ZoaZoa日記

気の向くままに書き散らしてゆきます。皆さまの考えるヒントになればと思います。

食べ物で観る「この世界の片隅に」 ⑥ ‐番外編‐

 ⑥では、直接食べる訳ではないが、身体にかかわるあれこれを記しておく。もう、完全に備忘録であるが、最後までおつきあいいただければ幸いである。

 

 

大島椿 60mL

大島椿 60mL

 

 

 

 <タバコ(煙草・Nicotiana tabacum

 タバコほど社会の扱いが昔と今とで変化した嗜好品もないであろう。少なくとも戦前なら「煙草は大人になったら吸うもの」というのが共通認識だったのではないか。なにせ未成年の喫煙が法律で禁止されたのは1900年からなのである。つまり、浦野十郎や北條円太郎が生まれた頃は子どもでも煙草を吸っていた時代な訳だ。

 「この世界の片隅に」では、すずさんの海苔のお使いの砂利船の船頭さん、そして「砂糖一斤20円」の闇市のおっさんがどちらも煙管(きせる)でタバコを吸っている。今ではよほど酔狂な人以外は煙管で煙草を吸わない訳だが、当時はまだまだ紙巻きタバコは都会の特定の階層のもので、田舎もしくは肉体労働者は煙管が一般的だったようである。実際、私の祖父も最晩年に横着になってセブンスターなどを吸うようになるまでは煙管を使って吸っていた。当然、昔は刻みタバコの銘柄も多数あった。ただ、船頭さんも闇市のおっさんも、おそらくは一番安い「みのり」もしくは葉屑を集めて吸っていたような気がする。

 ここで、またしても水原哲が紙巻きタバコの「」を周作に差しだしたりする訳で、全くもってキザな水兵さんである。この「光」という銘柄、昭和初期の発売当初はオレンジ色のかなり派手なデザインの箱だったようだが、この頃には随分と淡白なデザインになっていることがわかる。「光」と言う銘柄自体は、戦後の1950年代くらいまで生き残った。 

 参考までに1946年から今に至るまで生き残っている国産の煙草銘柄は「ゴールデンバット」と「ピース」のみである。「ゴールデンバット」は1940年~1948年の間、敵性語追放のあおりをうけて中身は同じでも「金鵄(きんし)」と言う名称になっていた。

 本題に戻ろう。やはり煙草のとどめは進駐軍の残飯雑炊に入っているラッキーストライクLUCKY STRIKEだろう。今に続く「赤丸に黒字」のデザインは1942年からで、軍用物資として大量に供給されたそうである。かつてはハイカラでモガな径子さんも初めて見た煙草だったに違いない(というか、シンプルなデザインに煙草の包み紙と思っていなかったかもしれない)。ラッキーストライク、銘柄自体は1916年からで、これまた奇しくも「この世界の片隅に」の公開年の2016年が百周年だった訳である。1942年のパッケージデザインはほとんど変わることなく現在でも売られている。

 

 <ユーカリEucalyptus melliodora

 北條家の庭にあるそれなりに大きな樹木である。ユーカリと一口に言っても沢山の種類があり、北條家のユーカリが何なのか、コアラの餌になる種類なのか定かではないが、「蚊遣り」に使うような精油成分がある事は間違いないようだ。ユーカリ広島市の爆心地近くの被爆樹木としても有名である。北條家のユーカリはもうないかもしれないが、原子爆弾の熱線を浴びたユーカリは今もまだ広島城の二ノ丸やで生い茂っている。広島から飛んできた障子が北條家のユーカリの木にひっかかっているシーンでふとそんな事を思い出した。

 

 <口紅(紅花・Carthamus tinctourius

 周作さんを見送る時にすずさんがつかった口紅はテルちゃんの遺品としてリンさんから二河公園の花見の時に貰ったものである。というのは、原作を知らない人は何のことかわからないだろうが、完全版ができればきっとその辺の所のエピソードは入ると思うので、心待ちにしたい。

 都会の一部の層を除きスティックタイプの口紅はまだ普及してない頃なので、朱肉入れのような容器に紅が入っている。紅花(べにばな)で作った本物の高級な艶紅(つやべに)は、実は赤色でなく玉虫のような緑色(赤の補色)に見え、御猪口のような容器に何層も塗り重ねられている。それを薄く唇へつけると鮮やかな赤色となるのである。すずさんの使う紅はそのような高級品ではないと思われるので、見かけはほとんど朱肉のような感じになっている。おそらくは基材に染料(もしかすると鉱物顔料)を混ぜた固形紅だったろう。そして、機銃照射で紅が砕け散る時にも「粉っぽさ」を感じさせる質感で表現されている。

 

 <白粉>

 白粉は有毒な鉛白(2PbCO3・Pb(OH)2)を使う時代ではさすがになくなっていただろうが、径子さんに怒られながらすずさんがパタパタやっていたのが、酸化亜鉛(ZnO)か酸化チタン(TiO2)か、あるいはタルク(Mg3Si4O10(OH)2)だったのか、なんとも判断しようがない。タルクや酸化チタンであれば、現在も普通に化粧に使われている材料である。

 

 <ツバキ(椿・Camellia japonica

 1938年2月にスケッチ(図画)を通した水原哲との逢瀬をし、そして1943年12月に周作・円太郎が迷い込んだ江波山。その江波山にツバキが咲いている。言うまでもなく冬の花である。海岸に自生しているツバキであるから、おそらくはヤブツバキであろう。そして、すずさんの婚礼衣装の柄もツバキ。髪飾りもツバキ。さらにいうなら、赤いツバキの花言葉は「気取らない優美さ」。英語の花言葉だと「You are a flame in my heart」だそうな。そこは各人、意味するところをいろいろと想像していただければと思う。

 なお、ツバキの種子は、ツバキ油の原料としても重要である。ツバキ油は、オレイン酸の割合が多く酸化されにくい不乾性油なので、食用・化粧品・薬用にも使えるような汎用性があり、言ってみれば、地中海沿岸のオリーブオイルのような位置づけと言える。そして、今でも根強い愛用者は多い。

 

 <ヘチマ糸瓜Luffa cylindrica

ヘチマは、北條家の浴室の「へちまたわし」として登場する。「すずさん‐晴美さん‐リンさん」のラインは同じウリ科のスイカやカボチャでつながる訳だが、ヘチマもまたウリ科である。すなわち、ヘチマはウリ科ラインの背景脇役としてひっそり出てくる訳である。

 

 <飾り物>

 どれも、料理の飾りとしてお盆の草津ではササ、婚礼の膳ではマツセンリョウササ使われている。プラスチック製のバランなどはない時代であるから、すべて本物の植物なのである。呉は沿岸部である事からマツクロマツ(松・Pinus thunbergii )を使っているだろう。マツは精油も多く含まれていて燃えやすいので、こくば(種火燃料)としても最適であり「そいじゃ、うち、こくば拾うてくるわー」とすずさんが江波山へ拾い集めに行く訳である。

 センリョウ(千両・Sarcadra glabra )はマンリョウ(万両・Ardisia crenata )とセットで正月の縁起物として使う事も多い。つまりは赤い実は1月頃についているのであり、すずさんの婚礼の時期も2月であるから料理の飾りとして活用したのであろう。「時節柄すべて簡便に」といいつつ、そういった所は目出度くしようとしているのだ。

 ササは、沿岸部の優勢種であるメダケ(雌竹・Pleioblastus Simonii )ではないかと推測するが、実際何を使ったのかは画面だけではわからない。ササは、料理飾りの側面もあるが、抗菌作用もあるので、食中毒防止の観点でも寿司などによく使われる素材である。

 

 <鉄(Fe)

 日本人の「鉄分補給」において鉄瓶や鉄鍋が密かに重要な役割を担っていた時代があった。大昔の栄養成分表も鉄鍋で調理したデータが載っていたりして、同じ食品でも鉄分含有量が今とは大きく異なっていたりする。その鉄瓶であるが、すずさんが呉に嫁入りする1944年2月頃には画面からほぼ姿を消している。言うまでもなく、金属類回収令によって出されてしまったためであろう。画面に出てくる最後の鉄瓶は、1943年12月の草津の家である。鉄瓶のみならず、北條家の箪笥の取手の金具なども画面上は1944年5月あたりからすべて紐になっている。なお、原作を知っている人ならご存知の事と思うが、第一エンディングの最後で円太郎がもたれかかっているは1945年9月17日、枕崎の台風の時に退職金代わりに円太郎が広工廠から「強奪」してきた金属材料により鋳造してきたものである。すなわち、人を殺す兵器になるはずだった鉄が円太郎の一存で北條家の畑作効率化のための農機具へ変容したのである。

 

 カブトガニ(兜蟹・Tachypleus tridentatus

 すずさんたちが草津に向かう干潟にカブトガニがいたことに「おや?カブトガニは岡山の天然記念物では?」と思った人も多かったことだろう。カブトガニもアゲマキガイと同様に戦後の沿岸開発によって、広島県では見る事ができなくなった生物種である。瀬戸内海に干潟が数多く残っていた頃には、カブトガニは普通にいる生物種だったようだ。

 戦後、カブトガニの血液から細菌やウイルスを高感度で凝集する成分(細胞)が見つかり、生物汚染チェックの検査キットに応用された。今では迅速な検査に医療現場ではなくてはならないものとなっている。干潟に昔いた何気ない生物にそのようなポテンシャルがあるとわかったのはずっと後であるから、開発を進めた時代の人々を攻めるのは筋違いである。当時の人にしてみれば、カブトガニはいるのが当たり前で、食用にもならず、いてもいなくても気付かない空気のような生物だったに違いない。その時代ごとの日常とはそうしたものなのである。

 

 「番外編」と言いつつ、なにか事実の羅列のような退屈な内容になってしまった。おそらくは、ちまたで噂の「片渕ファイル」にはもっともっと沢山の情報が詰まっており、私の書いた内容もいろいろ間違い・勘違い・足りない点があるかもしれない。ともあれ、「この世界の片隅に」は私にとって、あの時代への「窓」である。と同時に、その「窓」はあの時代のすべてを見渡せる訳ではない事も痛感している。しかし、「窓」がなければ、何もわからないのである。

 

 本稿をきっかけにして「この世界の片隅に」に濃縮されている膨大な情報と情緒の海に身と頭をゆだねて、さらなる作品の楽しみ方や発見をそれぞれが模索していただければ幸いである。

食べ物で観る「この世界の片隅に」 ⑤ ‐魚介類・肉類‐

 ⑤では魚介類・肉類の食材を中心に書いていこう。

 

<魚介類>

 「この世界の片隅に」にでてくる魚類は一部を除き、鳥類・昆虫や植物そして貝類の的確な描写に比べると、種が同定できるようには描かれていない。しかし登場の頻度はそれなりにあるので、魚好きの私としては少々もやもやするのだが、もしかするとどんな魚が食べられていたか詳しい記録がなくてその辺を曖昧にしたのかもしれないし。あるいは、種類はわかっていても、生々しさを避けてあえて簡略した描写にした可能性もある。

 そんな中で「ザ・魚」と言う感じで堂々と登場するのはやはり、婚礼の膳で登場するマダイ真鯛Pagrus major )であろう。もしかすると、チダイ(血鯛・Evynnis tumifrons )かもしれないが、焼き物になっているのでよくわからない。言うまでもなく、瀬戸内海直送の天然の鯛であろう。婚礼の膳の全体に言えることではあるものの、やはり「ようこれだけ集めんさった」という台詞と艶やかな鯛がある事とが「豊かな時代の残影」という印象をなおさら強めている。

 そして次の「ザ・魚」は配給で手に入れた4匹のメザシということになる。眼の位置や口の開き方などから、おそらくはカタクチイワシ(片口鰯・Englauris japonicum )と思われる。戦後も長らくは大衆魚の代表格であったが、すずさんも数匹のイワシをとことん有効活用する。径子さんがすずさんに代わってサクサクと頭とはらわたを取る煮干しも、カタクチイワシである可能性が高い。イワシといえば、お盆の草津の昼食では、イワシ(真鰯・Sardinops melanostictus )の梅煮(生姜入り)らしきものが入った皿も出てくる。ただし、斑点がみられないことから、ウルメイワシ(潤目鰯・Etrumeus teres )かもしれない。

 1945年3月19日の爆撃の衝撃で呉港に浮かぶ魚は、その大きさや形からブリ(鰤・Seriola quinqueradiata )のような気もするが、最高気温8.1℃のこの日の湾内にあれだけのブリが回遊しているかはなんともいえない。翌日、晴美さんがスケッチする魚は、晴美さん側がサッパ(拶双魚・Sardinella zunasi )、すずさん側がマサバ(真鯖・Scomber japonicas )の稚魚のように見えるが、全く自信はない。なお、サッパは、岡山では「ママカリ」と呼ばれる魚でニシンの仲間である。

 径子さんの「すずさん、あんた広島帰ったら」の場面での食卓の魚の切り身、さすがに何の魚が形や色だけではわからないが、1944年3月と言う時期を考えると、サワラ(鰆・Scomberomorus niphonius )あたりが有力候補だろうか。切り身の大きさからして、一年魚のサゴシ(青箭魚)かもしれない。もちろん、30cmほどのブリ(広島ではヤズと呼ばれているようである)の可能性もある。

 刈谷さんの物々交換リアカーに乗せられた魚は本当に謎である。あのような口の開き方をする魚は瀬戸内海にはいないような気もするので、「魚」という記号表現と思っておこう。あえて言うなら、大きさと体色、鱗の様子からボラ(鯔・Mugil cephalus )かもしれない。

 また、食卓にあがる魚と言う訳ではないが、すずさんの海苔のお使いの船着き場で見える魚影は、汽水域である事と大きさから判断して、ボラまたはコイ(鯉・Cyprinus carpio )、もしくはスズキ(鱸・Lateolabrax japonicum )などが考えられるが、太田川といえば鯉の名産地であり、広島城の別名が「鯉城(りじょう)」であることからも、ここはコイ(Carp)ということにしたい。

 

 魚に対して貝類描写はかなり充実している。まず、お盆の草津の昼食、そして、すずさん・すみちゃん姉妹の路地販売のアサリ浅蜊Ruditapes philippinarum )、すずさん帰省時に家族そろって身をほじくり出すのに必死なアゲマキガイ(揚巻貝・Sinonovacula constricta )とヨナキガイ(長辛累・Fusinus perplexus )およびアサリ

 アゲマキガイは、別名チンダイガイ(鎮台貝)とも呼ばれ、印鑑ケースのような形をした貝だ。非常に美味なのだが、瀬戸内海では高度成長期あたりにほぼ絶滅した。現在国内で流通しているのは中国・韓国産のようだ。ヨナキガイ(夜泣貝)は広島地方の名前で、正式和名はナガニシといい、細長い巻貝である。スミちゃんが物凄い形相でほじっているのは、おそらくはこちらの貝の方だ。全国に普通に分布するものの、なぜか広島の人たちが好んで食べるローカルな貝である。

 婚礼の膳では、お吸い物のハマグリ(蛤・Meretrix lusoria )、大根おろしの入った酢カキ(牡蠣・Crassostrea gigas )が出てくる。現在であっても高級な料理であろう。なお、その頃のカキは、現在の孟宗竹やビニールパイプの筏による養殖はまだ始まっておらず、物干し台のような所からつりさげる方式の杭打垂下法が主流だったようなので、お膳にあるカキもそうして獲られたものだったであろう。原作では、筏式の養殖法が試験的に始まっているような描写があるが、当時は木材を使った筏だったので、台風などで流されてしまいうまくいかなかったようである。

 

 ともあれ、広島・呉は豊富な魚介類に恵まれていた。これは、厳しい食糧事情下においては、内陸部の人たちにくらべて大きなアドバンテージがあると言える。冷凍輸送の手立てのない当時は内陸部にはサメや干物を除き、まず新鮮な魚介類は入って来なかったのである。

 魚介類は栄養の面でも重要だ。動物性タンパク質として貴重なだけでなく、魚に含まれるビタミンD、あるいはドコサヘキサエン酸(DHA)やエイコサペンタエン酸(EPA)などの必須脂肪酸、貝類から得られる鉄や亜鉛、ビタミンB12 など、その栄養価的な恩恵は計り知れない。そして、海水から塩化ナトリウム(NaCl)以外のミネラルも豊富な「食塩」が容易に手に入るのも沿岸部ならではの地の利だろう。

 

<肉類>

 日本食品標準成分表では、肉類というのは「魚介類を除いた動物の肉」の事を指す。ここでは哺乳類と鳥類の肉について書こう。

 まず哺乳類の肉類は進駐軍の残飯雑炊登場まで、モガ時代の径子さんの回想のトンカツ(豚・Sus scrofa domesticus )と入湯上陸時の水原哲が持ってきた牛肉Bos Taurus )の缶詰以外では、全く登場しない。それにしても、あの時期(1944年12月)でも海軍にはそういった缶詰をまだお土産にできていたというのが興味深い。まさに帝国海軍の威光を胃袋で誇示できたことだろう。

 そして、進駐軍の残飯雑炊には脂身つきの豚肉がごろっと塊で浮かんでいる。「肉の塊が残飯に残っているとはどういう事か!」と現代に生きる私でも思うが、まあ今の私たちは「価格」の面でそう思ってしまう訳で、当時のすずさんたちとは感覚が異なっているだろう。しかし、価格にせよ希少性にせよ、穀物や野菜に比べて、(食肉目的で)牛や豚を育てるには膨大なエネルギーが必要な事は今も昔も変わりはない。

 あの進駐軍の残飯雑炊に浮かぶ豚肉を生産するために消費した飼料で、当時の日本人数十人分くらいは余裕で腹いっぱいにさせられたであろう。そのようなエネルギーの塊を進駐軍は食べ残す訳である。これもまたアメリカ合衆国(および連合国)の国力の象徴であり、あり余る彼の国の豊かさを当時の日本人は胃袋で実感してしまったことであろう。現在でも、関税があるにもかかわらず米国産や豪州産の牛肉の方が安いのである。

 残飯雑炊にはチーズも入っているようで、この作品で登場するアイスクリームと並ぶ数少ない乳製品である(キャラメルにも脱脂粉乳が入っているかもしれない)。乳製品に関しては食肉と違い持続可能な生産が可能なため、戦後にはほぼ自給自足できるようになった。

 ニワトリ(鶏・Gallus gallus demesticus )は、進駐軍の残飯雑炊でも骨(おそらくは大腿骨か脛腓骨)らしきものは出てくるものの、自体は入ってないようだ。かろうじて婚礼の膳の海苔巻きに卵焼きが入っているくらいだろうか。とはいえ、ばけもんの籠に入れられたすずさんが「夕方には家のにわとりに餌やらにゃいけんのに」という台詞がある以上、1930年代には浦野家にニワトリがいた事になる訳で、ある時期まではすずさんは卵も食していたと思われる。

 

 以上、食べ物で観る「この世界の片隅に」①~⑤で様々な食材を見てきた。絶対的なエネルギー不足および量的な不足には目をつぶって(まあそこが一番深刻で無視できない所なのだが)、食材自体だけをリストアップしてみると、すずさんたちの時代の呉・広島の方が今よりも栄養の面でも食文化の面でも多様性があり「ごく自然に豊かな食生活を送るためのポテンシャルがあった」と見る事もできよう。特に貧窮する前の食卓における「(当時は)意識されていないだろう贅沢さ」が私には眩しい。「この世界の片隅に」に登場した多様な食品のいくつかは、現代の私たちはもう当時と同じように食べる事は叶わない。

 日々、私たちが食べているものは、目新しいものでもない限り「昔の人も同じように食べていた」とつい思いがちである。しかし、「この世界の片隅に」において当時の食生活が丁寧に再現されることで「いつの間にか失われた食」「似ているようでいて昔とは違う食」があったことを私たちは知る事ができるのである。

 「この世界の片隅に」を鑑賞して「昔の食生活は悲惨だったな」と感じるのは容易だが、さらに踏み込んで「当時のトマトと今のトマトはどう違うのだろう?」と言うような疑問をそれぞれが興に任せて深めていっていただければ片渕監督も本望ではないだろうか。

 

 食材としては以上だが、最後の⑥では、番外編として食材以外の「身体に関係するあれこれ」を記しておこう。

食べ物で観る「この世界の片隅に」 ④ ‐菓子・果物‐

<菓子>

 豊かな時代の食の象徴といえば、菓子類はその典型であろう。「実物の」菓子が登場するのは、すずの少女時代と周作の浦野家訪問の時、そして戦争が終わって進駐軍が来てからだ。すずさんが呉に嫁に行ってから終戦まで実体としての菓子はなくなる。

 

 

カップ印 きび砂糖 750g

カップ印 きび砂糖 750g

 

 

 というのも、そもそも、菓子作りに必須の砂糖が大変な貴重品なのである。怖いオッサンが闇市で「砂糖一斤20円。今買わんとまだたこうなるで」と脅す事からわかるように、需要があり益々供給が減るから高値で取引されるのだ。ちなみに、1斤は約600g。換算基準によって異なるが、これは今で言うなら600gの砂糖をだいたい2~3万円で買うと言う感覚である。600gがピンとこないなら、角砂糖1個がだいたい100~150円と思っていただければよい。そんなものをドバドバと菓子に使えないのである。

 

 当時の砂糖は、北海道のテンサイ(甜菜・Beta vulgaris ssp. vulgaris )由来もない訳でもないが、多くは台湾や南洋諸島サトウキビ(砂糖黍・Saccharum offcinarum )に依存しているので、戦況が悪化して制海権がなくなるにつれて致命的に不足してゆくのだ。何もかも不足の時代と言っても、そこはサトウキビと内地で生産できる作物とでは事情が異なる。実際、一人当たりの年間砂糖消費量は1939年で16.28㎏もあった(これは2000年とほぼ同じ)のに1946年には0.2㎏にまで激減している。終戦後、製糖工場のあった南方の占領地を完全に失ってしまって、ない袖は振れない状態だったのである。と言う訳で、戦時下、特に1945年時点での菓子というのは、ほとんど幻のような存在だったと思われる。無論、戦争が終わっても国産の菓子復活までには時間がかかった。それゆえに菓子は海外からやってくる。故に「Give me chocolate」だった訳である。菓子受難時代をはさんで登場した菓子について書いていこう。

 

 キャラメルは、言うまでもなく、すずさんと周作をつなぐ重要なアイテムである。物語冒頭、眠ってしまったばけもんに周作がキャラメルを持たせる。すずさんはそんな周作を少し不思議な気持ちで眺め、家でキャラメルの香りを嗅ぎながら、夢のような出来事を思い出す。その印象がほぼ10年後の周作の浦野家訪問時、周作が持ってきた何箱ものキャラメルでよみがえる。嫁にもらいたいと来た人が誰かははっきりとわからないながらも、既にずいぶんと口にしてないであろうキャラメルを見て、ばけもんにさらわれた幻のような記憶を連想したのであろう。味覚の記憶・連想というのはそういったものだ。そして、呉に嫁に来たあと、キャラメルは路上へ描かれることでリンさんを引き寄せる。原作を知っている人なら、リンドウと帳面の切れ端がリンさんと周作を結び付ける重要なアイテムであることは認識しているとは思うが、映画版だけ見れば、今のところ、キャラメルこそが「すずさん‐周作‐リンさん」を結び付けるアイテムということになる。

 

 チョコレートは、すずさんの海苔のお使いの中島本町の駄菓子屋で登場(船着き場の森永チョコレートの看板もあり)したあとは、すずさんが子どもと間違われて進駐軍から「Hershey Tropical Chocolate」を貰うという事で再登場する。実は戦況が悪化する以前から国内ではチョコレートは非常に手に入りにくい状況になっていた。というのも、1937年にはカカオ豆の輸入が制限され、1940年にはチョコレート製品の製造が全面禁止(軍需用は除く)なっていたためである。つまり、おそらく晴美さんはチョコレートを一度も食べることなく亡くなってしまったはずなのである。そう思うと、すずさんが晴美さんの亡くなった場所へチョコレートをお供えするのも、進駐軍にチョコをねだる子どもたちをみて径子が「晴美もしたんじゃろうか…」とつぶやくのも少し意味合いが変わってくる事だろう。

 

 アイスクリームは、すずさん‐径子さん‐リンさんを密かにつなげるアイテムである。すずさんはアイスクリームを知らない。そして、すずさんは径子さんにアイスクリーム(とウエハース)がどんなものかを教えてもらう。径子のアイスクリームの記憶はモガ時代のものだ。そして、第二エンディングの回想場面では、喫茶店でアイスクリームを食べたであろうモガ時代の径子さんカップルの隣の席に少女時代のリンさんもまたアイスクリームを食べている。つまり、リンさんと径子さんが回想するアイスクリームはほぼ同じものなのである。しかし、すずさんはそんなつながりがあるとは知らない。戦後、すずさんが、福屋百貨店の食堂あたりで本物のウエハーつきのアイスクリームをはじめて食べた時、どんな感想をもらすか聞きたいものである。

 

 そして、リンさんとの路上絵に登場するハッカ糖わらび餅も肝心の砂糖が統制下であるから、作りようにもいかんともしがたい状況であっただろう。リンさんが「絵だけでも見たい」という気持ちになるのはよくわかる。特にハッカ糖は使用原料のハッカ(薄荷・Mentha canadensis )の減反が強制されている時期であるからなおさら幻の菓子となっていたと推測される。

 

 

<果物>

 食生活で菓子の代わりに「甘さ」を求めようとすれば、やはり「水菓子」の異名でわかるように「果物」ということになろう。この作品で象徴的な果物と言えばやはりイカ(西瓜・Citrullus lanatus )である。草津の家ではスイカ運搬と少女時代のリンさんとの邂逅があり、闇市で久々の実物再会、そして朝日町でリンさんと再会した時に路上の絵として登場する。サトウキビと違い、国内でもスイカ栽培は可能である。ではなぜ闇市ですずさんが「スイカは畑で禁止のはずじゃが」と言っているのか。これは1944年にスイカが不要不急作物としても統制されたためである。多くの果物が樹に生るのに対し、スイカは畑で採れる果物なので転用作物として狙われたと思われる。「スイカでなくカボチャを作れ」と言う訳だ。すずさんたちは、戦争が終わって何回目の夏にスイカを心置きなく食べられるようになったのだろうか。なんとなく翌年には食べていたような気もする。

 スイカと同じくらいに重要な果物といえば、すずさんと周作の初夜に登場する干し柿(柿・Diospyros kaki )だろう。すずさんが持ってきた本物の蝙蝠傘が干し柿をとるために使われるという不思議な展開が見る者の気持ちの置きどころを迷わせる。「すずさん、傘をもってきっとるかいの」から「昔もここへほくろがあった」への、あの一連の流れの緊張と弛緩の配合は本当に絶妙としか言いようがない。余談ながら、すずさんが闇市で「どちらにしようかな」の〆台詞の「かきのたね」をやる場面でも、カキは言葉の上で登場する。

 そして次に私の頭に浮かぶのは、すずさんを見舞いに来たすみちゃんが持ってきたビワ枇杷Eriobotrya japonica )だ。ビワの姿かたちは出てこないにも関わらず妙に印象に残るのは、おそらくはすずさんの故郷の江波山の長閑な風景をなんとなく想像してしまうからだろうか。実際、広島測候所(現・江波山気象館)は今も往時のまま残されている。

 1944年2月にすずさんが呉に嫁入りする時、汽車の中で浦野キセノがウンシュウミカン(温州蜜柑・Citrus unshiu )を食べている場面もでてくる。何気ないシーンではあるものの、(当時の東北ではまずない)瀬戸内海沿岸ならではの光景が逆に印象に残る。

 柑橘類Citrus sp )といえば、水原哲が北條家訪問の手土産として持ってきた缶詰にキンカン(金柑・Fortunella crassifolia. )があった。おそらく甘露漬けで、あの状況下ではまさに垂涎の逸品であったろう。他に刈谷さんの物々交換のリアカーにもやや大ぶりなウンシュウミカンもしくはハッサク(八朔・Citrus hassaku )らしき柑橘が乗っていた。物々交換の家の庭にあった樹木に実っていたのはもうちょっと大きい柑橘類だったように思うので、庭から採ってきたという訳ではないようだ。そして、その柑橘類を積んだリアカーは、1年前にキンカンを持ってきた水原哲の後ろを通り過ぎる。

 原作では、風邪でダウンした北條家の面々に闇市で買ってきたサボン(文旦・Citrus maxima )をすずさんが分け与える様も描かれている。すずさんは風邪をひかないのが取り柄なのである。

 ともあれ、果物は戦時下では「甘み」を味わえる宝石のような存在だったであろうし、稀に手に入ればビタミンC供給源として密かに重要であったと思われる。

 

 ⑤では、魚介類・食肉類について書いてゆく。

食べ物で観る「この世界の片隅に」③ ‐野菜・野草・ダイズ‐

 主食があれば副菜も必要だ。といっても、主食が不足しているのに副菜が十分にある訳もない。しかし、そんな状況でも知恵を絞って食卓を豊かにしようとするのが生活というものであろう。

 

この世界の片隅に 劇場アニメ原画集

この世界の片隅に 劇場アニメ原画集

 

 

 

<野菜>

 作品中の食卓に色とりどりの野菜が登場する場面というのは、実は限られている。回想を除けば主にお盆の草津の昼食とすずさんの婚礼の膳、そして進駐軍の残飯雑炊だ。

 

 お盆の草津で確認できる野菜は、トマト(赤茄子・Solanum lycopersicum )、キュウリ(胡瓜・Cucumis sativas )、ナス(茄子・Solanum melongena )、ミョウガ(茗荷・Zingiber mioga )、ネギ(葱・Allium fistulosum )、ショウガ(生姜・Zingiber officinale )、さやエンドウ(豌豆・Pisum sativum )などがある。ミョウガやネギは素麺の薬味、ショウガは魚料理の臭み抜きだろう。野菜かどうかは微妙だが、ウメ(梅・Prunus mume )も魚料理に入っているようにみえる。ともあれ、栄養バランスのとれた豊かで幸せな少女時代を実感できる涼しげな献立だ。なお、トマト、ナス、ジャガイモはすべてSolanum属で極めて近縁の作物だが、やがて作物重量当たり最もエネルギー量の多いジャガイモが優先的に食卓に上ることになる。

 婚礼の膳では、煮物のメンバーはコンニャク(蒟蒻・Amorphophallus konjak )、コンブ(昆布・Saccharina japonica )、ゴボウ(牛蒡・Arctium lappa )、ニンジン(人参・Daucus carotaレンコン(蓮根・Nelumbo nucifela )、インゲン隠元Phaseolus vulgaris )で、今と変わらない。そして、草津産の海苔を使った海苔巻きには、干瓢(夕顔・Lagenaria siceraria var. hispida )そして青菜が巻かれている。巻いてある青菜は呉・広島が舞台であるからやはり広島菜(白菜の亜種・Brassica lapa var .toona )であってほしいところだ。

 なお、ウメは「梅干しの種」として、刈谷さん監修料理の魚料理(?)に再び登場する。

 

 食卓でなく、作業で登場する野菜は、野草類・大根類を除けば、晴美さんから「ねえ、筆貸して、すずさんの頭に墨塗ってあげるの」と言われている径子さんが筋取りしているソラマメ(蚕豆・Vicia faba )らしき豆が印象的だ。

 背景として登場する野菜には「はてさてこまったねえ」のすずさん裁縫の場面の縁側にフキ(蕗・Petasites japonicas )が、周作とのデート呼び出しでの「北條の嫁さん、あんたに電話」の場面の玄関わきにナスなどがある。これらは配給ではなく、自宅の畑で収穫されたものであろう。畑に植わっている野菜としては、浦野家周辺や闇市への「いつもと違う道」のサトイモ(里芋・Colocasia esculenta )、「今頃空襲警報かね」で晴美さんとすずさんを守る円太郎の場面で手前にネギがアップとなる。

 ともあれ、限られた面積の畑で作付出来る野菜の量・種類は限られているので、ないよりは遥かにマシではあっただろうが、一日に必要なエネルギー量を野菜で賄えるはずもなく、今以上に「食卓を豊かにするため」の「腹の足し的存在」であったであろうことは想像に難くない。

 

 そして、戦争が終わるとすずさんと径子さんは進駐軍の残飯雑炊を口にする事になる。そこには、熟したエンドウ(いわゆるグリーンピース)、ニンジントウモロコシ(玉蜀黍・Zea mays )、ジャガイモパスタ、鶏の骨、豚肉、チーズ、煙草の包み紙と盛りだくさんに入っている。まあ、トウモロコシやジャガイモは野菜ではないが、なんという栄養豊富な残飯であろうか。そしてスープは色からしトマトベースであろう。トマトといえば、お盆の草津で水の張った盥(たらい)に瑞々しくスイカやキュウリと一緒に冷やされていた。あの頃の豊かさの「断片」が海の向こうからやってきたのだ。

 ふと、この時の径子さんとすずさんの感じ方は、多少違っていたような気もする。というのも、径子さんのモガ時代回想で登場するカツレツでは、添え物としてニンジンキャベツ(甘藍・Brassica oleracea var. capitata )、パセリ和蘭芹・Petroselium crispum )が見える。径子さんは洋食を「経験済み」なのである。となれば、径子さんなら「昔に食べた洋食の面影」を進駐軍の残飯雑炊に感じたことだろう。そして、戦後になって呉にも洋食屋が続々と開業する様をみて「昔みとうなってきたねえ」という感慨を抱いたかもしれない。やはり大正ど真ん中生まれの戦前・戦中・戦後の捉え方は、すずさん世代とはまた違うと思われる。

 

 

<野草>

 「この世界の片隅に」において印象に残る日常としてやはり「その辺の野草を採って食べる」というのがあるだろう。誤解した人もいそうだが、野草食が戦前の日常であった訳ではない。それは1944年の時点でサンがすずさんの作った刈谷さん監修の野草料理に感心しているという事からも容易に想像がつくだろう。現在でも岡本信人氏以外で野草を食べ続ける人はそうはいないのと同様である。登場した野草を簡単に紹介しておこう。

 それぞれの好みはあるだろうが、登場した野草の中で一番おいしいのがハコベ繁縷Stellaria media )である。そもそも、ハコベ春の七草のひとつであるから当然と言えば当然で、原作者のこうの史代さんにとってはインコの餌としても元々お馴染みなはずだ。

 カタバミ(片喰・Oxalis corniculata )はシロツメクサとよく間違えられる野草で、高濃度のシュウ酸(Oxalic acid)を含むので酸っぱい。シュウ酸の英語名も、このカタバミの学名からきている。そのシュウ酸、尿路結石の原因となる物質であるが、北條家のお浸しくらいの量であれば全く問題ないだろう。

 スギナ(杉菜・Equisetum arvense )は原始的なシダ植物なので茎の構造が他の野草とは根本的に異なり、かなり若い芽のうちに採らないと筋が固くて食べられたものではない。しかし、乾燥して薬草茶として使う事はでき、利尿作用がある。なお、スギナの胞子茎はツクシ(土筆)と呼ばれ、こちらは食べた事のある人は多いだろう。

 スミレ(菫・Viola mandshurica )もまた癖がなく食べやすい部類の野草であり、同時に薬草でもある。ただ、スミレの仲間は種子と根に毒があるので、食するのは葉と花だけにしないといけない。また、スミレはタンポポ以上に種類があり、すずさんが摘んだスミレが、その辺の道端で咲いているスミレと同じであるかは定かではない。

 原作には他にタネツケバナ(種漬花・Cardamine scutata )も紹介されている。これはアブラナ科の野草で、春の七草ナズナ(薺・Capsella bursa-pastoris )に似た植物であるが、味はナズナよりもカラシナ(芥子菜・Brassica  nigra )に近い。要はそれなりに辛い訳で、北條家のマスタード的存在であったはずだ。また、庭にヨモギ(蓬・Artemisia indica )らしき野草が生えていて、すずさんも摘み取っていたので、これもまた様々な料理に使ったであろう事を想像すると楽しい。

 

<ダイズ>

 晴美さん登場シーンで「お豆さん炒りよるん?」で出てくるのがダイズ(大豆・Glycine max )である。ダイズは蟻子さんの場面で中を舞う豆腐となり、刈谷さん監修料理ではうの花(おから)として活用される。言うまでもなく味噌にもなる。あるいは、刈谷さんの物々交換では訪問先の軒先に凍り豆腐としてつりさげられている。

 動物性食品が少ない中での貴重なタンパク質源として、ダイズはコメや代用食の食品に次いで重要な食品である。というのも、米や代用食にもタンパク質は含まれてはいるのだが、米や代用食だけではリジンという必須アミノ酸が欠乏してしまうのだ。ダイズはそのリジンを補完する事が出来る数少ない植物性の食品である。すなわち、動物性タンパク質が不足した状況では、ダイズはまさに北條家の身体機能を維持するための極めて重要な食品であったと言える。

 

 ④では、菓子・果物について書いてゆく。

食べ物で観る「この世界の片隅に」 ② ‐コメと代用食‐

「腹が減っては戦はできぬ」とはよく言うものの、その腹を満たすのはやはり「主食」と呼ばれるものであろう。②ではコメと代用食について思いつくままに書く。

 

<コメ> 稲Oryza sativa

 米は戦前の日本人の主たるエネルギー源であると同時に、文化的な支柱とも言える部分も強く、戦争中の「白米への渇望」についての描写は様々な物語でなされてきた。

 しかし「この世界の片隅に」ほど戦前日本人の米信仰を丁寧に描いた作品はなかなかない。お茶碗の中にある米の比率や状態を時系列できちんと変化させ、楠公をはさみつつ、闇市で台湾米を登場させ、サンがコツコツと瓶搗き精米してきた「真っ白な米」を玉音放送の晩に電灯の下で食べ、最後に広島駅にいたヨーコさんをおにぎりが引き寄せる。「米がなければラーメンを食べればいいのでは」と素朴に思う若い人がいてもおかしくない現代ではあるが、この作品をじっくり鑑賞することで、当時は明けても暮れても米一択であり、いかに米中心で食生活が回り、米不足がどれだけ食生活を空虚な状態にしていたかを追体験できるだろう。

 その米中心主義は楠公を自分で作ってみるとさらに実感できる。楠公飯、好みはあるだろうが、水を吸ってふやけたポン菓子のような食感で、味付けや具を工夫すれば日常食として個人的には全く問題ない。しかし、それは現代の食の感覚であって、当時の人は「米の増量法」としてやってみたものの、「貴重な米を無駄に使ってしまった。少量でも普通に食べた方が良い」という感覚の方が強かったことだろう。そんな事もあって、大々的に普及せず「戦時中と言えば楠公飯」とはならなかったのだろうと思う。作品の中で描かれている失望感は、「純粋な味の問題」というよりも「米特有の充実感・食感の喪失」の側面の方が大きかったように思う。なお、楠公飯は玄米を使うので、白米よりも多くのビタミン・ミネラル・食物繊維も摂ることができる。しかし、戦時中はそんな事は関係なく、とにかく白米を腹いっぱい食べたいのである。今でも健康食と称して病院や施設の献立に玄米を出すと「こんなものを食わせるのか!」と激怒する後期高齢者がいるものだが、そう言いたくなる気持ちはわからないでもない。食と言うのは栄養だけでは語れないのだ。

 米と言えば、日本酒も忘れてはならない。作品の中では、すずさんの婚礼の膳と第二エンディングのリンさんの回想場面で出てくるが、当時の経済統制の状況を考えると、精米歩合65%以上・アルコール添加の清酒である可能性が高い。ただ、粗悪日本酒の代名詞ともいわれる三倍増醸清酒は当時まだ国内にはそれほど流通してないはずなので、すずさんたちが飲んだ日本酒は現在なら「糖類無添加本醸造酒」に近い品質のものだったと思われる。銘柄は言うまでもなく三宅本店の「千福」であろう。余談になるが、三倍増醸清酒の製法を戦前に積極的に研究していたのが実は三宅本店の満州の系列会社、満州千福醸造で、その時のノウハウが呉空襲でほとんどの蔵を失った三宅本店の戦後復活の礎になったそうである。なお、「千福」と言う銘柄は1916年に登場し、奇しくも「この世界の片隅に」の公開年である2016年に100周年を迎えていたのである。

 

<代用食>

 戦時中、特に末期に米の代わりとなるエネルギー源、すなわち代用食は主にサツマイモ(甘藷・Ipomoea batatas )、カボチャ(南瓜・Cucurbita moschana )、ジャガイモ(馬鈴薯Solanum tuberosum )の三つである。よって、仮に歴史のいたずらで、この三つの作物がもし日本になかったなら、大戦末期には国内で大量の餓死者を出した事は確実であろう。

 特にサツマイモは江戸後期の飢饉において多大な貢献をしたと言われているように、食糧難の戦時中にも大活躍し、「この世界の片隅に」では茶碗の中身としてたびたび登場する。ただし、戦後に品種改良されたベニアズマのような繊維質の少ないホクホクのサツマイモを想像しては駄目なのであって、当時の瀬戸内沿岸ではおそらくは「七福」と呼ばれるコロコロした品種が流通していたと思われる。また、サツマイモは葉や茎の部分も食べられ、芋よりもビタミン類やアントシアニンが含まれるので密かに北條家の健康維持に役立っているはずなである。すなわち、サツマイモは米に代わるすずさんたちの生命維持に多く聞く貢献していた作物であったのだ。

 カボチャは、晴美さんに落書きをされたり、懐妊が疑われた朝の「はい!二人分」の茶碗に入っていたり、玉音放送で泣き崩れるすずさんの傍らにあったりと、それなりに重要な場面で登場する。形状からして、ニホンカボチャだと思われる。作物としてのカボチャは根菜類に比べ、畑から盗まれやすいという欠点があるが、ビタミンAやカロテノイドが豊富な事から夜盲症の防止となり、灯火管制下の夜間の空襲が常態化している状況では、ある意味で理にかなった食材と言える。

 ジャガイモは「刈谷さん監修料理」や空襲で焼き出された人のおすそわけで登場し、縁側のサンの「みんなが笑って暮らせれば…」や径子さんアイスクリーム回想などのシーンで芽摘み作業でも登場する。ご存じのようにジャガイモの芽にはソラニンという有毒成分が含まれるので、戦時下といえども芽摘みは入念に行う必要がある。ともあれ、食材として何気によく使われていた事がうかがえる。こうしてみると、ジャガイモ、食材としては影の四番ピッチャー的な存在だ。ちなみに、欧米ではジャガイモは貧窮作物としての歴史があるので、豊かなはずの進駐軍の残飯にも浮かんでいる。

 以上、三つの作物はすべて元をたどれば中南米原産であり、栽培が比較的容易という共通点がある。特にカボチャは、本当に農作物かと思うくらいにほっておいても勝手に実をつけるので、戦時下の作物としては救世主だった事は想像に難くない。が、あまりにあらゆる場所で作らされたせいか「二度とカボチャは見たくない」という世代を作ってしまった要因でもある。はたして、すずさんたちは戦後に食糧事情が豊かになった後でも、晴美さんの思い出や玉音放送とセットになった嫌な顔をせずカボチャを食べ続けただろうか。

 まだ余裕ある頃には、コムギ(小麦・Triticum aestivum )を原料とした饂飩やマカロニなども代用食として活用したようだ。原作でも、炭団の代用品を作る回で饂飩が登場する。ただ、小麦粉といっても、現在のような真っ白な粉でなく、戦争末期には様々な雑穀・大豆粉や糠・ふすまなどが混入している実態不明の代物となっていたため、饂飩と言っても現代の私たちが想像するものとは違うだろう。よく「戦時中を体験しよう企画」などで「代用食の『すいとん』を再現しました」など言うのも、正体不明の小麦粉が手に入らない以上、当時の「すいとん」を忠実に再現するのは実は難しい。というか、ほぼ不可能であろう。食というのは、多かれ少なかれ一期一会なのであり、戦前まで遡らずとも、20年前の饂飩と現在の饂飩とを比較しても微妙に違うはずなのである。

 ということで、この作品で登場するまっとうな小麦製品は、お盆の草津の昼食の素麺(冷麦かもしれない)と進駐軍の残飯に混じっているパスタくらいであろう。とはいえ、やはり米第一主義の中にあっては、パン類・麺類は食生活が豊かになった戦後にその地位が徐々に高まったといえるだろう。今でも駅前の大衆食堂などで「ラーメンライス」などというメニューがあるのは米第一主義の名残のように思える。

 

③では、副菜となるような、野菜・野草・ダイズについて書いてゆく。

食べ物で観る「この世界の片隅に」 ① ‐ノリ・タンポポ・ダイコン‐

 食い意地が張っているので「この世界の片隅に」に登場する食べ物については公開初日で見た時から密かにあれこれ気になっていたのである。とはいえ、情報量が膨大すぎる作品なので、映画館で何度見てもわからない事もあり、食べ物に関しては少々もやっとしていた時期があった。しかし、ブルーレイも発売され、原画集も出版された現在、様々な疑問が解決してきたので、「この世界の片隅に」に登場する食材について(少し大風呂敷でひろげて多少「栄養学」の視点も含めた)備忘録のようなものを6回に分けて書いてみたい。

 今は映画館のみならず様々な媒体で日々この作品「初観賞」の人々は増えているわけで、そんな人のためにもこの作品の奥深さをお伝えできればと思う。

 

 

 とはいえ、例によって、あくまで私が作品を鑑賞して「認識できた」ことしか書けないので、知識不足な点や根本的な誤解などが多々あるとは思う。言うまでもなく、一番詳しいのは片渕須直監督&浦谷千恵監督補そして原作者こうの史代さんなのであって、「この世界の片隅に」愛好者にすぎない私があれこれ細かな事を書くのは戦々恐々なのは今も変わりはない。間違い等の御指摘があればありがたし。

 

 ①ではこの作品において、重要な役割を持つ食品「ノリ」「タンポポ」「ダイコン」を記していこう。なお、参考までに食材となった生物の漢字名・学名も載せておく。

 

<ノリ> 海苔・Pyropia tenera

 海苔は、この作品を象徴する最も重要な食材であろう。なんといっても、「この世界の片隅に」と言う作品は、すずさんの海苔のお使いに始まりヨーコさんの海苔のおにぎりに終わる物語なのである。

 海苔は栄養の点で見れば、あらゆる栄養素が含まれたかなり優秀な食品である。人体に必要なミネラル・ビタミン・アミノ酸・必須脂肪酸・食物繊維などがほぼ完璧に含まれている。ただし、何百グラムも大量に食べるものではないし、重量当たりのエネルギー量も小さいので、「海苔だけ食べて生きてゆく」というのは無理である。そもそも何百グラムも食べれば、微量ミネラルを過剰摂取する事になって弊害の方が大きくなる。ただ、適量食べることで、他の食品では摂取の難しい微量ミネラルを得ることができるので、食卓に海苔があるかないかでは、栄養学的にはだいぶん様子が変わってくる。

 すずさんが海苔摘み・海苔漉きをしている場面でてくるが、戦前の海苔は「養殖」というより「天然ものを採集している」といった感じものだ。というのも、アサクサノリという藻類の実態がよくわかってなかったので、計画的に人工養殖する事が難しかったのである。そんな背景もあり、当時、海苔は高級品であった。高級品であるからこそお歳暮・お中元の代表選手だった訳であるし、すずさんがなぜ海苔を中心街の料亭にわざわざ届けに行ったのか少し実感できるのではないだろうか。

 戦後、英国の藻類学者K.M.Drew-Bakerによってアサクサノリの全生活史が解明され、その知見をもとに熊本の天草で初めて海苔の人工養殖が可能になった。そこから、計画的な生産ができるようになり、海苔は庶民でも気軽に購入できる食材となった。桃屋の「ごはんですよ」があの価格で購入できるのは戦後の海苔養殖技術のおかげなのである。

 

タンポポ> 蒲公英・Taraxacum sp.

 タンポポを食品にカウントするのは微妙な人もいるかもしれないが、「マイマイ新子と千年の魔法」から引き継がれる、この作品になくてはならない重要なアイテムであることには異論はないだろう。現在では野草マニアでない限り食する事は少ないとは思うが、どこにでも目立って生えているので「食べられるかな」と思われがちな野草の筆頭格とも言える。実際、好みは分かれるもののちゃんと下処理をすれば普通に食べられるし、薬草やお茶としても使われる。というか、すずさんの野草料理の餌食になった他の植物も、多かれ少なかれ薬草であって、図らずも北條家は毎日「薬膳」を食していたことになる。

 あっさり「タンポポ」と書いてしまったが、作品を見た人なら「白いタンポポ」という事が印象に残っている事だろう。セイヨウタンポポTaraxacum officinale )が圧倒的多数の現在、白いタンポポを探すのは苦労する事だろうが、本来、日本のタンポポには非常に多くの種類があり、その分布や分類も一筋縄にはいかない。とりあえず、北條家周辺に咲いている白いタンポポは地理的な位置・時代背景・総苞片のつきかた・種子の色などから、シロバナタンポポTaraxacum albidum )である可能性が高いと思われる。しかし、岡山や広島東部にはシロバナタンポポに似たキビシロタンポポTaraxacum hideoi )が、東北にはオクウスギタンポポTaraxacum denudatum )などが分布しているので、地域によっては白いタンポポをみつけたからといって「すずさんが愛でたのと同じ白いタンポポ」であるとは言い切れない事もあるのが難しいところだ。

 

 

<ダイコン> 大根Raphanus sativus

  大根はかなり様々なシーンで登場する。家の軒先によく干されているし、漬物おかずとしても食卓の常連だ。カブ(Brassica rapa var. glabra )も何気なく幾度か画面に登場する。今と同じで、基本は大根と同じ扱いであろう。

 個人的に最も印象的だったのは江波から呉に帰る時にすずさんが背負っている大根だ。実は原作では周作が大根を背負っている。さて、すずさんに大根を背負わせた監督の意図はいかに?

 これはあくまで私の個人的な想像であるが、縁談話を聞いてすずさんがあわてて江波に戻る時に水原哲と鉢合わせする場所が大根畑なのである。そして、年度は違えども、水原哲の入湯上陸の事で周作さんと列車内で喧嘩する時に背負っているのが、その江波の大根なのである。つまりは、すずさんは意識してないにせよ、大根は江波と水原哲をつなぐ作物ということになるのかもしれない。そして、終戦後。刈谷さんの物々交換リアカーにも大根がそれなりの数「搭載」されている。言うまでもなく、それは江波の大根ではない。そして、そのリアカーは重巡洋艦「青葉」を眺める水原哲の後ろを通り過ぎる。江波と水原哲をつなぐ「何か」は違った種類のものになったのだろう。

 大根はエネルギー源にはほとんどならず、日々の食卓の「かさ増し要員」な訳だが、実は隠れた栄養供給源としての側面がある。それは根ではなく葉の方だ。いわゆる大根菜である。カボチャでも出てきたが、ビタミンA、カロテノイド、その他ビタミン・ミネラル摂取に大きく貢献しているはずだ。まとまって収穫できる野菜が限られている以上、大根葉は貴重な微量栄養素の宝庫だったであろう。ということで、すずさんが背負っている大根もしっかりと葉がついている。

 原作では晴美さんとの種まき競争、映画では「藍より蒼き♪~」と空の神兵を晴美さんと歌いながらの畑作業で芽生えとして登場するコマツナ(小松菜・Brassica rapa var. perviridis )もカブや大根と同じくアブラナ科の作物で、栽培も容易で、似たような栄養供給源となる。

 なお、こうの史代さんが飼育していた(最終的に逃亡した)インコの名前が大根の別名の「すずしろ」である。元素名と同時並行で、このインコの名前もまたすずさんの名前の由来になったという説もある。そう言われると、こうの史代さんが飼っていたインコ(すずしろ)の凶暴さやどこにでも雑草のように根を張る大根は、すずさんのキャラクターと相通じるものがあるかもしれない。

 

 続く②では、米と代用食などについて書いてゆこう。

KUBO 日本ではない日本的なものへの憧憬

 KUBO 二本の弦の秘密 を観てきた。

 

 あくまで個人的な意見ではあるが、表現手段と物語が完全に表裏一体化したおそらくは歴史に残る傑作であろう。この作品に関しては、ストップアニメーションの気の遠くなるような超人的な制作過程が宣伝でも解説でも強調される事が多い。しかし、言うまでもなく「物語を表現するためにストップアニメーションがあるのであり、ストップアニメーションの特性を最大限生かすためにこの物語がある」のである。優れた作品はおおかた結果的にそうなるものだが、この作品ほどこの事を思わずにはいられないのである。

 

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 もしかするとストップアニメーションというものに不確定要因を感じ「DVDが出てから家で時間のある時に見よう」とぼんやり思っている人もいるかもしれない。しかし、この作品は是非とも映画館で見てほしい。というのも、KUBOは、映画館で見なければわからないことがあるのだ。 

 人間が何かを注視している時の中心視野はせいぜい20°程度しかない。その角度の範囲に観賞モニターがおさまった場合、KUBOの本当の動きやテクスチャーはよほど目の解像度が良くなければ感じとる事はできないであろう。原理的にはモニターにより近づけばよい訳だが、そうなるとモニターの画素の方が気になってくる。KUBOはあまりに超絶技巧な仕上がりになっているので、家の小さなテレビやモニターなどでぼんやりと観ると「CG映画」と感じてしまう危険性がある。

 この危惧は映画館の大きなスクリーンで観賞する事でほぼ解決する。よほど視力がわるくない限り、もしくはよほど後部の座席に座らない限り、鑑賞者はスクリーン上の登場キャラクターの動きやテクスチャーの圧倒的な実在感に息をのむに違いない。折り紙や被服の微妙な皺、わずかなムラが煌めく金属光沢、様々な物体の不確定な落下運動。すべてデフォルメされた存在であるはずなのに、すぐ目の前にあるかのような実在感がある。すべて実物を動かしているのであるから、リアリティがあるのは当たり前と言えば当たり前である。しかし、その当たり前の事を本当に実現させるのが一番大変なのである。

 

 いきなり話はとぶが、中世日本、もしくは近世日本の「雰囲気」というものを私たちはどのようにして実感する事ができるだろうか。結論から言えば、それは現代を生きる人には本当に「実感することはできない」のである。しかしながら、今の日本は、歴史の積み重ねによってある訳だから、資料を駆使して(場合によっては妄想によって)様々な人が過去の「空気」の再現を試みている。しかし、どれだけ時代考証をしたとしても、その時代の「空気」について何が正解は結局わからない。

 KUBOの前半部分で登場する村の風景が出てきた時に、ふと思い出したのが渡辺京二「逝きし世の面影」である。

 

逝きし世の面影 (平凡社ライブラリー)

逝きし世の面影 (平凡社ライブラリー)

 

 

 この本は、明治期に日本に来た様々な西洋人たちの日本の印象の言説を引用しながら、失われた日本の「空気」の再現を試みたものである。あたかも当時の「雰囲気」をリアルに感じてしまうような筆致なのだが、現代人がその時代にタイムスリップして本当にそのような「雰囲気」を感じとれるのかどうかは定かではない。

 しかし、KUBOにはそのような疑念が浮かぶ暇もないほどに現代日本ではない「逝きし日本の面影」が迫って来るように私には感じられるのである。そう感じてしまう要素は様々だろうが、一番大きいのはゼロから作り上げた人物造形に依る所が大きいだろう。KUBOの芸に集まる村人たちは、一人一人がそこに生きていた実在の人々のように見える。当然、モブではない。村人の誰か一人をピックアップしても余裕で物語が作れるのではないかと思うほどに、生き生きした「なり」をしているのだ。KUBOと親密に会話をかわすカメヨ婆の存在感も非常に懐かしい感覚を覚える(吹き替え版では、このカメヨの声を小林幸子がやっているのだが、これがまた妙にはまっている)。

 ふと、明治期に活躍した風刺画家、ヴィクトル・ビゴーの描いた庶民の素描も思い出す。明治期の庶民の写真は、数は少ないが残されていて、それを頼りに当時の雰囲気を想像する事も可能である。しかしながら、写真は事実関係を検証する資料としては貴重だが、リアリティという観点では、写真はビゴーが描いた当時の人々の生き生きとした素描には到底かなわない。

 

ビゴー日本素描集 (岩波文庫)

ビゴー日本素描集 (岩波文庫)

 

 

 人によってはKUBOを観て「これは日本ではない。西洋人のオリエンタリズムにすぎないのでは」と感じる可能性もあるだろう。確かに日本の伝統芸能や工芸への造形が深ければ深いほどに、登場する被服・小道具、建築などは一見すると珍奇で奇抜なデザインに見えてしまうかもしれない。

 しかしながら、今となっては「現代を生きる私たち日本人」と「日本に思い入れのある現代西洋人」とで中世日本の精神性への理解に差はあるのだろうか。日本人側は中世の「日本の伝統様式」はある程度は継承したかもしれないが、その精神性を本当に受け継いでいるのか。もしかすると、その形だけの「伝統様式」をもって「日本的」と思い込んでいるだけかもしれない。極端な事を言えば、西洋人が様々な資料を参考にして思いめぐらす中世日本の世界観と日本人であるというだけで勝手に想像している中世日本の姿とは実質的にはそれほど大きな差はないのかもしれない。

 もしそうなら、どの国の人間であろうと、日本の中世への想いの強さが大きければ大きいほど、創作したモノに多くの命が吹き込まれる事になろう。実際、それぞれのキャラクターやテクスチャーのデザインは、彼らが存分に夢想した中世日本のエッセンスが見事に昇華していると私は思う。

 例えば、亡くなった人の魂を運ぶ鳥として鷺を使うのである(「この世界の片隅に」ファンなら、あのシーンを思い出すことだろう)。これは製作者の完全創作かといえば、そうとも言い切れなくて、江戸期の怪異として鳥山石燕の著作に登場する夜に白く発光する鷺、いわゆる「青鷺火」を参考にした可能性がある。しかし、怪異というよりも、最終的に救済の存在として活用されるのである。

 クワガタというお調子者のキャラクターも登場する。鍬形の全形と兜の質感が融合したような造形である。手足も六本あり、関節部分も昆虫のそれである。と同時に鋭角的なデザインは単なる昆虫の模倣ではない事を示す。あくまで「武士の装束」なのだ。戦国時代にはかぶいた兜が多数作られたが、その中の一つとしてあってもおかしくない。

 分かりやすく言うと、KUBOに登場する様々なデザインは日本的なものへの想いを生涯捨てなかった日系人イサム・ノグチのデザインした照明「Akari」のような作品に似た存在と言えるように思う。

 

イサムノグチAKARI10A

イサムノグチAKARI10A

 

 

 KUBOの物語は少年の成長物語の王道のようでいて、最後の最後で一気に極めて現実的な着地点に到達する。そこが単なる冒険譚とは違うとも言える。乱暴に言ってしまうなら、KUBOの物語の骨子はパウロ・コエーリョの「アルケミスト ~夢を旅した少年~」に近いかもしれない。一方で、KUBOの物語は、途中のある点からエンディングの直前までKUBOが片目で見ていた白昼夢のようなものだったと強引に解釈することもできよう(まあ、それではいろいろ矛盾は生じるのだが)。どちらにしても、「人間にとって物語とは何か」という根源的な問いを物語に内包させている事には変わりない。

 

アルケミスト―夢を旅した少年 (角川文庫―角川文庫ソフィア)

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 三味線が第二の主人公のようなものだから、音楽は当然の事ながら五音階が効果的に使われている場面が多い。充分に聴き取れたか自信がないので間違っているかもしれないが、その五音階も「ド‐♭ミ‐ファ‐ソ‐シ」の民謡音階と「ド‐♭レ‐ファ‐ソ‐♭ラ」の都節音階の両方を使っているのが本格的である。とはいえ、コルンゴルド風(ジョン・ウイリアムス風とも言う)の壮大な音楽も活劇場面では使われ、これが合衆国の作品であることを思い出させてくれる。

 エンディング曲は「While my guitar gently weeps」。ギターならぬ三味線でやる訳で、なかなか狙った選曲である。吹き替え版では、三味線を吉田兄弟が下の音源よりもパワフルに演奏している。

 

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 演出に関しては、監督自ら「黒沢明宮崎駿の影響を受けた」と言っているように、場面転換のテンポ、アクションの遠近法、自然現象も含めた多様な運動の対比などなど、先人の技法を取捨選択して最大限活用しているように見える。私だけかもしれないが、クワガタの様々な動きなどは黒沢作品に登場する三船敏郎のそれを連想してしまう。また、折り紙が宙を舞う場面などでは、飛行体の卓越した描写に定評のある宮崎駿作品の様々なカットを思い出す。

 そして、何と言っても製作者はおそらくは辻村寿三郎の存在を意識していたに違いない。どの程度、参考にしていたかわからないが、彼の存在を知らないというのはちょっと考えにくい。ある年代以上なら、KUBOを観て、1974年からNHKで放映されていた人形劇「新八犬伝」「真田十勇士」を連想するかもしれない。若い人のために説明すると、辻村寿三郎はそれらNHK人形劇に登場する人形を製作していた巨匠なのである。彼の製作する人形は、表情が変わるしくみにはなっていないにも関わらず、ドラマの中では表情が刻々と変容するように見え、当時としてはかなりな視聴率を記録したのである。辻村寿三郎がKUBOを観たならば、どのような感想を抱くのか非常に興味がある。

 

NHK人形劇クロニクルシリーズVol.4 辻村ジュサブローの世界~新八犬伝~ [DVD]

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 ということで、ネタばれしないように留意しながら、いろいろと思いつくままに書いた。

私にとって、KUBOは「日本ではない日本的なるものへの憧憬」を日本人である私に様々に抱かせる大切な作品となった。日本に生まれ育った人ならば、是非とも映画館でやっているうち観てほしい作品である。

 私の個人的なこれらの感想が観賞のなんらかのきっかけになれば幸いである。