは1945年9月17日、枕崎の台風の時に退職金代わりに円太郎が広工廠から「強奪」してきた金属材料により鋳造してきたものである。すなわち、人を殺す兵器になるはずだった鉄が円太郎の一存で北條家の畑作効率化のための農機具へ変容したのである。

 

 カブトガニ(兜蟹・Tachypleus tridentatus

 すずさんたちが草津に向かう干潟にカブトガニがいたことに「おや?カブトガニは岡山の天然記念物では?」と思った人も多かったことだろう。カブトガニもアゲマキガイと同様に戦後の沿岸開発によって、広島県では見る事ができなくなった生物種である。瀬戸内海に干潟が数多く残っていた頃には、カブトガニは普通にいる生物種だったようだ。

 戦後、カブトガニの血液から細菌やウイルスを高感度で凝集する成分(細胞)が見つかり、生物汚染チェックの検査キットに応用された。今では迅速な検査に医療現場ではなくてはならないものとなっている。干潟に昔いた何気ない生物にそのようなポテンシャルがあるとわかったのはずっと後であるから、開発を進めた時代の人々を攻めるのは筋違いである。当時の人にしてみれば、カブトガニはいるのが当たり前で、食用にもならず、いてもいなくても気付かない空気のような生物だったに違いない。その時代ごとの日常とはそうしたものなのである。

 

 「番外編」と言いつつ、なにか事実の羅列のような退屈な内容になってしまった。おそらくは、ちまたで噂の「片渕ファイル」にはもっともっと沢山の情報が詰まっており、私の書いた内容もいろいろ間違い・勘違い・足りない点があるかもしれない。ともあれ、「この世界の片隅に」は私にとって、あの時代への「窓」である。と同時に、その「窓」はあの時代のすべてを見渡せる訳ではない事も痛感している。しかし、「窓」がなければ、何もわからないのである。

 

 本稿をきっかけにして「この世界の片隅に」に濃縮されている膨大な情報と情緒の海に身と頭をゆだねて、さらなる作品の楽しみ方や発見をそれぞれが模索していただければ幸いである。

食べ物で観る「この世界の片隅に」 ⑤ ‐魚介類・肉類‐

 ⑤では魚介類・肉類の食材を中心に書いていこう。

 

<魚介類>

 「この世界の片隅に」にでてくる魚類は一部を除き、鳥類・昆虫や植物そして貝類の的確な描写に比べると、種が同定できるようには描かれていない。しかし登場の頻度はそれなりにあるので、魚好きの私としては少々もやもやするのだが、もしかするとどんな魚が食べられていたか詳しい記録がなくてその辺を曖昧にしたのかもしれないし。あるいは、種類はわかっていても、生々しさを避けてあえて簡略した描写にした可能性もある。

 そんな中で「ザ・魚」と言う感じで堂々と登場するのはやはり、婚礼の膳で登場するマダイ真鯛Pagrus major )であろう。もしかすると、チダイ(血鯛・Evynnis tumifrons )かもしれないが、焼き物になっているのでよくわからない。言うまでもなく、瀬戸内海直送の天然の鯛であろう。婚礼の膳の全体に言えることではあるものの、やはり「ようこれだけ集めんさった」という台詞と艶やかな鯛がある事とが「豊かな時代の残影」という印象をなおさら強めている。

 そして次の「ザ・魚」は配給で手に入れた4匹のメザシということになる。眼の位置や口の開き方などから、おそらくはカタクチイワシ(片口鰯・Englauris japonicum )と思われる。戦後も長らくは大衆魚の代表格であったが、すずさんも数匹のイワシをとことん有効活用する。径子さんがすずさんに代わってサクサクと頭とはらわたを取る煮干しも、カタクチイワシである可能性が高い。イワシといえば、お盆の草津の昼食では、イワシ(真鰯・Sardinops melanostictus )の梅煮(生姜入り)らしきものが入った皿も出てくる。ただし、斑点がみられないことから、ウルメイワシ(潤目鰯・Etrumeus teres )かもしれない。

 1945年3月19日の爆撃の衝撃で呉港に浮かぶ魚は、その大きさや形からブリ(鰤・Seriola quinqueradiata )のような気もするが、最高気温8.1℃のこの日の湾内にあれだけのブリが回遊しているかはなんともいえない。翌日、晴美さんがスケッチする魚は、晴美さん側がサッパ(拶双魚・Sardinella zunasi )、すずさん側がマサバ(真鯖・Scomber japonicas )の稚魚のように見えるが、全く自信はない。なお、サッパは、岡山では「ママカリ」と呼ばれる魚でニシンの仲間である。

 径子さんの「すずさん、あんた広島帰ったら」の場面での食卓の魚の切り身、さすがに何の魚が形や色だけではわからないが、1944年3月と言う時期を考えると、サワラ(鰆・Scomberomorus niphonius )あたりが有力候補だろうか。切り身の大きさからして、一年魚のサゴシ(青箭魚)かもしれない。もちろん、30cmほどのブリ(広島ではヤズと呼ばれているようである)の可能性もある。

 刈谷さんの物々交換リアカーに乗せられた魚は本当に謎である。あのような口の開き方をする魚は瀬戸内海にはいないような気もするので、「魚」という記号表現と思っておこう。あえて言うなら、大きさと体色、鱗の様子からボラ(鯔・Mugil cephalus )かもしれない。

 また、食卓にあがる魚と言う訳ではないが、すずさんの海苔のお使いの船着き場で見える魚影は、汽水域である事と大きさから判断して、ボラまたはコイ(鯉・Cyprinus carpio )、もしくはスズキ(鱸・Lateolabrax japonicum )などが考えられるが、太田川といえば鯉の名産地であり、広島城の別名が「鯉城(りじょう)」であることからも、ここはコイ(Carp)ということにしたい。

 

 魚に対して貝類描写はかなり充実している。まず、お盆の草津の昼食、そして、すずさん・すみちゃん姉妹の路地販売のアサリ浅蜊Ruditapes philippinarum )、すずさん帰省時に家族そろって身をほじくり出すのに必死なアゲマキガイ(揚巻貝・Sinonovacula constricta )とヨナキガイ(長辛累・Fusinus perplexus )およびアサリ

 アゲマキガイは、別名チンダイガイ(鎮台貝)とも呼ばれ、印鑑ケースのような形をした貝だ。非常に美味なのだが、瀬戸内海では高度成長期あたりにほぼ絶滅した。現在国内で流通しているのは中国・韓国産のようだ。ヨナキガイ(夜泣貝)は広島地方の名前で、正式和名はナガニシといい、細長い巻貝である。スミちゃんが物凄い形相でほじっているのは、おそらくはこちらの貝の方だ。全国に普通に分布するものの、なぜか広島の人たちが好んで食べるローカルな貝である。

 婚礼の膳では、お吸い物のハマグリ(蛤・Meretrix lusoria )、大根おろしの入った酢カキ(牡蠣・Crassostrea gigas )が出てくる。現在であっても高級な料理であろう。なお、その頃のカキは、現在の孟宗竹やビニールパイプの筏による養殖はまだ始まっておらず、物干し台のような所からつりさげる方式の杭打垂下法が主流だったようなので、お膳にあるカキもそうして獲られたものだったであろう。原作では、筏式の養殖法が試験的に始まっているような描写があるが、当時は木材を使った筏だったので、台風などで流されてしまいうまくいかなかったようである。

 

 ともあれ、広島・呉は豊富な魚介類に恵まれていた。これは、厳しい食糧事情下においては、内陸部の人たちにくらべて大きなアドバンテージがあると言える。冷凍輸送の手立てのない当時は内陸部にはサメや干物を除き、まず新鮮な魚介類は入って来なかったのである。

 魚介類は栄養の面でも重要だ。動物性タンパク質として貴重なだけでなく、魚に含まれるビタミンD、あるいはドコサヘキサエン酸(DHA)やエイコサペンタエン酸(EPA)などの必須脂肪酸、貝類から得られる鉄や亜鉛、ビタミンB12 など、その栄養価的な恩恵は計り知れない。そして、海水から塩化ナトリウム(NaCl)以外のミネラルも豊富な「食塩」が容易に手に入るのも沿岸部ならではの地の利だろう。

 

<肉類>

 日本食品標準成分表では、肉類というのは「魚介類を除いた動物の肉」の事を指す。ここでは哺乳類と鳥類の肉について書こう。

 まず哺乳類の肉類は進駐軍の残飯雑炊登場まで、モガ時代の径子さんの回想のトンカツ(豚・Sus scrofa domesticus )と入湯上陸時の水原哲が持ってきた牛肉Bos Taurus )の缶詰以外では、全く登場しない。それにしても、あの時期(1944年12月)でも海軍にはそういった缶詰をまだお土産にできていたというのが興味深い。まさに帝国海軍の威光を胃袋で誇示できたことだろう。

 そして、進駐軍の残飯雑炊には脂身つきの豚肉がごろっと塊で浮かんでいる。「肉の塊が残飯に残っているとはどういう事か!」と現代に生きる私でも思うが、まあ今の私たちは「価格」の面でそう思ってしまう訳で、当時のすずさんたちとは感覚が異なっているだろう。しかし、価格にせよ希少性にせよ、穀物や野菜に比べて、(食肉目的で)牛や豚を育てるには膨大なエネルギーが必要な事は今も昔も変わりはない。

 あの進駐軍の残飯雑炊に浮かぶ豚肉を生産するために消費した飼料で、当時の日本人数十人分くらいは余裕で腹いっぱいにさせられたであろう。そのようなエネルギーの塊を進駐軍は食べ残す訳である。これもまたアメリカ合衆国(および連合国)の国力の象徴であり、あり余る彼の国の豊かさを当時の日本人は胃袋で実感してしまったことであろう。現在でも、関税があるにもかかわらず米国産や豪州産の牛肉の方が安いのである。

 残飯雑炊にはチーズも入っているようで、この作品で登場するアイスクリームと並ぶ数少ない乳製品である(キャラメルにも脱脂粉乳が入っているかもしれない)。乳製品に関しては食肉と違い持続可能な生産が可能なため、戦後にはほぼ自給自足できるようになった。

 ニワトリ(鶏・Gallus gallus demesticus )は、進駐軍の残飯雑炊でも骨(おそらくは大腿骨か脛腓骨)らしきものは出てくるものの、自体は入ってないようだ。かろうじて婚礼の膳の海苔巻きに卵焼きが入っているくらいだろうか。とはいえ、ばけもんの籠に入れられたすずさんが「夕方には家のにわとりに餌やらにゃいけんのに」という台詞がある以上、1930年代には浦野家にニワトリがいた事になる訳で、ある時期まではすずさんは卵も食していたと思われる。

 

 以上、食べ物で観る「この世界の片隅に」①~⑤で様々な食材を見てきた。絶対的なエネルギー不足および量的な不足には目をつぶって(まあそこが一番深刻で無視できない所なのだが)、食材自体だけをリストアップしてみると、すずさんたちの時代の呉・広島の方が今よりも栄養の面でも食文化の面でも多様性があり「ごく自然に豊かな食生活を送るためのポテンシャルがあった」と見る事もできよう。特に貧窮する前の食卓における「(当時は)意識されていないだろう贅沢さ」が私には眩しい。「この世界の片隅に」に登場した多様な食品のいくつかは、現代の私たちはもう当時と同じように食べる事は叶わない。

 日々、私たちが食べているものは、目新しいものでもない限り「昔の人も同じように食べていた」とつい思いがちである。しかし、「この世界の片隅に」において当時の食生活が丁寧に再現されることで「いつの間にか失われた食」「似ているようでいて昔とは違う食」があったことを私たちは知る事ができるのである。

 「この世界の片隅に」を鑑賞して「昔の食生活は悲惨だったな」と感じるのは容易だが、さらに踏み込んで「当時のトマトと今のトマトはどう違うのだろう?」と言うような疑問をそれぞれが興に任せて深めていっていただければ片渕監督も本望ではないだろうか。

 

 食材としては以上だが、最後の⑥では、番外編として食材以外の「身体に関係するあれこれ」を記しておこう。

食べ物で観る「この世界の片隅に」 ④ ‐菓子・果物‐

<菓子>

 豊かな時代の食の象徴といえば、菓子類はその典型であろう。「実物の」菓子が登場するのは、すずの少女時代と周作の浦野家訪問の時、そして戦争が終わって進駐軍が来てからだ。すずさんが呉に嫁に行ってから終戦まで実体としての菓子はなくなる。

 

 

カップ印 きび砂糖 750g

カップ印 きび砂糖 750g

 

 

 というのも、そもそも、菓子作りに必須の砂糖が大変な貴重品なのである。怖いオッサンが闇市で「砂糖一斤20円。今買わんとまだたこうなるで」と脅す事からわかるように、需要があり益々供給が減るから高値で取引されるのだ。ちなみに、1斤は約600g。換算基準によって異なるが、これは今で言うなら600gの砂糖をだいたい2~3万円で買うと言う感覚である。600gがピンとこないなら、角砂糖1個がだいたい100~150円と思っていただければよい。そんなものをドバドバと菓子に使えないのである。

 

 当時の砂糖は、北海道のテンサイ(甜菜・Beta vulgaris ssp. vulgaris )由来もない訳でもないが、多くは台湾や南洋諸島サトウキビ(砂糖黍・Saccharum offcinarum )に依存しているので、戦況が悪化して制海権がなくなるにつれて致命的に不足してゆくのだ。何もかも不足の時代と言っても、そこはサトウキビと内地で生産できる作物とでは事情が異なる。実際、一人当たりの年間砂糖消費量は1939年で16.28㎏もあった(これは2000年とほぼ同じ)のに1946年には0.2㎏にまで激減している。終戦後、製糖工場のあった南方の占領地を完全に失ってしまって、ない袖は振れない状態だったのである。と言う訳で、戦時下、特に1945年時点での菓子というのは、ほとんど幻のような存在だったと思われる。無論、戦争が終わっても国産の菓子復活までには時間がかかった。それゆえに菓子は海外からやってくる。故に「Give me chocolate」だった訳である。菓子受難時代をはさんで登場した菓子について書いていこう。

 

 キャラメルは、言うまでもなく、すずさんと周作をつなぐ重要なアイテムである。物語冒頭、眠ってしまったばけもんに周作がキャラメルを持たせる。すずさんはそんな周作を少し不思議な気持ちで眺め、家でキャラメルの香りを嗅ぎながら、夢のような出来事を思い出す。その印象がほぼ10年後の周作の浦野家訪問時、周作が持ってきた何箱ものキャラメルでよみがえる。嫁にもらいたいと来た人が誰かははっきりとわからないながらも、既にずいぶんと口にしてないであろうキャラメルを見て、ばけもんにさらわれた幻のような記憶を連想したのであろう。味覚の記憶・連想というのはそういったものだ。そして、呉に嫁に来たあと、キャラメルは路上へ描かれることでリンさんを引き寄せる。原作を知っている人なら、リンドウと帳面の切れ端がリンさんと周作を結び付ける重要なアイテムであることは認識しているとは思うが、映画版だけ見れば、今のところ、キャラメルこそが「すずさん‐周作‐リンさん」を結び付けるアイテムということになる。

 

 チョコレートは、すずさんの海苔のお使いの中島本町の駄菓子屋で登場(船着き場の森永チョコレートの看板もあり)したあとは、すずさんが子どもと間違われて進駐軍から「Hershey Tropical Chocolate」を貰うという事で再登場する。実は戦況が悪化する以前から国内ではチョコレートは非常に手に入りにくい状況になっていた。というのも、1937年にはカカオ豆の輸入が制限され、1940年にはチョコレート製品の製造が全面禁止(軍需用は除く)なっていたためである。つまり、おそらく晴美さんはチョコレートを一度も食べることなく亡くなってしまったはずなのである。そう思うと、すずさんが晴美さんの亡くなった場所へチョコレートをお供えするのも、進駐軍にチョコをねだる子どもたちをみて径子が「晴美もしたんじゃろうか…」とつぶやくのも少し意味合いが変わってくる事だろう。

 

 アイスクリームは、すずさん‐径子さん‐リンさんを密かにつなげるアイテムである。すずさんはアイスクリームを知らない。そして、すずさんは径子さんにアイスクリーム(とウエハース)がどんなものかを教えてもらう。径子のアイスクリームの記憶はモガ時代のものだ。そして、第二エンディングの回想場面では、喫茶店でアイスクリームを食べたであろうモガ時代の径子さんカップルの隣の席に少女時代のリンさんもまたアイスクリームを食べている。つまり、リンさんと径子さんが回想するアイスクリームはほぼ同じものなのである。しかし、すずさんはそんなつながりがあるとは知らない。戦後、すずさんが、福屋百貨店の食堂あたりで本物のウエハーつきのアイスクリームをはじめて食べた時、どんな感想をもらすか聞きたいものである。

 

 そして、リンさんとの路上絵に登場するハッカ糖わらび餅も肝心の砂糖が統制下であるから、作りようにもいかんともしがたい状況であっただろう。リンさんが「絵だけでも見たい」という気持ちになるのはよくわかる。特にハッカ糖は使用原料のハッカ(薄荷・Mentha canadensis )の減反が強制されている時期であるからなおさら幻の菓子となっていたと推測される。

 

 

<果物>

 食生活で菓子の代わりに「甘さ」を求めようとすれば、やはり「水菓子」の異名でわかるように「果物」ということになろう。この作品で象徴的な果物と言えばやはりイカ(西瓜・Citrullus lanatus )である。草津の家ではスイカ運搬と少女時代のリンさんとの邂逅があり、闇市で久々の実物再会、そして朝日町でリンさんと再会した時に路上の絵として登場する。サトウキビと違い、国内でもスイカ栽培は可能である。ではなぜ闇市ですずさんが「スイカは畑で禁止のはずじゃが」と言っているのか。これは1944年にスイカが不要不急作物としても統制されたためである。多くの果物が樹に生るのに対し、スイカは畑で採れる果物なので転用作物として狙われたと思われる。「スイカでなくカボチャを作れ」と言う訳だ。すずさんたちは、戦争が終わって何回目の夏にスイカを心置きなく食べられるようになったのだろうか。なんとなく翌年には食べていたような気もする。

 スイカと同じくらいに重要な果物といえば、すずさんと周作の初夜に登場する干し柿(柿・Diospyros kaki )だろう。すずさんが持ってきた本物の蝙蝠傘が干し柿をとるために使われるという不思議な展開が見る者の気持ちの置きどころを迷わせる。「すずさん、傘をもってきっとるかいの」から「昔もここへほくろがあった」への、あの一連の流れの緊張と弛緩の配合は本当に絶妙としか言いようがない。余談ながら、すずさんが闇市で「どちらにしようかな」の〆台詞の「かきのたね」をやる場面でも、カキは言葉の上で登場する。

 そして次に私の頭に浮かぶのは、すずさんを見舞いに来たすみちゃんが持ってきたビワ枇杷Eriobotrya japonica )だ。ビワの姿かたちは出てこないにも関わらず妙に印象に残るのは、おそらくはすずさんの故郷の江波山の長閑な風景をなんとなく想像してしまうからだろうか。実際、広島測候所(現・江波山気象館)は今も往時のまま残されている。

 1944年2月にすずさんが呉に嫁入りする時、汽車の中で浦野キセノがウンシュウミカン(温州蜜柑・Citrus unshiu )を食べている場面もでてくる。何気ないシーンではあるものの、(当時の東北ではまずない)瀬戸内海沿岸ならではの光景が逆に印象に残る。

 柑橘類Citrus sp )といえば、水原哲が北條家訪問の手土産として持ってきた缶詰にキンカン(金柑・Fortunella crassifolia. )があった。おそらく甘露漬けで、あの状況下ではまさに垂涎の逸品であったろう。他に刈谷さんの物々交換のリアカーにもやや大ぶりなウンシュウミカンもしくはハッサク(八朔・Citrus hassaku )らしき柑橘が乗っていた。物々交換の家の庭にあった樹木に実っていたのはもうちょっと大きい柑橘類だったように思うので、庭から採ってきたという訳ではないようだ。そして、その柑橘類を積んだリアカーは、1年前にキンカンを持ってきた水原哲の後ろを通り過ぎる。

 原作では、風邪でダウンした北條家の面々に闇市で買ってきたサボン(文旦・Citrus maxima )をすずさんが分け与える様も描かれている。すずさんは風邪をひかないのが取り柄なのである。

 ともあれ、果物は戦時下では「甘み」を味わえる宝石のような存在だったであろうし、稀に手に入ればビタミンC供給源として密かに重要であったと思われる。

 

 ⑤では、魚介類・食肉類について書いてゆく。

食べ物で観る「この世界の片隅に」③ ‐野菜・野草・ダイズ‐

 主食があれば副菜も必要だ。といっても、主食が不足しているのに副菜が十分にある訳もない。しかし、そんな状況でも知恵を絞って食卓を豊かにしようとするのが生活というものであろう。

 

この世界の片隅に 劇場アニメ原画集

この世界の片隅に 劇場アニメ原画集

 

 

 

<野菜>

 作品中の食卓に色とりどりの野菜が登場する場面というのは、実は限られている。回想を除けば主にお盆の草津の昼食とすずさんの婚礼の膳、そして進駐軍の残飯雑炊だ。

 

 お盆の草津で確認できる野菜は、トマト(赤茄子・Solanum lycopersicum )、キュウリ(胡瓜・Cucumis sativas )、ナス(茄子・Solanum melongena )、ミョウガ(茗荷・Zingiber mioga )、ネギ(葱・Allium fistulosum )、ショウガ(生姜・Zingiber officinale )、さやエンドウ(豌豆・Pisum sativum )などがある。ミョウガやネギは素麺の薬味、ショウガは魚料理の臭み抜きだろう。野菜かどうかは微妙だが、ウメ(梅・Prunus mume )も魚料理に入っているようにみえる。ともあれ、栄養バランスのとれた豊かで幸せな少女時代を実感できる涼しげな献立だ。なお、トマト、ナス、ジャガイモはすべてSolanum属で極めて近縁の作物だが、やがて作物重量当たり最もエネルギー量の多いジャガイモが優先的に食卓に上ることになる。

 婚礼の膳では、煮物のメンバーはコンニャク(蒟蒻・Amorphophallus konjak )、コンブ(昆布・Saccharina japonica )、ゴボウ(牛蒡・Arctium lappa )、ニンジン(人参・Daucus carotaレンコン(蓮根・Nelumbo nucifela )、インゲン隠元Phaseolus vulgaris )で、今と変わらない。そして、草津産の海苔を使った海苔巻きには、干瓢(夕顔・Lagenaria siceraria var. hispida )そして青菜が巻かれている。巻いてある青菜は呉・広島が舞台であるからやはり広島菜(白菜の亜種・Brassica lapa var .toona )であってほしいところだ。

 なお、ウメは「梅干しの種」として、刈谷さん監修料理の魚料理(?)に再び登場する。

 

 食卓でなく、作業で登場する野菜は、野草類・大根類を除けば、晴美さんから「ねえ、筆貸して、すずさんの頭に墨塗ってあげるの」と言われている径子さんが筋取りしているソラマメ(蚕豆・Vicia faba )らしき豆が印象的だ。

 背景として登場する野菜には「はてさてこまったねえ」のすずさん裁縫の場面の縁側にフキ(蕗・Petasites japonicas )が、周作とのデート呼び出しでの「北條の嫁さん、あんたに電話」の場面の玄関わきにナスなどがある。これらは配給ではなく、自宅の畑で収穫されたものであろう。畑に植わっている野菜としては、浦野家周辺や闇市への「いつもと違う道」のサトイモ(里芋・Colocasia esculenta )、「今頃空襲警報かね」で晴美さんとすずさんを守る円太郎の場面で手前にネギがアップとなる。

 ともあれ、限られた面積の畑で作付出来る野菜の量・種類は限られているので、ないよりは遥かにマシではあっただろうが、一日に必要なエネルギー量を野菜で賄えるはずもなく、今以上に「食卓を豊かにするため」の「腹の足し的存在」であったであろうことは想像に難くない。

 

 そして、戦争が終わるとすずさんと径子さんは進駐軍の残飯雑炊を口にする事になる。そこには、熟したエンドウ(いわゆるグリーンピース)、ニンジントウモロコシ(玉蜀黍・Zea mays )、ジャガイモパスタ、鶏の骨、豚肉、チーズ、煙草の包み紙と盛りだくさんに入っている。まあ、トウモロコシやジャガイモは野菜ではないが、なんという栄養豊富な残飯であろうか。そしてスープは色からしトマトベースであろう。トマトといえば、お盆の草津で水の張った盥(たらい)に瑞々しくスイカやキュウリと一緒に冷やされていた。あの頃の豊かさの「断片」が海の向こうからやってきたのだ。

 ふと、この時の径子さんとすずさんの感じ方は、多少違っていたような気もする。というのも、径子さんのモガ時代回想で登場するカツレツでは、添え物としてニンジンキャベツ(甘藍・Brassica oleracea var. capitata )、パセリ和蘭芹・Petroselium crispum )が見える。径子さんは洋食を「経験済み」なのである。となれば、径子さんなら「昔に食べた洋食の面影」を進駐軍の残飯雑炊に感じたことだろう。そして、戦後になって呉にも洋食屋が続々と開業する様をみて「昔みとうなってきたねえ」という感慨を抱いたかもしれない。やはり大正ど真ん中生まれの戦前・戦中・戦後の捉え方は、すずさん世代とはまた違うと思われる。

 

 

<野草>

 「この世界の片隅に」において印象に残る日常としてやはり「その辺の野草を採って食べる」というのがあるだろう。誤解した人もいそうだが、野草食が戦前の日常であった訳ではない。それは1944年の時点でサンがすずさんの作った刈谷さん監修の野草料理に感心しているという事からも容易に想像がつくだろう。現在でも岡本信人氏以外で野草を食べ続ける人はそうはいないのと同様である。登場した野草を簡単に紹介しておこう。

 それぞれの好みはあるだろうが、登場した野草の中で一番おいしいのがハコベ繁縷Stellaria media )である。そもそも、ハコベ春の七草のひとつであるから当然と言えば当然で、原作者のこうの史代さんにとってはインコの餌としても元々お馴染みなはずだ。

 カタバミ(片喰・Oxalis corniculata )はシロツメクサとよく間違えられる野草で、高濃度のシュウ酸(Oxalic acid)を含むので酸っぱい。シュウ酸の英語名も、このカタバミの学名からきている。そのシュウ酸、尿路結石の原因となる物質であるが、北條家のお浸しくらいの量であれば全く問題ないだろう。

 スギナ(杉菜・Equisetum arvense )は原始的なシダ植物なので茎の構造が他の野草とは根本的に異なり、かなり若い芽のうちに採らないと筋が固くて食べられたものではない。しかし、乾燥して薬草茶として使う事はでき、利尿作用がある。なお、スギナの胞子茎はツクシ(土筆)と呼ばれ、こちらは食べた事のある人は多いだろう。

 スミレ(菫・Viola mandshurica )もまた癖がなく食べやすい部類の野草であり、同時に薬草でもある。ただ、スミレの仲間は種子と根に毒があるので、食するのは葉と花だけにしないといけない。また、スミレはタンポポ以上に種類があり、すずさんが摘んだスミレが、その辺の道端で咲いているスミレと同じであるかは定かではない。

 原作には他にタネツケバナ(種漬花・Cardamine scutata )も紹介されている。これはアブラナ科の野草で、春の七草ナズナ(薺・Capsella bursa-pastoris )に似た植物であるが、味はナズナよりもカラシナ(芥子菜・Brassica  nigra )に近い。要はそれなりに辛い訳で、北條家のマスタード的存在であったはずだ。また、庭にヨモギ(蓬・Artemisia indica )らしき野草が生えていて、すずさんも摘み取っていたので、これもまた様々な料理に使ったであろう事を想像すると楽しい。

 

<ダイズ>

 晴美さん登場シーンで「お豆さん炒りよるん?」で出てくるのがダイズ(大豆・Glycine max )である。ダイズは蟻子さんの場面で中を舞う豆腐となり、刈谷さん監修料理ではうの花(おから)として活用される。言うまでもなく味噌にもなる。あるいは、刈谷さんの物々交換では訪問先の軒先に凍り豆腐としてつりさげられている。

 動物性食品が少ない中での貴重なタンパク質源として、ダイズはコメや代用食の食品に次いで重要な食品である。というのも、米や代用食にもタンパク質は含まれてはいるのだが、米や代用食だけではリジンという必須アミノ酸が欠乏してしまうのだ。ダイズはそのリジンを補完する事が出来る数少ない植物性の食品である。すなわち、動物性タンパク質が不足した状況では、ダイズはまさに北條家の身体機能を維持するための極めて重要な食品であったと言える。

 

 ④では、菓子・果物について書いてゆく。